第24話:勝敗はいかに
「ま、魔物か!」
「誰が魔物だ」
貯水槽の部屋から、およそ百五十メルテ。到達した光の川の畔には、騎士が居た。例によって予想外のザハークに驚き、椅子から立って剣を抜きかける。
「あ? ああ、ザハーク殿か。トゥリヤ殿から聞いてはいたんだが、すまない」
「慣れてる、気にするな」
酒樽に丸太を立て、布で日除けを張った下に騎士はくつろいでいた。椅子が二つあるところを見ると、もう一人は見回りにでも行っているのだろう。
「あ、あの。お先に」
「すぐ追いつく」
奴隷の女は、放り投げる寸前という勢いで桶を下ろす。受け取った男は水際へ立ち、自分のを後回しに汲んでやる。
川と言うからもっと大きなものを想像していたが、両腕を広げたほどの幅しかない。なだらかな斜面を人の走る速度で滑り、流量は豊富だ。
「トゥリヤ殿と勝負だって?」
「そうだ。断ったんだが、しつこくてな。力比べをすることになった」
「あっはっは。彼女は負けず嫌いだからな」
この騎士も例に漏れず、常に薄ら笑っている。そこへ足された笑声は、自然のものか作りものか分かりにくい。
「知ってんのか」
「それはもう。二年前、初めて来たときからそうだった。槍試合と武闘試合と、それぞれの勝者と戦うってな」
「ああ、そいつはお疲れさん」
騎士は「俺じゃない」と言ったが、断るのを見ているだけでも疲れたと苦笑した。
その横を奴隷の二人が、来た道を戻っていく。見送って座る騎士は、それほど関心がなさそうだった。
「結局、どうなった」
「二人とも押し切られたよ。戦うことと戦った結果と、両方だ」
「口だけじゃないわけだ」
「だな。まあ天空騎士団とは戦ってないはずだが」
この国の騎士は弱い。騎士団長の苦慮があって技術はまあまあだが、戦おうという気概がない。いや、なくもないのだろうが、剣や槍を握った背中に死が見えないのだ。
負ければ死ぬ。その覚悟もなく手足を動かしても、覚悟を持った相手には届かない。
「しかし二年前?」
「そうだ、巫女殿が代替わりしたからな。護衛剣士も一緒に替わったのさ」
「そうか最近だな。あの巫女さんは、百年も前から通ってる気がしてたぜ」
「分かる分かる、馴染んでるよな」
――馴染む、ねえ。
何となく、騎士の評価を違うなと感じた。全く間違ってはいないが、少し芯を外しているように思う。
「何だ貴様、まだ片道か。こちらは二周目だぞ」
「お、トゥリヤ殿。早いな」
奴隷と足並みを合わせ、騎士と話す間にまた追いつかれたようだ。姿を見せたトゥリヤは、天秤棒の前後に桶を二つずつ括り付けていた。
「そんなことをして、持ち上がるのか」
「舐めるな、鍛え方が違う」
焦る気もないザハークを押し退け、トゥリヤは桶を外して水を汲む。ロープの扱いも手慣れて素早い。
満水の桶を四つで、およそ六十カロ。言った通り、危なげなく持ち上げた。「じゃあな」と言い残し、颯爽と戻っていく。
「いいのか? 負けてしまうぞ」
「どうでもいいんだがなあ」
どちらが勝とうと、心底どうでも良かった。そもそも勝負を受けたのは、奴隷と話すきっかけになると考えたからだ。
しかし勝てば二度と勝負を挑んでこない。その条件を得ておくのは悪くないとも思う。
「仕方ねえ、遊んでやるか」
一応の格好として桶を持ってきたが、トゥリヤが二つで物足りなかったのと同じに感じる。何かないかと見回し、目の前にいい物があったと思い出す。
「なあ、その樽を貸してくれねえか」
「ええ? 構わんが、どうするんだ」
「こうするんだよ」
日除けの支柱を抜き、天秤棒と合わせて地面に立てる。用を失った樽に、ザハークは水を注ぎ始めた。
勝負は桶で何杯かを競うもの。だから騎士に、どれだけ入れたか数えさせる。
「十杯か、結構入るもんだな。でも蓋がないから、転がせないぞ」
「力比べだからなあ。転がしちゃあ勝負にならねえ」
樽の直径は、ザハークの長い腕がちょうど回った。両膝を曲げて抱きかかえ、大地を踏みしめた。息を吐き、同時に力をこめる。足先が地面にめり込む感覚があって、百カロを超える樽は持ち上がった。そのまま右の肩に載せれば、運ぶのに何ら問題はなさそうだ。
「凄いな――」
「そうか? 重いは重いがな、鍛えるのにちょうどいい」
微笑んだまま、騎士は絶句する。強がってはいない。漫然と日々を過ごして、特等などと呼ばれはしないのだ。
さすがに歩む足は、軽やかにといかなかった。けれども散歩をする程度に進んで、奴隷の二人を追い越した。
「そ、それ。水が入ってるんですか!?」
「当たり前だろうよ、一人芝居は俺の趣味にない」
驚いた二人は、危うく桶を落とすところだった。「気をつけろよ」と笑って、今度はトゥリヤと出会う。
貯水槽までもう少しというところだ。扉から出てきたトゥリヤは、ザハークの姿に桶を落とした。
「俺はのんびり行くから、あんたもどんどん行ってくれ」
「言われるまでもない」
親の仇でも見るように、「貴様」と歯噛みしていた。だがすれ違いざま声をかけると、平静を装ってやり過ごす。
立ち止まっていたのは、桶を追加するか悩んだのだろう。しかし持ち上げることが出来ても、天秤棒が持つまい。トゥリヤは結局、周回の速度を上げる選択をした。
「二人ともお疲れさま。もう日暮れだ、ここまでにしよう」
計数役のラエトが、勝負の終了を宣告する。水汲みをした四人が、揃って石畳に座り込んだ。
「トゥリヤ殿、さすが膂力と素早さを兼ね備えていた。二百七十七往復だ」
四杯の桶を担いで、百五十メルテを往復する。並の男なら、一周でへばってしまうかもしれない。それを日暮れまでやり遂げたトゥリヤは、たしかに「さすが」と呼ばれるに相応しい。
「ザハーク殿、あの樽を持ち上げる時点で驚きのひと言だ」
「世辞はいい、何周だった」
「百三十五往復だ」
周回数はおよそ半分。しかし一回に運んだ量は、トゥリヤの四杯に対してザハークは十杯。細かな計算をせずとも、どちらが勝ったのか明白だ。
「そうか、疲れたな」
しばらく怠け過ぎたかもしれない。心地のいい疲れとは言えなかった。けれどもダージを駆る者として、これくらいはやってのけなければと思う。
ただし今は、手足を伸ばして寝転ぶことを選んだ。
「約束だ。私はもう、貴様に勝負を挑むことをしない」
「そうしてくれ。俺に勝ったって、誰も褒めやしないしな」
トゥリヤもまた、濡れた石畳に寝転ぶ。ザハークがそうであるように、足りなくなった空気を深く静かに取り込む呼吸をしている。
「それは貴様の自惚れというものだ」
途中で苦しくなったのだろう。顔の下半分を隠す布を、トゥリヤは取り去っていた。おかげで笑う口許がよく見える。
だのに、目は全く笑っていない。戦った相手を称える表情とも思えぬ不気味さが、そこにあった。
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