第16話:神話の巫女
神話を話し終えたセルギンは、ごくごくと音を立てて果実水を飲み干す。
まあまあ上手い語り口だった。銀細工の付け足しに聞くには、金貨で足りていないかもと思う。
「どうでやす?」
「面白かった。しかし、父親の馬鹿さ加減が酷いな。銀貨五十枚返すので許してやる」
「は、半額ですかい? あたしの考えた話じゃないんですって」
冗談はさておき、気になる点があった。その一つは泉だ。ゲノシスの村にもあったし、光の神殿とやらにもあるという。
「光の泉ってのがそうなのか?」
「神話を信じるなら、そうなりやすね」
どこの神殿も、神話とはただの言い伝えでなく、現実の歴史と教える。もちろん現実に見てきた者が居るわけでないが、無かったと決める根拠も同様にない。
「一つだったのが、上下で二つに分かれちまったわけだ」
「おっと旦那、下の村を見てきたので? あの竜なら、ひとっ飛びでしょうがね」
ふたつ目は、ゲノシスの村の存在だ。思い浮かべて言うと、やはりセルギンは周囲を憚る素振りで声を潜めた。この店の中では問題ないのだろうが、あまり大っぴらに話すなと。
コーダミトラは宙に浮いている。しかも飛び降りて無事で済むような高さでなく。巨鳥を駆る騎士たちはともかく、それ以外の者は出たくとも出られない。
ならば浮遊島の成り立ちは知っていても、その下に村があることを知らないのでは。そう想定したのだ。
「黄昏の巫女がどんな場所に住んでるか、秘密なのか」
「秘密ってか、まあそうでさ。働けなくなった奴隷やら、追放者とか、そういう輩の行き先と同じとは誰も知りやせん」
「お前は知ってるがな」
おどけた素振りで首を竦め、セルギンは横目に店主を覗いた。自分だけではない、と。
「この街の中だけで自給自足は無理なんでさ。ってことは、よそから商人がやってくる。そいつらの口を完全に封じるなんて、無理な話だ。お分かりでやしょう?」
「だろうな。それでそいつらは、どうやって島に上がる」
「およそ南の一箇所、落差が十五メルテほどのところがありやしてね。その地上に、移動式のスロープが置いてあるんでさ」
少なくとも荷車程度は上げられる代物だ。かなりの大きさがあるに違いない。
けれども移動式なら、いざという時には隠してしまえる。最悪は破壊すれば、誰もこの都市へ軍勢を送り込めない。
平和ボケの理由はともかく、そのスロープを使ってサリハたちも移動しているらしい。
「もう一つ。双子の母親はどうなった」
物語として、ヒロインに愛されたはずの母親の結末が分からないのは不出来と言えた。ただしそれは、セルギンへの聴取料を減らして払うだけでいい。
問題は双子の母親の末裔が、今も存在しているだろうという点だ。推測が正しければ、随分と蔑ろにされている。
「そりゃあ今も、二人の娘の間を行ったり来たりしてるんでさ。もうご存知でやしょ」
「やっぱりか」
離れ離れになってしまった、光と闇の女神。両者を愛し、突然に会えなくなってしまった母親。
せめても娘たちの眠る泉なりと、立ち寄りたくなるのが人情だろう。それが黄昏の巫女という存在なのだ。
「女神の母親なんてのが、どうして流刑地に住まわされてる?」
「いやいや旦那。そいつは順番が逆だ」
「逆?」
やはり伝承になるが、女神たちの母親は分かれた下の土地に移り住んだとセルギンは言った。
月が満ちるまでの十五日をそこで過ごし、欠けるまでの十五日は島の上に移動する。そうして娘たちを見守ったと。
その行為に胸打たれた人々が、母親を巫女と呼んで世話し始めた。最初は島の上も下も、集落に格差はなかったようだ。
「それでも人が増えれば、陽の当たるほうに集まっていくわな」
「そういうこって」
純粋に巫女を信奉した以外の人々が勢力を増し、神聖王国コーダミトラという国が島の上に出来上がる。そこに住む人々は、闇に包まれた島の下を見下し、果ては流刑地にしてしまった。
――知らねえってのは、残酷なもんだ。
これまで何度も味わった感想を、ザハークはまた噛みしめる。
「先代の王さまのとき、母親の墓も見つかったそうでさ。しかしまあ、もう何百年も酷い仕打ちをしてきたんだ。なかったことにしちまったわけで」
セルギンの解説は要点を外すことなく掻い摘んで、分かりやすいものだった。
だが肝心の、聞きたい単語が出てこない。話の流れから、どこかで聞けるものと思っていたのに。
「国の歴史はだいたい分かった。それで学問所の先生に教えてほしいんだが」
「何でやしょ」
「闇の炎ってのは何だ。どんな物で、どうやって作る?」
闇の炎と。その単語を口にした途端、セルギンは反射的な動きで周囲を見回した。当然に店主の夫妻しかなく、その二人もあさってのほうへ顔を向けている。
その上でさらに声を潜めた。先の冗談交じりでなく、今度は本気の様相で。
「耳が早いのは、さすがですがね。そんな物の名を、簡単に口にするのは心臓に悪いってもんでさ」
サリハも決して言えぬと口を閉ざしたが、大げさでなかったようだ。初期の王国民を悪く言えないと自嘲しつつ、知らぬ強みで「へえ?」と皮肉に問う。
「あたしも現物を見たこたぁない。わけあって、手に入れたいとも思ってやす。と言うか、旦那も見たでやしょ?」
「俺が?」
「巫女たちと一緒に、荷車に載ってた瓶。あの中身が闇の炎でさ」
釉薬のかかった白い焼き物の瓶。百本前後もあったのを思い出して、目に浮かべる。
「あれが? ってことはゲノシスの村から運んでるんだな」
「そうだろうと思いやすが、たしかなところは何とも」
「分かった。で、何に使う? よその国に渡しちゃいかんみたいだが、それほど大層な物なのか」
多少の遠回りをしたが、知りたかった核心に辿り着いた。「ええまあ」と前置き、セルギンが答えようと口を開く。
しかし、聞くことは叶わなかった。
「お代わりはいかがです?」
ずっと気配を消していた配膳係の女が、割って入る。頼みもせぬのに、セルギンのカップへ果実水を注ぎ始めた。
何ごとかあったのだろうが、探る必要はなかった。直後、出入り口の扉が荒々しく開けられたから。
「王室からのお達しである。今日この時より、コーダミトラは厳戒令を発せられた。外出している者は、直ちに帰宅せよ。以後、一切の外出は認められない!」
突然のお触れを伝える兵士は、厳しい視線で店内を見回す。ザハークと目を合わせたときだけ、ぎょっと一瞬怯んだが。
「直ちにだ!」
まだ動いていなかった店内の四人に、行動を急かした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます