第22話:力比べの段取り
「ああ、そうだ。いいことを考えた」
真似をしたわけでない。力比べと聞いて、本当に思いついたことがある。
「何だ、貴様のようなのがイブレスさまを真似るな。気色が悪い」
「そんなつもりはねえよ。力比べをしてやると言ってるんだ」
この女剣士は、いつもしかめ面だ。笑うという感情を忘れたように、吊り上がった眼をしている。
その角度が少し緩み、「ほう?」と訝しむ。挑んでおいて、受けられると思っていなかったのか。
「ただし、あんたには得があると言ったな。こっちにはない。だから一つ、条件を付けさせてもらう」
「良かろう、何だ」
「これで負けたら、二度と俺に勝負を挑まないでくれ」
今度は「はあ?」と呆れられた。意外と忙しく表情が動くものだ。
「ハッ! 実力は置いても、相当の臆病者だな。この世は弱肉強食だ。男は女を喰らい、女は男を食い物にする。手段の是非など、くだらん寝言に過ぎん」
トゥリヤは下衣の裾を捲り、隆々と盛り上がる脚を見せた。どうしてこれを要求しないのか、問うているらしい。
全く興味をそそられぬザハークとしては、調理前の肉塊と何ら変わらない。感慨なくぼんやりと見つめるしかなかった。
さすがにそれが続くと、女剣士も恥じらいに裾を戻す。
「あんたがどんな常識を抱えても自由だがな。死ぬほどの空腹に肉を食いたい奴が居れば、粥を啜りたい奴も居るんだよ」
「ならば貴様は、今のうちから粥だけ啜っていればいい」
闘技場の剣闘士も、戦う前に相手を鼓舞すると聞く。きっとトゥリヤは、それに倣っているのだ。そう思えば腹も立たない。
「ともかく条件は受諾したってことだ。ちょっと待ってろ」
「あ、いや。まあ、そうだ」
まだ難癖を付けたい風のトゥリヤを置き去りに、中庭へ戻った。扉をくぐったところで、騎士団長の傍に控えるラエトに手を振る。
「ザハーク殿、まだ何か用か――用ですか」
「畏まらんでいい。一つ頼まれてくれ」
頼みとは、王城から外出することだ。厳戒令を発したのは王だが、実際に行動させているのは騎士。
だから彼から叔父に言ってもらえば、どうにかなるのではと。
「城から出るって、そんな無茶な」
「タダでとは言わん。代わりにお前の頼みを聞いてやる」
「いやそんな、頼みなんて――」
騎士の尊厳が遠慮をさせるようだ。しかし身体は正直なもので、若い騎士の視線はちらちらとよそ見をする。
それは離れた階段下で待つ、トゥリヤに向けてだ。
「何だ、あの女と仲良くなりたいのか」
「いや、違う!」
やはり笑っているので、照れ隠しなのか分かりづらい。が、どうもきっぱりとした言い方が違うらしい。
「じゃあ何だ、サリハか」
「いやサリハ殿はたしかに可愛らしいが、ああまで無口ではな」
「てことは、イブレスか」
微笑みに「えへっ」と、込み上げる感情が音として追加される。頬も少し赤らんだ。
「巫女にそういう感情を持ってはいけないんだ」
「いけないったって、そう思っちまうのはどうしようもないんだろ?」
「そうなんだ。いつも朗らかで、柔らかそうな肌が美しくて。でもさっきの、申しわけなさそうな顔。滅多に見られないものを見させてもらった」
「あ、ああ……」
ラエトの笑声は辺りを気遣うあまり、「ぐふふ」と気色悪さを増した。女の困った顔を見て喜ぶとは理解出来なかったが、他人の嗜好にとやかく言うこともない。
「分かった。お前のことをよく言っとく」
「ほ、本当か!? あ、いや、それは駄目だ。私はこの国の公正に仕える騎士だからな」
「それも問題ない。この国の為になればいいんだろ?」
どういうことか分からない。首を捻るラエトだったが、ザハークの提案を聞いて頷く。
「なるほどなあ。それは実際、助かるよ。でも叔父上、じゃなくて団長に聞いてみないと」
「そうしてくれ。お前なら出来ると思って頼むんだ」
叔父に可愛がられているから、と注釈は声にしなかった。若き騎士はただでさえ笑みの絶えない顔を一層輝かせ、跳ねるように去った。
それからさほど待つこともなく、説明をするのに必要十分の間だけが空いてラエトが戻ってくる。
「ぜひやってくれ、だそうだ!」
「そいつは良かった」
やり取りを遠目に眺めたトゥリヤも、「どうなったのだ」と近づく。
「力比べの準備が整ったんだよ」
内容には触れず、現場への案内をラエトに任せる。とは言え城内であるから、さほどの距離もない。
「ここは?」
到着した部屋に、トゥリヤも初めて訪れたようだ。一階の東端で、外壁の側にも両開きの扉がある。
石畳の室内は広い。ザハークに充てがわれた部屋と比べれば、八倍もあろう。代わりにと言おうか、壁紙などの飾りめいた物の一切が省かれる。
不要と思われる物は何もなく、あるのは箱状に掘られた
「搬入口だ。大口の荷を入れる商人も、ここへ回る」
「何だ、荷運びでも競争しようと言うのか」
搬入口と聞いただけで意図を察したトゥリヤは、存外に頭が回る。などと言えば、また無用の恨みを買ってしまうけれど。
「惜しいな。見ての通り、今は荷物がない。それに同じ物が幾つもないと、公平な競争にならんだろ」
「ふん?」
ではどういう勝負か、探ろうとするトゥリヤ。そこのところを察せずとも損得はないはずだが、生粋の負けず嫌いのようだ。
と、外へ通じる扉が開く。入ってくるのは、天秤棒に桶を二つ掛けた奴隷。街外れにあるという川から、水を汲んできたのだ。
「なるほど? 水汲みを競うのか」
「そうだ。そこの貯水槽をいっぱいにするまで、桶をいくつ運べたか。それでどうだ」
貯水槽は、およそ五メルテ四方。深さは二メルテほど。今の時点で、水量は半分に達しない。
覗きこんだトゥリヤは「ハッ」と、自信ありげに嘲笑う。
「良かろう」
そう答える声も、勝つ気に満ちていた。
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