第5話:銀細工師

「あんたは?」


 出されたからと、すぐに握り返しはしなかった。初めて訪れた街の、初めて会う人間。だがこの手には、毒針が仕込まれているかもしれない。

 名が売れるとは、理不尽を抱え込むことだ。


「いやいや、どうもどうも。あたしはね銀工房で掃除夫をやってる、チンケな野郎でさあ」


 宙に浮いた手を、ただ見つめる。するとセルギンは肩を竦め、おどけた表情を残して店主のほうへ向かった。


「銀職人じゃないのか」


 カウンターの端に、ナイフやフォーク、燭台などが十数点並べられた。セルギンは素早く革の手袋を嵌め、曇り具合いを見ていった。


「自分で材料を仕入れる余裕がないんでねえ。工房のゴミから、塵みたいな欠片を集めるんでさ。王室御用達なんて恵まれた身分でなきゃ、この街の奴はそうやって稼ぐしかねえんだな、これが」


 作業をする肩越しに、セルギンは指をさした。店主の後ろの壁に、王冠を示すらしい札が掛かっている。


「聞いただけで気の遠くなる話だ」

「特等の賞金稼ぎさまに言わせりゃ、そうでしょうねえ」


 皮肉られた立場の店主だが、そのことに感情を動かした様子はない。仕事も信用しているようで、ザハークに出す料理へ集中した。

 しかし視線を感じたのか、ちらと見返って言う。


「ミトラに守られたこの街に住めるだけで、命を買ってるようなもんだからね。文句を言うのは居ないよ。セルギンだって、来て三年だったか? すぐ慣れたじゃないか」

「そうそう。何しろ何百年も、攻め込まれたことのない街なんて他にないから。安心して一生暮らせるだけで、大儲けってね」


 話す間に、銀器の磨き作業は終わったらしい。セルギンは店内の装飾を点検にかかる。


「あんたはよそから来たのか」

「ええ、まあ。戦で村が焼けちまって、気づいたらここへね」


 西方諸国は連合を組んでいるが、争いは絶えない。一部の貴族が暴走したことにして、拠点を潰したり物資を奪ったり。連合の寿命も長くないと、もっぱらの噂だ。


「まあたしかに、街ごと浮いてるのを攻めようがないな。飛盗なんかは例外として」

「おや。もう飛盗に遭ったんですかい、災難でしたね」

「いや、行きがけの駄賃というやつだ」

「さすが、さすが」


 大陸広しと言えど、空を飛ぶ騎獣は貴重だ。どの国も戦争の備えとして組織するほどの数は居ない。

 もちろんザハークが士官を望めば、喜んで受け入れてくれるだろう。実際に軍籍にある竜騎士も、何人か知っている。


「終わったなら、一杯飲んでいけよ。さっきの詫びだ」

「おやおや。そんなことを言われちゃあ、遠慮は出来やせんね」


 握手を拒んだ代わりと、銀貨一枚を店主に投げ渡す。するとセルギンは磨き粉や布を手早く纏め、ザハークの隣へ飛んでくる。

 最も値段の張る葡萄酒が出されると、二人はジョッキをぶつけ合った。


「勇敢な賞金稼ぎザハークに!」

「熱心な銀職人に」


 乾杯と同時に、空いた左手を差し出した。高空で唯一頼りとなる、手綱を握る手だ。翼獣の乗り手に独特の、胼胝たこが何重にも出来ている。


「ああ、やっぱりな」

「何で分かりやした?」

「その卑屈な話し方と、態度が釣り合ってねえ」

「以後、気を付けやしょう」


 セルギンの手にも同じ感触があった。どうしてとは聞かない。聞いても詮ないことだ。


「もう一度聞くが、この街の住人たちに不満はないのか」

「ええ、間違いありやせん。そりゃあそうでしょう、これほど分かりやすいご加護もないってもんです」


 やはり肯定があって、セルギンは一瞬の視線を店主に向けた。注意がこちらへ向いていないのを分かった上で、睨みつけるように。


「他に理由があるなら、あたしも知りたいくらいでさあ。でもそんなものはないんですよ。みんな貧乏だけどね、心底幸せだと思ってる。これだけは間違いないんだ」


 出来上がった料理を、店主がカウンターに載せた。炒めた野草の上に、細かく切って揚げた芋が散らされている。肉の気配は全くない。


「そうそう。最低限の食べ物は保証されてるし、最高の街だよここは。いくら贅沢が出来るとしても、よそへ行こうとは思わないね」


 店主も頷いて同意する。セルギンは密かに皮肉った笑みを作り、「そうそう」と。


「なるほどなあ。蛇人に驚く奴が居ないのも、ご加護ってことか。女神さまが居れば、怖れることはないってな」

「いやそう言われると、正直なところ驚いたんでさ。蛇人も蜥蜴人も、この街にゃ居ないんでね。騎士さまから聞いてなきゃ、お近づきになるのはもうちっと遅かった」


 料理を食べていいとは言っていない。けれどもセルギンは、冷めた端のほうを手掴みで摘み上げる。それを店主が「セルギン」と声を低くした。


「お前はどうも、余計なお喋りが多いな」

「あっ、そうですかい? そいつは気づかなかった、勘弁してくだせえ」


 まだ半分残った葡萄酒のジョッキを、店主は取り上げる。慌てるセルギンだが、これは演技でないらしい。


「まあまあ店主。俺と同じ皿の物を食うとは、なかなかの珍獣だ。駆逐するのは惜しい」


 言いつつ、自分の払いも含めて大銀貨を渡す。銀貨なら十枚分で、明らかに多すぎる額だ。


「そうかい?」

「俺は賞金稼ぎなんて、下衆な商売をやってる。見返りなしに動くなんざ、あり得ねえこった」


 店主はザハークの顔と、手の中の大銀貨とを交互に見比べる。どういう意味か、図りかねているらしい。


「何か働けば、報酬はあって当然だ。自分には当たり前のことを、人に話すだけだとしてもな」

「ああ――」


 店主は大銀貨に息を吹きかけ、下着の腹の部分で磨いた。それを大事そうにポケットへしまうと、「その通りだ」と答える。

 その眼に、次はいくらくれるのかと書いてあった。


「そう急くなよ。街の奴らが本当に満足してるのか、知らないんだろ?」


 店主とセルギンは顔を見合わせ、分からないと両手を広げる。

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