第12話:サリハの願い
「サリハは?」
幕の外に、ダージは寝そべっていた。首を少し持ち上げ、方向を示してくれる。声を発することはない。
小さく顎を動かすのは、件の毒蟲でも見つけたのだろう。
「そうか。虫は潰して、集めといてくれ。後で別に、美味い物をやるから」
鼻息を細かく、フンフンと浴びせられた。了解してくれたらしい。
あまり期待されても、この街ではろくな物を用意できないかもしれない。苦笑しつつ歩み始めた後ろで、さっそく一匹見つけたようだ。
「水が出るのか?」
ふと、ここが岩盤の上と思い出した。なかなか難しくはあるが、ちょうど裂け目でもあるのだろうと納得する。
信じようが信じまいが、水の気配はすぐに漂い始めた。
「手伝うかい?」
いくつかの茂みを隔てて、水場はすぐにあった。波のない、完全な平面。周囲の地面も平らで、単なる水たまりに見える。
ただし広い。これが風呂なら、大人が二十人ほども入れる。ダージが水浴びするのに、十分な大きさだ。
サリハはその水際に、しゃがみ込んでいた。脇に置かれた桶に、もう水は汲まれている。
透き通っていても、泉の底は見えない。闇の底で、一段と深い黒。
「いえ……」
しゃがんだまま、陰鬱な返事があった。背後から近寄ることになるが、位置関係の上で仕方がない。
「どうした急に。何かあったのか」
「どうか……」
ひと言。何か願いごとを呟きかけて、サリハは黙る。思い詰めて、いや彼女も病を持つのか、息が荒い。
何が何だか、察する糸口もなかった。村の有り様は酷いが、彼女には日常だろうに。
「どうか?」
激しく上下する肩を、指先でつつく。
ビクッ、と。これまでにない拒絶が、サリハの身体を固くした。
「どうか、お願いです。もう少しだけ、殺すのは待ってください」
真っ黒な踊り子風の服が勢い良く立ち上がり、迫る。殺すなどと、どちらが暗殺者に見えるか問えば、彼女のほうだろうに。
もちろん彼女を殺す理由も、殺される理由も覚えがない。だがサリハには、それがあるらしい。
「はあ?」
「無理なお願いとは分かっています。あなたに呼び出されて、覚悟をしたつもりでした。でも村のみんなのことを思うと、せめて真実を突き止めてからでなければ」
泣きべそをかいて、唾が飛ぶのも意識していない。これで鼻水も垂らしていれば、手拭いで顔を押さえつけてやったのに。
「ちょっと待て! 何を言ってる?」
「知っています。私たちが闇の炎を売り渡していると疑っているんでしょう? でも違うんです。その証拠を得る為に、イブレスさまは今夜も……」
勢い余ったサリハは、ザハークの胸元に掴みかかる。泣き喚くと言ったほうが、もはや近い。
柔らかな拳がいくら殴りつけても、こちらの胸に衝撃さえほとんど感じなかった。
ただ、それは表面的なこと。素早くともか弱い腕に打たれる度、背中まで突き通すような強い想いが目にも見える。
「待て」
両の手首を掴み、動けなくする。誰かに目撃されれば、凶悪な蛇人が若い女を襲う外に見えまい。
サリハはまだ暴れようともがくが、地面から足が離れて諦めた。が、ひきつる呼吸も構わず、瞳だけは睨みつけてくる。
「分かった、俺はお前を殺さない。絶対にだ」
「ほ、本当ですか」
「本当だ。その代わり、答えろ。イブレスがどうした。闇の炎って何だ」
ひゅうっと。喘息のような息が、小さな唇に吸い込まれる。ほんの少し前に見たよりもまだ大きく、瞳が丸く見開かれた。
「闇の炎を知らない? まさか、私を殺す為に連れ出したんじゃないの!?」
「だから待てと何度も言ってるだろうが。俺はお前らが何で城に居るのか、聞こうとしたんだ。散歩に誘ったのも、辛気臭え城の中よりいいと思っただけだ」
もう問題なかろう。そう思い、手を放す。すると浮いていた僅か数サンテを受け止めたサリハの膝は、へなへなと崩れ落ちる。水辺の湿った土に、へたり込んでしまった。
「無関係の人に――私は、ああっ!」
「あん?」
顔を覆い、頭を抱え、サリハは悶える。関係のない疑いをかけたから、程度ではない。さっぱり呑み込めぬことに、少し苛とし始めた。
「都合の悪いことは言わんでいい。俺に分かるように、順序よく話せ。出来るな?」
目の前にしゃがんだが、それでも見下ろす形になる。
肩を掴んで軽く揺すると、大きく深呼吸をしてようやく、「はい」と弱々しい返事があった。
「それがどんな物か、私の口からは言えません。闇の炎を、外に出してはいけないのです。でも噂によると、隣国が手に入れたとか」
「どこの噂だ」
「神殿です。それに王城の騎士や、貴族の方々も」
それほどまずい物ならば、噂もすぐに大きくなるだろう。だが街中で、そんな声は一つもなかった。
しかも兵士でなく、騎士や下級貴族。ある程度以上の身分でなければ知らぬというところは、信憑性のある気がした。
「お隣さんに渡したのは、お前たちだって?」
