第19話:人には表と裏が
倉庫には多くの食料が詰め込まれていた。この島でまだ見ていない羊の燻製や、この辺りでは採れない香草類もふんだんに。
酒はまた、別の倉庫があるに違いない。厨房には十本ほどしかなかった。ただその半分は、北の隣国で作られる野苺酒。近辺で流通する中では、最も値の張る酒だ。
「物は相談だが」
「ひっ。あ、ああザハーク殿。何だろうか」
「そこにあるのは野苺酒だろ? 一本譲ってくれよ」
先ほどの料理人に声をかけると、また声を詰まらせた。しかし構わず、要望を伝える。
「いやいや、そいつは無理だ。目をつけたからには、高いのも知ってるんだろうに」
「詳しくはない。一遍、飲んでみたかったんだよ」
実は過去に、何度も飲んだことがある。美味いので、譲ってくれるなら嬉しいのは本当だ。だが真意は別にあった。この酒を、いくらくらいで仕入れているか聞き出したい。
「あんたの稼ぎなら、すぐに買えるだろうよ」
「そもそも伝手がなけりゃ、どこにでも売ってるもんか。あ、そうだ。いいことを思いついた」
食い下がるザハークの思いついた「いいこと」に、料理人は苦笑を浮かべる。いいかげんにしろと怒りたくとも、憤りがそこまで蓄積しないらしい。
「俺にも何か仕事をさせてくれ。食器洗いでも粉挽きでも、何でもやるぜ。料理は焚き火でしか、やったことがないけどな」
「そんな奴隷の真似事をしたって無理だよ。一本を買うのに、金貨二枚でも足りない。俺の三十日分の給金と同じくらいだ。そんな物を譲るなんて、首が飛んでしまう」
一本の単価が金貨二枚で足りない。それはおそらく、かなり足元を見られている。産地である北の隣国から、この国を飛び越えた南の隣国でも、金貨一枚を出せば多少の釣りがあった。
北の国は軍事力がさほどでなく、無用な揉め事を嫌う。きっと行商に来ている商人が、勝手に値を吊り上げているのだ。
「へえ、そんなに高いのか! そりゃあ無理を言った。それほどとは思わなかったんだ、悪いな」
「分かってくれたなら、問題ないさ」
我がままを言われたことも、調理の手を止めさせられたことも。何もなかったように、料理人は笑う。
おかげでこちらも「手間を取らせた」と、ひと言だけで退散出来るのは楽でいい。
次はどこへと考えて、中庭を見ていないのに気づいた。外へ出るなと言われたのだから構うまい、と屁理屈を言いわけに早速向かう。
――他人の財布の緩み具合いは知ったこっちゃないが、相当に暖かいらしいや。
作業をする兵士や奴隷も多く通る一階の廊下に、絵画が飾られていた。野苺酒の件に然り。改めて驚くことではなかろう。街の困窮するさまを見れば、限界を超えて搾り取っているのは自明だ。
国を富ませる為でなく、ただ国王が贅沢をする目的に使うとは愚かとしか言えないけれど。
――ってことは、あの公爵も馬鹿野郎どもの一員てことか? そうは見えなかったんだがな。
これに関しては実績を知らず、印象でしか考えられなかった。ともかくこの国の方針は、国王のやりたいようにやる。その資金は住民たちからだが、限界は近い。
すると当然に、国は滅ぶ。そうなっても知らぬ、なるようになれと自棄になっている。などと、さすがにそれはあり得ない。
もしもそんな自暴自棄に陥っているのであれば、無駄に金のかかる厳戒令など出しはしない。
「やあやあ、諸君。見せてもらえるか?」
「何者だ! っと――ザハーク殿、急に声をかけないでもらいたい」
馬も通れる、両開きの扉の向こう。四方を建物に囲まれた中庭に、三十人の騎士が集まっていた。誰もが胸当てに兜。腰へ剣を吊るし、その上で槍を手にした。
一人だけ壁際の椅子に座り、頭頂へ赤い房を付けた男。きっと隊長だと当たりを付けて話しかけたのだが、なかなか難しい要求をされた。
「あん? するってえと俺は五十メルテほども手前から、『今から声をかけるぞ』とか叫んで近づくのか」
「はっはっはっ! そういうことになるな」
「そんなの喉が嗄れちまうから、今後は原っぱへ出ないことにするぜ」
相手の騎士は豪快な笑いだけでなく、いちいち声が大きかった。身分を聞くと、隊長には違いない。けれども予想を超え、この国の騎士団長と名乗った。
「じゃあ天空騎士団も、あんたの部下か」
「いや彼らは別だ。我が軍団は、神聖騎士団なのでな。貴公のことは、いくらか聞かせてもらっている」
「んん、俺のことを?」
特等の賞金稼ぎザハークと言えば、国を隔てても知る者はいくらも居る。しかし騎士団長の言いざまは、そういう風でない。
「団長、指示書をいただいてきました!」
と。ザハークのくぐった扉を、絶叫と呼んでいい声が駆け抜けた。見れば、いくらかぶりの顔があった。最初に出会った、若い騎士だ。
「ラエト、遅いぞ!」
「申しわけありません!」
面頬を上げている騎士団長の表情が、朗らかな笑みから憤怒の形相に一変する。若い騎士、ラエトの手にある羊皮紙を待ちかねていたようだ。
――怒った。こいつ、怒りやがった。
ただしそれは、若い騎士への教育方針であるらしい。ラエトが大声で謝ると、すぐに元の笑みに戻った。
そうして見ると、好々爺という感じの優しげな男なのだが。いや、雰囲気がそうというだけで、実際には五十回りであろう。
「儂の甥が世話になった」
「甥。ああ、そうなのか」
「そ、そうなんだ」
「ラエト。貴様、歴戦の戦士に向かって何たる口の聞き方か!」
また、盛大な雷が落ちた。緩急の差が凄まじく、振り返って同意を求めたことに罪悪感を覚える。
「申しわけありません!」
それでもラエトは、へらへらと笑う。騎士団長はどう感じているのか、「分かれば良い」と矛を収めた。
そしてまたザハークに向かい、握手を求める。断る理由もなく、応じた。
「貴公には未熟な甥を助けてもらった恩がある。大きな声では言えぬが、あれは公爵閣下の指図でな。無謀と分かっていても実行せんわけにいかなんだ」
「あれ、ってのは荷車の護衛をわざと少なくっていう?」
「そうだ。無駄死にをさせるのに、有望な若いのを使うわけにいかん。この馬鹿者で十分よ」
気まずげに笑うラエトを横目に、騎士団長は握った手に力をこめる。
嫌がらせなどではない。立場上、言葉に出せぬ想いを察してくれと目が語っていた。
「騎士になれたんだ。そう馬鹿にしたもんじゃないさ」
「そう言ってくれるか」
親馬鹿ならぬ叔父馬鹿の騎士団長は、また声を上げて笑う。
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