第23話:水を汲むには
続いてもう一人、奴隷が戻ってきた。それは女で、先のは男だ。
二人分。合計四杯の桶から水が注がれる。馬が顔を突っ込めるくらいに大きな桶だが、巨大な貯水槽には嵩が増したように見えない。
「二人でやってるのか?」
「え、ええ。毎日交代で、二人ずつです」
朝から日が暮れるまで続けるのだろう。女は疲労困憊という顔をして、また桶を担ぐ。痩せ衰えた身体には、空の桶でさえ重そうだ。
「それじゃあ満水になんかならねえだろ」
「も、申しわけありません。頑張ってはいるのですが……」
答えた男はずっと、ラエトの顔色を窺っていた。それがいよいよ、まずいと判断したらしい。ザハークの言葉に、責められたとも思ったのだろう。天秤棒と桶を乱暴に拾い、女の後を追った。
「随分と奴隷を虐めてるらしいな」
「虐める? 奴隷だからな。私は無用の手出しはしないが、騎士の中にはただ殴りつける人も居る。そのせいだろう」
温厚そうなラエトだが、何の不思議があるのかと首を傾げた。
彼でさえ、手出しをすることがある。意味もなく殴ったとして、奴隷の扱いに問題はない。神聖王国と二つ名を戴くこの国では、そういう認識のようだ。他の国と比べて厳しくはあるが、珍しいとまでは言えないけれども。
「いつまで話している。もういいのなら、始めるぞ」
答える間もなく、トゥリヤは部屋を出て行く。もちろん天秤棒と桶も忘れず携えた。
「土地の決まりに口出しする気はねえよ。ただまあ、どんなことにも程度ってもんがある。度を越しちまえば、いいことだって悪くなるのさ。滋養の薬でもだ」
「はあ――」
何のことやら分からない。ぼんやりとした返事のラエトは置いて、ザハークも部屋を出た。
壁際にあった予備の桶を二つ、手に取ると普通の物よりも重い。水汲み専用で、頑丈に拵えてあるらしい。
きっとこれに水を汲めば、一つで十五カロを超える。二つならば三十カロ。女でなくともきつい仕事に違いない。
「張り切ってやがるな」
トゥリヤはもう姿が見えなかった。奴隷の二人が歩いているのは、少し先に見えるのにだ。
しかしこの勝負を受けた真意は、女剣士に勝つことでなかった。ザハークは軽やかに脚を動かし、奴隷たちに追いつく。
「よう、毎日これをやるのは大変だな。水路くらい作ればいいのにな」
「あ、ああ……どうも」
男は顔を向け、曖昧に頷いた。すぐに後ろを気にしたのは、監視の目があるか確認したのだろう。女はこちらを向く余裕もないらしい。一歩ずつ、腹から呼吸をして地面を踏みしめる。
「安心しろ、あの騎士は俺たちの勝負を見届ける為に来させた。お前たちの監視役じゃない」
「し、勝負?」
「あの女剣士だよ。どうにか俺に勝ったって実績が欲しいらしくてな。それならあんたらの仕事が楽になるよう、この方法を提案したわけだ」
奴隷の立場からは突飛な話だったろう。騎士や貴族がくだらない見栄の為に勝負をする話はよく聞くが、奴隷の手助けを考慮するなどあり得ない。
過去に聞いた中では、狩りの腕を巡って奴隷を標的代わりにした酷い話さえある。
「ええと……私たちの?」
「そうだな。例えばあんたらが持ってる桶を、俺が一つ肩代わりしたって、結局楽にはならないだろ? でもこうやって貯水槽を満水にしてやれば、あんたらが仕事をしたくたって出来ないわけだ」
もちろんそれで、休んでいろとはなるまい。だがこの水汲みに比べれば、何をしたところで楽なはずだ。
「あ、ああ! どなたか分かりませんが……」
「気にすんな。あんた一人の為にやってるわけじゃない。分かったら、もう少しペースを落とせ。あの女剣士と俺とで、しっかり運んでやるから」
ようやく意図を理解してくれたようだ。奴隷は疲れて硬直した顔に、笑みを灯した。溢れる歯は黄色を通り越して茶色く、かなり欠けている。
しかし歩幅を変えようとしない。女のほうにも「ゆっくりでいい」と言ったが、小さく首を横に振った。
「き、気持ちはとても嬉しい、です。でも毎日、仲間たちが、やってること。私たちだけ、ズルは良くない、です」
本当にありがたいのだ、と奴隷の男は繰り返した。だからザハークとトゥリヤの勝負も、邪魔はしないとも。
しかしそれを理由に自分たちが楽をしては、今も全力で他の仕事に打ち込んでいるはずの仲間たちに合わせる顔がない。そういうことらしい。
「――へえ。仲間思いなんだな、俺も騎士どもの悪口は言えねえや。あんたらを見くびってたよ」
女に合わせている分、それだけでも楽をしていると男は自嘲した。女はまた小さく、首を振って否定する。
「楽だって言うなら、あんたらのことを教えてくれよ。例えばそうだな、この国の奴隷はどうしてなるんだ? 何か罪を犯したとか、それとも奴隷の子は奴隷なのか」
「り、両方です。私たちは罪を犯しました」
ザハークと話しながらも、女の足元を気にしてやっている。顔立ちも優しそうなこの男が、罪を犯したとは意外だ。
「何の罪だか聞いていいか?」
「か、構いません。税の滞納です」
「税? 年に一度とか、そういうやつか」
「いいえ」
奴隷の男は、寂しげに笑ってみせる。一つもおかしくはなかろうに、他に浮かべる表情がないのかもしれない。
「い、今の国王さまになってすぐ。あた、新しい税が出来たんです」
「新しい税?」
「み、水税です。ひと、一人当たり金貨十枚。ま、毎年それだけ払わないと、水を汲めないんです」
金貨十枚。それは豊かな南の国の首都で、小さな店を持つ者の年収の半分に匹敵する。水を汲むだけでそんなにも持って行かれては、当然に暮らしてはいけない。
「そいつは法外だな。それまでは自由に汲めたのか」
「そ、そうです。ひか、光の川はもちろん。光の泉の水だって、好きなだけ」
水税のおかげで、税金を払えぬ者が続出した。何とか払えても、制限を超えて汲む者もあった。
奴隷の男は唇を噛んだが、はっと気づき、笑ってごまかす。国王への不満を表に見せてはどうなるか分からない、この国の現状がそこにある。
「光の泉もか――」
奴隷を取り巻く手酷い環境もさることながら、またもその名が出てくることを無視出来ない。
――どうにか調べてみなきゃな。
考えるザハークの前を、折り返したトゥリヤが通り過ぎていく。
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