第二幕:束縛

第14話:朝の風景

 コーダミトラの朝は、街のどこにも平等に訪れる。全ての建物が、斜面に建っているのだから。

 ただしあらゆる物の白く染められた荘厳な光景を、ザハークは見逃した。サリハを連れて城に戻ったのは、夜明けの少し前だった。

 よその街なら朝市が終わるころ。陽を見上げ始める時間に、兵士たちの訓練が始まる。点呼を取り、体操をし、実戦形式の対戦訓練。


 ――元気のいいこった。その調子で、島の外周でも走ってきたらどうだ。

 騒々しさに、目を覚ましてしまった。城を飛び出し、ついでに街の外へ行ってくれるよう期待したが、叶わなかった。

 仕方なく、硬いベッドから出て伸びをする。ちょうどそこへ、誰かが扉を開けた。


「さすが特等の賞金稼ぎは、部屋に居る間も身体を動かすんだな」


 毎度の若い騎士だ。ザハーク自身は寝ぼけ眼だったが、人間に見分けはつかぬらしい。


「それはもう」

「なら、すぐに行けるな」

「どこへ?」

「国王陛下のお召しだよ」


 夕食や昼食までも待てなかったようだ。起きてすぐのパターンかと呟いて、騎士に怪訝な顔をされたがごまかした。


 ――しかし騎士さまともあろうものが、賞金稼ぎごときの案内とはな。歓迎されたもんだ。

 客の扱いといえ、庶民の案内など普通は侍女か、その下の家事見習いなどが精々。王が好事家気取りでザハークを珍品扱いしているか、神経質そうな公爵が警戒しているか、どちらかだろう。


「謁見室じゃないのか」

「ああ、今日はこっちだそうだ」


 騎士は下りの階段へ向かわず、昨夜飛び立った窓のあるほうへ歩いた。そちらには上りの階段がある。


 ――まあどうせ、脚色した馬鹿話をするだけだ。どこでもいいさ。

 何も準備していなかったが、猪人オークの集落を壊滅させたときの話でもすることにした。単独で行ったのだが、ちょっとした軍勢同士の戦いだったことにするかと妄想を膨らませる。


「ん、あれは?」


 階段の覗き窓から、何気なく外へ目を向ける。と、羽ばたく巨鳥の姿があった。

 飛盗がこんなところまでも、と足を止める。けれども驚いたのは一瞬。乗っているのは金属の胸当てを着けた騎士だ。それも一騎でなく、三羽をひと括りとして三隊居る。


「我がコーダミトラの誇る、天空騎士団だ。午前はいつも訓練をしている」

「へえ、そんなのが居るのか。凄えもんだ」


 胸を張る若い騎士が、本当に誇りとしていると表情で分かる。いつかああなりたいと、憧れを含む雄々しい笑みだ。

 もちろんいつまでも眺めている暇はなく、四階の一室に急がされる。

 入った部屋は、どうやら王の使う食堂だった。十人で座れるテーブルに、国王だけが着く。焼きたてのパンと焼き菓子と、スープを啜りながら迎えた。


「おお、賞金稼ぎよ。今日も何か面白い話を聞かせよ。派手な戦いの経験があれば、それが良い」

「はあ、ならばちょうど良い話が」


 どうでも良いところに勘が冴えている。ともあれ今日の食い扶持分は、王を楽しませた。やはり一つのエピソードだけで、公爵のストップがかかってしまったが。

 御前を退くと、また若い騎士が姿を見せる。


「物売り横丁には行ったか?」

「へえ? 行ってないな」

「それほど目新しい物はないかもしれんが、仕立て屋か革細工師のところへ行くといい。その装備の直しも頼めるしな」


 貧乏な街に、そんな通りがあるとは意外だった。例によって挙げられた二つは、王室御用達の監視役なのだろうけれど。


 ――正直に行けと言って、そう毎回従うほど馬鹿だと思われてるのか?

