第17話:公爵との対面

 話の続きなど、ひと言も出来る空気でなかった。店を出て「じゃあまた、旦那」と、セルギンは貧民街の方向へ歩み去る。

 どの通りを歩いても、騎士や兵士に必ず出会った。ザハークにだけでなく、住民たち全員へ睨みを利かす。

 二十歩かそこらを進む度、通行人の数が減っていく。最初は混み合った通りであっても、百メルテ進めば逆立ちでも歩けるほど。どの家も扉を閉ざし、板窓を開けているのが珍しい。

 厳戒令を聞いてザハークが城へ戻るのに、煙管を一本吸う間もあるや否や。街に出歩く人の気配は無くなった。


「何があったか知らねえが、上も下も随分とびびっちまってるじゃねえか」


 人々は家に閉じ込もるのを、競争のように焦っていた。表情は笑っているのに、近所同士で会話の一つもない。「大変だけど気をつけましょうね」くらい、あっても良さそうなものだ。

 また城は城で、下級の兵士たちが忙しく駆けずり回る。門衛の数が増え、その内側に弓や槍の台座が用意された。

 建物の壁から張り出した物見窓バルコニーにも、弓を携えた見張りが待機する。優雅な暮らしのお屋敷という雰囲気から一転、どう見ても戦時下の砦だ。


「なあ、何があったんだ」

「うわっ! って、ああザハーク殿。お客人には後ほど説明があるそうです。今は多忙につき、ご容赦を」


 あの若い騎士は姿が見えなかった。手近な兵士を捕まえて問うたが、答えてもらえない。


 ――説明するって言うなら、それまではおとなしく待ってるか。

 他国との戦だろうが謀反だろうが、騒ぎ立てるものと感じない。仮に巻き込まれて死んだとして、自分はそれだけの男ということだ。

 ただし得られる情報を疎かにするほど、能力を過信してもいない。場合によってはダージを呼び寄せるのも、美しい相棒に危険かもしれないのだから。


「やれやれ。昼間から飲んだくれて待つとするか」


 ベッドに寝転がり、葡萄酒の栓を噛んで外す。慌ただしい兵士や料理人の隙を縫って、厨房からくすねてきた。

 自室に入る前、サリハとイブレスの部屋の前にも立ってみた。しかし三人とも不在のようだった。今日はまた神殿に行き、そのまま村へ帰ると聞いたので当然だが。


 それから、どのくらいが経ったろうか。初めのうちは誰が来るのやらと待ちもしていたが、すぐに飽きて眠ってしまった。目覚めたときの感覚では、昼食時を過ぎたころ。


「ようやくか」


 扉の向こうに、何者かの体温が見える。数は二人で、どちらも男のようだ。だが片方は、鎧を身に着けていない。騎士でも兵士でもないことになるが、誰なのか当てがつかない。


 ――まさか暇を持て余して、国王が直々に?

 なくもない冗談を、さすがに一人で口にはしなかった。


「開いてるぜ。錠のかけ方も知らねえけどな」


 落ち着いた調子で、ノックが二回。鍵を受け取っていないことを皮肉り、声を返す。


「邪魔をする」

「お――これはこれは、公爵閣下。むさ苦しい男の部屋へようこそ」


 寝転んだまま迎えたザハークだが、意外な人物の来訪に驚いた。権威に対しそれほどの意味を感じないが、理由もなく蔑ろにするつもりもない。おもむろに立ち上がり、恭しく頭を下げる。

 その間に公爵は、部屋の中央まで踏み入った。


「おや。名乗った覚えはないが、どの婦人から寝物語に聞いたかな」

「生憎と人間の女に興味がなくてね」

「そうか。次は蜥蜴の生態を調べておくとしよう」


 和ませる為の冗談なのか、蛇人を嫌っての皮肉なのか分かりにくい。何やら緊急の時だろうに、公爵は昨日と同じような宝石を散りばめた上着を羽織る。


 ――あんなのを二着も作るとは、いい趣味してるぜ。


「一応は自分で名乗っておこう。私は国王が実弟、公爵の位を賜っておるレミルと言う」

「しがない放浪の賞金稼ぎ、ザハークだ」

「フッ、特等は伊達で戴けまい」

「さあて? 案外とハリボテかもしれん」


 明らかに国王へ対してとは言葉遣いを変えてみたが、不快を示すことはない。面白くもない軽口に、笑っても見せる。

 役目大事の為に取り付く島もなく見えるが、そうでもないのか。とりあえずの評価を改めた。


「さて、突然の厳戒令に不便をかけておると思う。貴公は王陛下のお気に入りゆえに、間違いがあってはならぬ。よって私が知らせに来た」

「そいつは勿体ないこった。で、何が?」


 返事の前に公爵は護衛の兵士から葡萄酒の瓶を受け取り、ザハークに突き出す。奇しくもなぜか、同じ物がこの部屋にもある。神経質そうな頬が僅か緩み、ささやかな笑みが溢れた。


「また鼠が増えたかな」

「そうかもな。凶暴な奴だから、気をつけたほうがいい」


 瓶を受け取ると、公爵は一つ咳を払う。


「我がコーダミトラの重要な物資を、横流ししている者が居る。その弱みを突き、隣国から脅迫の使者が訪れた。要求を飲まねば、侵略も辞さぬと」

「隣国ってえと? 戦争をしたがるなら南か、それともそんな回りくどい話は東か」


 どれほど高飛車な態度でも、通常外交の範疇なら交渉の使者だろう。それを公爵は明確に、脅迫と言った。そこまでの事態ならば宣戦布告と大差がない。つまり厳戒令も不思議はない。

 が、前提に違和感がある。

 どれほど重要な物であっても。例えば主食の穀物を根こそぎ奪われたとしても、脅迫などと極端な手段を採れる強国は周囲にない。穀物は別の国から借りれば良いし、この国は難攻不落の代名詞だ。


 ――つまり闇の炎ってのは、それほどの意味を持つのか。それとも?

 それとも脅迫の使者は偽りで、厳戒令とは本当の何かを隠す為の方便なのか。


「まだ戦が始まったわけでないのでな。それは答えられん」

「なるほど、そりゃあそうだ。しかしちょっと横流しされたくらいで脅迫の種になるとは、一体何を?」

「ちょっと、ではないが。まあそれも答えられん」


 この場で真実を判別させてくれるほど、人のいい男ではなかった。あの国王を頂に国が回るのは、どうやら公爵の力が大きいらしい。


「いつまでと期限も付けられぬが。その間、貴公も出入りを禁止させてもらう」

「俺が密偵かもしれんからな、当然だろうさ」

「フッ、それは疑っておらんよ。その証拠と言おうか、頼みたいこともある」


 今度は真実に笑ってはいなかった。しかし上から下まで多種多様な人物を応対するのに、そういう技術も必要だろうと理解は出来る。


「頼み?」

「およそ十日後、ある荷の運搬を護衛してもらいたい。昨日、貴公が守ってくれたのと同じ物だ」


 ザハークが闇の炎の名を知っていると、公爵は知らない。それにしても横流しされている物の護衛を、よそ者の賞金稼ぎに任せるとは合点がいかない。


 ――いや知らないからこそ安全、てのもあるか。

 何かの罠か。と思わなくもないが、動機に心当たりがなかった。どちらにせよ、断る選択肢はおそらくない。


「そんなのは得意だが、報酬は?」

「よろしい。金貨で五枚、あるいは同等の望みの物を」

「結構だ」


 何が起こるにせよ、事態が動く最前線に居られる。それは願ってもないことだった。

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