第25話:忍び歩く女

 与えられた自室に戻り、ベッドへ寝転がった。しばらく休んでいると、誰かの体温が扉の前に立つ。

 ノックがあって、「開いてるぜ」と答えた。すると入ってきたのは、両手にトレーを持った給仕の女だ。


「騎士ラエトさまから、お食事を運ぶようにとのことで参りました」

「そいつはありがたい、置いといてくれ」


 言われてみれば、城で食事は取らないと断っていたのだった。逆に言えば外出するなと言っておいて、改めて言わねばならないのはどうかとも思う。

 ともあれラエトが気を利かして、ひもじい思いをせずに済む。女が出ていくと、すぐに起き上がった。


「ま、こんなもんだろうな」


 メニューは芋の塩茹でスープと、パン。薄い塩漬け肉が一枚。やはり長く備蓄出来る物しかなかった。

 スープに浮く肉片の本体は、国王か公爵辺りが食っているに違いない。

 厳戒令の出される中、仕方がなくもある。タダの物に文句を付けることはしなかった。


「ラエトめ、酒の一本くらい付けろってんだ」


 無かった物への不満は、その限りでない。

 食事を終え、しばらく。眠る努力をしたが、叶わなかった。諦めると、途端に暇だという意識が頭をもたげる。


 ――酒を拝借してくるか、それとも騎士どもの様子でも見てくるか。

 昨日の夜とは城内の雰囲気が違う。同じ三階でも別の階段から行くフロアや、下の階層で人の動く気配が途絶えない。

 戦に備えているなら当然ではあろうが、どうも不自然な気もした。何ごとか準備の為に忙しくしているのでなく、意味もなくそう見せているだけに思える。


「誰に見せてるのか、だな」


 様子を窺っていると、また扉の前に誰かが居る。体温の配置からすると、女。周囲を気にしながら、静かに通り過ぎていく。

 昨日と同じだ。サリハの言葉を信じるなら、イブレスということになる。興味を覚えて、後を追うことにした。

 頃合いを見て、扉を開ける。部屋から出つつ、伸びとあくびを同時にこなす。


「うぅん、ふあぁぁ」


 横目にちらりと、不審者の背中を見る。やはり昼間、イブレスが着ていたのと同じ黒いローブだ。

 左手に、二十メルテほど先。イブレスらしき女は、足を早めた。こちらがまだ、気づいていないと思っている動き。そそくさと階段へ至る角を曲がる。

 階段を上る微かな足音に合わせ、追いつかぬよう、ザハークもそちらへ向かう。階段下へ着いたとき、ちょうど女も階段を登りきった。


「くそ、余計な手間をかけさせやがって。疲れ過ぎて眠れねえだろうが」


 トゥリヤへの毒を吐き、大きな窓の縁へ登る。あくまで風に当たりに来ただけと装う為だ。

 女は四階の廊下を数歩、奥へ進んで立ち止まったらしい。誰かと話す声が聞こえ始めた。

 だがあちこちで、騎士や兵士の足音がこだました。鉄鋲の付いたブーツの底が、軋み音とも言える甲高い叫びを響かせる。

 会話の内容が、掻き消されてしまう。ただ、断片的に届いた言葉もいくつかあった。


「公爵……今日は会えないと……」


 言ったのは女でなく、その相手だ。男の声で、おそらく四階へ入る者を監視する門番役だろう。


 ――今日は・・・会えない、か。

 用件が果たせぬなら戻ってくるはず。そのときザハークと顔を合わせれば、何と言うのか。

 反応が気になって待ってみたが、女は下りて来なかった。四階へ至る方法はここだけでなく、別の階段を使ったのかもしれない。


「サリハに教えてやるか――?」


 また兵士に見付かっては面倒だ。任せろと言ってあるので、彼女は姿を見せない。

 思い詰める性格のようだから、長引かせると何かしでかすかもしれないと案じた。

 けれどもあまりにも曖昧な情報だ。今日はたまたま公爵に用があっただけで、昨日とは違うのかもしれない。会ってくれれば、外から覗く方法もあったのだが。

 ゆえに結局のところ、伝えなかった。何かもう一つ、決定的なことが知れてからと考えた。

 しかしそれから、その女が部屋の前を通ることはなかった。次の日も、その次の日も。

 朝には国王に呼ばれ、午前は城内をうろつき、午後は奴隷たちと水汲みをする。そういうルーティンが出来上がってしまった。


「あらザハークさん、今日も水汲みを? 精が出ますわね」

「暇を持て余してな」


 サリハとトゥリヤを引き連れた、イブレスとも出会うことはある。毎日、神殿に通っているので、その出入りにだ。

 極めて自然な態度で、あの夜に見た後ろ姿はイブレスでないのかと疑いたくなった。それには同じローブを着た、似た体格の誰かが必要だが。

 サリハも視線で、何か分かったかと問い詰めてくる。他の者に察せられぬよう、さっぱりだと答えるしかない。

 おかげで夜間は、四階と五階を空中から監視するのと、サリハが妙なことをせぬよう気を配る羽目となった。

 だが幸いと言うべきか、彼女は自重してくれた。何度か鎧戸の隙間から、ダージに乗ったザハークを見ていたようだ。それで納得したのだろう。

 そうして何も得ることのないまま、荷運びの護衛を頼まれた日が訪れる。

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