第18話:城の内情

 外出禁止の代わりに、城内のどこへ立ち入っても構わない。ただし三階以下の階層ならば。

 レミル公爵の言葉に、ザハークは喜んだ。賞金稼ぎをやっている理由の一つは、好奇心を満足させる為だ。退屈な毎日の繰り返しなど、性に合わない。

 城と呼ばれる場所へ泊まったのは何度もあるが、どこへでも入って良いと言われたことはない。遠慮なく、普通は入れないところへ踏み込んでいく。


「ひぃっ! う、うぅザハーク殿、驚かせないでくれ」

「俺は普通に歩いてきただけだ」


 最初に赴いたのは、二階の騎士詰め所。城壁周りなどの出張所ならば、入れてくれる国も多い。けれども、本城の中はない。

 現場指揮官級でなく、騎士団でも幹部に当たる者の待機所であるから機密も多かろう。

 ただ、いわゆる偉い人物に興味があったわけでなく、巨鳥の乗り手たちが居ると考えた。


「天空騎士団ってのは居るか?」

「気になるかい? すまないが、ここには居ない。彼らは近衛も兼ねていて、五階に詰めている」

「そうか、ならいい」


 室内には頑丈なだけが取り柄の、大きなテーブル。簡易に煮炊きに使える炉。設備としてそれくらいで、珍しい物はない。


「時間があるなら何か飲んでいかないか。私たちは休息時間でね」


 ざっと見回しただけで立ち去ろうとしたザハークを、近くに居た別の騎士が引き留める。たしかにテーブル上にはパンとハムが放り投げられ、腹へ詰め込む用意がされていた。


「煎じ茶か葡萄酒か。そのまま飲んでも、ここの水はうまいがね」

「ん、光の泉のか」

「まさか。四階より上に常駐する人でないと、飲める物じゃない。俺たちは祝いごとのときにでも、一杯飲めれば上等さ」


 汲み置いてあるのだろう。騎士はピッチャーを少し持ち上げて言った。


「へえ。じゃあその水は?」

「光の川さ。街外れに流れてるが、見てないか? 光の泉と水源は同じのはずだ、多少のご利益はあるだろうよ」

「そいつは見落としてたな。うちの相棒は素早すぎる」

「ああ、そうだ。あんたの竜の話を聞かせてくれ!」


 ダージのことを口にすると、騎士は勢い込んだ。報酬のつもりか、水を注いだカップを押し付けてくる。


「あの竜はどうやって捕まえた? 乗りこなすのに、特別な何かが要るのか?」

「いや、ダージは俺の親友でね。相棒との過去を勝手には話せんよ」

「竜が親友?」


 竜を目にすること自体が稀有な時代。親しくない者に、どう見えるのだろう。あくまで獣や魔物の延長なのか、また別枠か。


「まあそれでも一つ言うなら、ダージを捕まえたことなんかない。相棒が俺を好いてくれて、一緒に居る為に乗せてくれるんだ」

「そうか。詳しいことを聞きたいが、難しいなら仕方がない。ありがとうよ」


 結構な核心でもあったのだが、騎士は理解出来ないという顔をした。しかし微笑んで、それ以上を問おうとはしない。


 ――巨鳥に乗るのだって、命懸けで卵を見つけるんだろうに。

 感情の向きは置いても、どうしても乗ると強い気持ちがなければ無理だ。上司や賞金稼ぎの言い分を、はいそうですかと聞き入れるようでは。


「邪魔したな」


 受け取った水を飲み干し、カップを返した。五階へ入る許可はないので、階段を下る。次は何が見たいだろうと考えて、思いついた。足を厨房に向ける。


「きゃあああああ!」

「何ごとだ!?」

「ひっ! ひっ……ひ? こ、これはザハーク殿!」


 灯りの行き届かぬ地下で、無理もなかろう。料理人の補助をしていた給仕の女が悲鳴を上げた。こっそり顔を覗かせたわけでもないのだが。


「驚かせてすまんな。見学に来た」

「ああ、はい。しかし何か興味に適う物がありますやら」


 女はまだ動悸が治まらぬようで、笑みを浮かべながらも胸を押さえた。代わって機嫌良く、料理人の一人が応じてくれる。

 ここへ来たのも、やはり興味本位だ。村を救う約束をサリハとしたが、それだけに集中するとは言わなかった。