 仕事熱心なのは間違いない。給金が上がることを祈ってやった。それはさておき、物売り横丁と呼ばれるならば露店の一つや二つあるのだろう。この街を知る当ても他になく、行ってみることにした。


「よう、やっぱり居たな」


 薦められた道順でなく、人が通ることを前提としない隙間を抜けた。目当てにしていた人物は、「旦那、どっから出てきやした?」と目を見開く。

 相手はもちろん、騎士の言った店でない。石畳に布を広げ、地べたへ座り込んで銀細工店を開く男だ。


「あたしに何かご用で?」

「出してる物、全部買ってやる。付き合え」

「はあ、構いやせんが。男とは初めてなんで、優しくお願いしやす」

「やかましい」


 横丁と呼ぶに相応しい、細い通りだ。ただそれは、左右に露店が出される為に道が狭められている。どの店も屋根さえなく、縄張りは敷かれた布か木の盆で示された。

 並べられた品も、どこに価値を見出して良いのか分からぬ物が多い。薬草類はまだしも、野菜の皮を干したのとか、握るのにも小さい炭の欠片とか。

 そんなところで銀細工などと、売れるはずもあるまいに。


「お前、商売になってんのか」

「儲けるのが目的じゃあ、ありやせんからね」

「だろうな」


 手早く商品を片付けたセルギンは、ザハークの出す金貨を素早く取った。奪ったと言って良いくらいに。

 敷いていた布ごと丸めて、「誰かに贈り物ですかい?」と商品が差し出される。しかし受け取らなかった。


「お前に任せる。誰かにやるか、また次の商売に使え」

「へえ、そりゃどうも。焼き菓子だけとは、見誤ったかと思ってやした」

「物事には何でも、順番とか段階ってのがあるだろ。初っ端から強引にってのは、下品だ」


 布の口を括って、セルギンは肩に抱える。「その冗談も下品ですがね」と余計なことを言いながら。

 食事の出来るところを指定すると、彼は即座に「へい」と答えて向きを変えた。やはり昨日の酒場ではないようだ。


「まともな店じゃねえか」

「先代の王さまの時は、まだましだったようですよ。今は虫の息ですがね」


 焚き火で湯を沸かすような場所でも良かったのだ。こちらの話を耳に入れず、飲み食い出来る物さえ出してくれれば。

 けれども予想に反し、着いた店は木の柱が使われたまともな建物だ。


「この国の騎士は、空を飛ぶのか」


 さっそく店に入り、テーブルへ。二人で使うには小さな物だが、どうにかなるだろう。それが四つと、カウンターが三席のささやかな店構え。

 よく見れば継ぎ接ぎだらけの柱に、手積みの石壁。他の住居よりは、本当に少しだけましという程度だ。


「訓練を見たので? あんなのが居るんで、飛盗もなかなか仕事がうまくいかないようでさ」

「人ごとみたいに言うんだな」

「ここに居るあたしは、銀細工師のセルギンなんでね」


 注文をした覚えはない。だのに厨房の店主は、何やら料理を始めた。妻と思われる配膳係は、果実の香りのする澄んだ水をテーブルに置く。


「もうすぐ生誕祭なんで、あの人たちの訓練にも熱が入ってることでしょうよ」

「生誕祭って、お前のか」

「ああ、いいですねえ。誰かにそこまで祝ってもらいたいもんです」


 店の夫妻は、こちらから声をかけない限り何も言わない。セルギンを相手には、そうすることと決まっているらしい。


「女神さまのでさ」

「ミトラの?」

「ミトラとゲノシス。この国の女神さまは、双子なんでさ」


 浮遊島の下にある村を、ゲノシスの村とサリハは呼んだ。光と対になる女神ということか。


「闇の女神、か」

「さいです。なかなか人間くさい女神さまでしてね。言い伝えを聞きやすか?」

「面白くなかったら、金貨を返せよ」

「そりゃ酷い。あたしの考えた話じゃないのに」


 不満に口を尖らせつつも、セルギンは語り始めた。美しくも悲しい、双子の神話を。

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