「そう疑われています。まだ直接に問い質されてはいませんが、公爵閣下からもそれとなく聞かれました」
噂が囁かれ始めたのは、もう随分と前らしい。横流しをするにしても、どこからどう動かしたのか、それさえ分からぬようだが。
「隣国の使者から、所持していることを暗に言われたのだそうです」
「で、俺が犯人の消去役だと思ったのか。証拠を集める手間を省いて、殺しちまえば手っ取り早いと?」
コクリ。声を出して落ち着いたのだろう。サリハはゆっくりと首を上下させた。続ける声も、もう震えていない。
「だってそうでしょう。夜更けにうろつく私を捕まえて、あの兵士たちは遂に尻尾を掴んだと思ったはずです。きっとこれから、何かしでかすところだと。以前は私たちの部屋に、近づきもしなかったんですよ」
黄昏の巫女は神聖な存在で、不用意に接してはならない。だというのに噂が出てから、部屋に居ても外から窺う気配が絶えなくなった。けれども怪しい素振りが見えないので痺れを切らし、ザハークが呼ばれた。そう考えたのだとサリハは言う。
「兵士に疑わせ、一旦は救う。そうすればあわよくば、真実を話すかもしれない。でなくとも殺す、という筋書きと思いました」
「……あんた、吟遊詩人になれそうだな」
想像力の豊かなことだ。食うことも遊ぶことも出来ず、空想くらいしかないのだろうが。
その妄想力が、独自に動き始めたイブレスの危機をも予測させたらしい。居ても立ってもいられなくなり、部屋を出た途端に見つかったのが今夜の顛末だとサリハは言った。
「だいたい分かった。それで巫女さんは、誰を疑ってるんだ」
「誰、とは分かりません。ですが数をごまかせるような人は、高級貴族の方々しか居ないと」
「なるほどなあ。調べるのは一人でやるから、あんたは大人しくしてろってか」
あえて言わなかった部分を言うとサリハは、ばつの悪そうに顔を伏せる。
嘘の吐けない踊り子と、人たらしな雰囲気のある巫女。後者は全く想像だが、少なくとも前者より調査に向いていそうに思う。
このことを踏まえれば、トゥリヤの冷たい態度も分からぬでない。巫女の言いつけに従わぬのは、サリハなのだから。
「幕の連中が言ってたよ。自分らなんかに構わず、サリハさまには好きに生きてほしいって」
「そんなことを?」
「聞き違いかもな」
セリフの後半は創作だ。しかしおそらく、間違っていない。サリハには「何ですかそれは」と拗ねられた。
「それを言うなら私のほうです。私なんてあくまでも、何かあったときの予備。イブレスさまさえ居れば、問題はありません。後は村のみんなが、苦しまずに生きてほしい。それ以外に、望むことはありません」
村の現状について、正直なところ仕方がないと思う。火山の近くに住んでいて、噴火で全てを失った人々を見たこともある。
かわいそうとは思うが、火山にそこを退けとは言えない。浮遊島にしても、まさか撃ち落とすわけにいくまい。
ただし、もう一方は面白いと思った。
「俺の商売を知ってるか?」
「特等、でしたか。賞金稼ぎですよね。悪人や魔物を狩る」
「儲かるのはそうだ。でも俺はそれほど、銭を貯め込もうって気はなくてね。美味い物、珍しい景色、面白い話があればどこへでも行くし何でもやる。釣り合いさえすればな」
今度はサリハが、何を言っているのか分からないと首を傾げた。しかし思案顔の後、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「助けてくれようと言うんですか」
「報酬があれば、やってもいい」
「そんな。特等などという方に支払える物なんて」
死に瀕した村を顧みて、痩せた女は呻く。他に何か持ち物はなかったか、探す視線が己の身体で止まった。
「わ、私などでよろしければ……」
じっと動かさぬ視線。引き結んだ唇。覚悟のほどが伝わってくる。この村でイブレスとサリハだけは、子作りの責務を負っていないようだ。
「馬鹿か。蛇人の俺が、何で人間なんぞに欲情せにゃならんのだ」
「あ、ああ。そうなんですね」
詰めていた息が「ほうっ」と声として漏れた。彼女は恥ずかしそうに、顔を背ける。
「余裕のあるときでいい。この村のいつもの食事を食わせてくれ」
「えっ」
「聞こえなかったか?」
「いえ、そんな。あんな物を?」
城や神殿で出される食事を食わぬわけにもいかない。その知識が、普段の食事をあんな物と呼ばせる。
悲しいことだ。それがどんなものか、どんな気持ちか、知ってみたい。未知のものに、ザハークは弱い。
「食ってみたいんだよ」
「分かりました。どうにかご用意します」
大陸西方諸国の認めた賞金稼ぎの実力が、この国でも通じるや否や。試すのもまた面白いと、ザハークは笑った。
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