 何に向けての興味かと言えば


「食料庫を見せてくれないか」

「食料庫? 野菜やら燻製やら置いてあるだけだが」

「そうだ、それが見たい」


 興味の正体を細かく言うなら、知識欲と言えた。一国を治める城の台所とは、どれほどの富を蓄積しているのか。

 知ったとてすぐには何も役立たない。それこそ燻っている隣国の密偵なら、高く売れようが。

 これまでザハークが、ダージと二人して戦った相手は個人や個体。組織であっても数十人程度。それがいつか国を相手にすることが――ないだろうけれど。

 もしもそんなことがあったら、と想定して戦い方を考えるのは数少ない趣味と言える。当たってもいない富くじの使い途を考えるようなものだ。


「手前に作業場を置いて、奥が肉類。その向こうは野菜類。最も壁際が穀物だ」

「広いな。俺の家が五十も入りそうだ」

「ははっ、まさか。特等ともあろう者が、そんなちっぽけなもんか」


 俺の家、と想定したのは貧民街にあった家屋。一軒辺り、この城の一部屋にも満たない。そんな家に七、八人ずつが住んでいた。この食料庫はおよそ十倍に、芋やハムが並んでいる。

 料理人は「好きに見てくれ」と、持ち場へ戻る。言われた通り、粉挽きをしている作業場の男に歩み寄った。


「何をしてる?」

「あ、あの……」

「どうした? 俺は台所仕事が分からんから、聞いただけなんだが」

「わ、私は。あの、大麦を……」

「ほう、挽くとこんな色になるのか」


 概ね白い中に、泥をかけたような黒が混ざる。遠目には砕いた消し炭に見えた。その色が気になって聞いたのだが、興味は作業をする男に移った。


「あんた、身分は?」

「ど、奴隷……」

「粉挽きばかりやるのか?」

「い、いえ。仲間と毎日、交代で色んなことを……」


 厨房と倉庫の間。磨かれた石畳に布を敷き、男は大きなすり鉢を抱える。元は長衣だったらしいボロ布を纏い、手はあかぎれだらけ。髪も地肌が見えるくらいに短く、乱雑に刈られていた。

 同じような格好の者が、男女合わせて五人。それぞれ草を挽いたり、パン生地のような物を捏ねたり。ザハークの視線が向くと、怯えた視線を素早く背ける。日々、つらく当たられているに違いない。


「この国へ来て、初めて見たぜ」

「そ、そうですか。珍しいものじゃ……」


 奴隷の男は、粉挽きを見たのが初めてと捉えたらしい。そう聞こえるように言ったのではあるけれど。

 だが実際の意味は違った。


 ――白々しい笑い以外を、初めて見たと言ったんだよ。

 国王の顔には退屈と書いてあった。公爵のしかめ面は、きっと臭虫クサムシでも噛んでいるのだ。

 たった二人。この浮遊島に住んでいない、イブレスたちを加えても五人。それ以外の人々は住民も、兵士も、騎士も、同じように薄っぺらな笑みを貼り付けている。

 圧政が敷かれて、反論の許されないのとも違う気がした。


「色々って、例えば?」

「え、ええと。粉挽き、草挽き、掃除、水汲み、荷運び――」


 ひと言ずつ、この言葉を使って叱られないか。そもそも誰とも知れぬ不気味な蛇人と話していて殴られないか。奴隷の声、手指の動きには恐れが深く染み込んで震える。

 褒められた環境では決してない。それでもこの男のほうが、人の感情として正しいのだ。比べて住民や兵士たちは、気味が悪い。


 ――笑う以外の感情を、忘れちまったみたいだぜ。


「あ、ああそうだ。毒見もやります……」

「はあぁ、そんなにたくさんあるのか。大変だな」

「ど、どうも……」

「俺にすぐしてやれることはねえが、ちょっとでも楽になるといいな」


 そっと、背中を撫でてやった。

 するとようやく、他の者と違うことを理解したようだ。奴隷の男は不器用に口角を上げ、哀しく笑って見せてくれた。

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