19 城塞 下
同じ頃。
武蔵。
江戸。
北条五色備え、青備えの長である富永直勝は、真田幸綱と原虎胤を引見していた。
「……して、当家の綱成が、そなたらにこの書状を託した、というわけか」
大柄で、まるで熊のような外見の直勝は、書状をのぞき込むような感じで、読んだ。
「ふうむ。下総千葉家への手当を……か。委細は分かったが、具体的にはどうする? 江戸としては、下総へはうかつに兵を向けられぬぞ」
河越とならんで、武蔵野の要である江戸には、北条家は青備えを常駐させていた。最前線である河越に何かあれば、第二陣として、駆け付けるためである。むろん、房総方面への抑えとして、主に里見家ににらみを利かせるためでもある。
そして今、河越を八万の軍が囲んでおり、直勝率いる青備えとしては救援に向かうべきであるが、里見家の蠢動と、石浜城の武蔵千葉家の存在が、それをさえぎっていた。
「割り切って、房総へと兵を進めても良いが……その時は、河越の八万の軍が、綱成に牙をむくやもしれん」
江戸の青備えが、河越の関東諸侯同盟軍に対する抑止力となり、その総攻撃の可能性を目減りさせていた。
河越を実際に攻撃すれば、江戸の青備えが速攻で北上し、背後を衝いてくるのではないか。
その懸念が河越八万の軍の脳裏にあった。
富永直勝の大きな体からは想像できないが、青備えは早い行軍、進撃を知られていて、五色備え中、最速と噂されていた。
「……で、その房総に向かうにしても、石浜城が邪魔だ。あれさえなければ」
そこまで言いかけたところで、江戸の城将である遠山綱景が、無言で入って来た。綱景は、北条家の先代・氏綱の腹心である遠山直景の息子であり、どちらかというと文官として江戸の城将を務めていた。
「なんだ、ご同輩。話の途中だぞ」
「……急報だ。槍大膳が寄せてきた。下総の千葉から救援の依頼だ」
「何」
これは虎胤の発言である。彼の旧主である千葉家が攻められていると聞き、虚心ではいられない。
「しかし今さら、ちゃんと北条につくから、助けてくれと言われてもなぁ」
直勝は頭をごしごしと掻きながら、愚痴めいた独り言をいう。
「仕方なかろう。
綱景は、藁よりも頼りないかもしれぬがな、と自嘲した。
「……あの」
それまで遠慮して黙っていた幸綱であるが、ここで発言を求めた。
「何か」
綱景は冷たく言い放つ。虎胤は大丈夫かと思って、幸綱の方を見たが、彼は至って平然としていた。
「その槍大膳とは、何者でしょうか」
「ああ」
綱景は指二本を額にくっつけて、考える姿勢に入る。
「……里見
「いいですなあ、二つ名。拙者も欲しいものでござる」
「…………」
幸綱の能天気な言葉に、綱景はまた冷然とした態度でこたえた。
「……で、二つ名があるということは、それなりの武将ということでござるな」
「……左様」
幸綱は綱景の態度を意に介していなかった。彼にしてみれば、山内上杉陣営の方が、もっと酷く、へたをすると個人攻撃までしてくる有り様であった。それに比べれば、野武士に等しい幸綱に対して、特に無視もせず相手をしてくれるだけ、綱景はできた人物だと、幸綱には思えた。
直勝は、ふうっとため息をつく。
「致し方ないから、石浜城を攻めるか。下総の千葉には、間に合わなければ、諦めてもらって」
最悪、石浜城は
下総佐倉は里見に奪られるかもしれない。しかし、占領に手間をかける必要があるため、その間を利用して、河越へ遠征できるのではないか。
一理あると虎胤は思ったが、別の観点もあると異議を申し立てた。
「下総の千葉は関東管領側の里見に攻められ、北条に助けを求めている。それを見捨てたら、今後、北条に味方するものは誰もいなくなるぞ。それでも良いのか」
「…………」
直勝と綱景が沈黙し、場が飽和する。
そのとき、幸綱がちらりと外を眺めると、猿飛が発声せずに口を動かしていた。その動きを読み取った幸綱は、発言を求めた。
「直勝どの」
「なんだ」
「お手前の青備えの神速は、さきほど、入城したときに見えた、荷駄隊に秘密がござろうな」
「……おい、どうしてそれを」
熊のごとき魁偉な直勝が凄む。だが幸綱は恐れることなく、話をつづける。
「……荷駄の中身は青の甲冑。そして、甲冑をつける者は、別で、戦地にて落ち合うか。あるいは、通り一遍の甲冑をつけて行軍して、現地で着替えるか。そんなところでしょうな」
敵からすると、突然、青備えが出現したことになり、神速かと驚くことになるのでしょうな、と幸綱は付け加えた。
「……それを知られた以上、ただでは済ませんな」
直勝は立ち上がる。熊とたとえられるだけあって、迫力がある。
「話は最後までお聞きくだされ。その仕掛け、もし下総に征くとしたら、石浜城がなるほど邪魔です。荷駄隊を改められたりしたら、ことだ。ならば、まず石浜城から叩き潰してしまいたいというのが人情」
「貴様、それ以上……」
綱景も怒りをあらわにして、立ち上がる。冷然としていたが、綱景は実は熱い男である。本音を言えば、千葉家を救いたいし、何より、河越へ向かって綱成を救いたい。で、あるが、下手に動いては、千葉家や綱成が救えなくなる。それゆえの冷静さであった。
綱景は後年、直勝が同僚の裏切りを察知できず、その責を感じて、無謀ともいえる突撃を敢行したとき、共に征き、共に死ぬという友誼を示した男である。
「待て待て、待たれい」
虎胤は、直勝と綱景の前に立つ。
「虎胤どのとて、容赦はせぬぞ」
「左様。新九郎さま考案の仕掛け。知られた以上……」
幸綱は悠然と立ち上がり、笑顔で、言った。
「そうでござるな。責任を取って、石浜城は拙者が
「はあ?」
虎胤は、どこか遠くで、武田軍の軍師がくしゃみをしているのを聞いたような気がした。
*
「やあやあ、われこそは正木大膳時茂。こたび、関東管領の命を受け、わが主・里見義堯に代わり、叛賊・千葉家を討伐に参った。
里見家重臣・正木時茂は、佐倉の千葉家の居城の前にまで迫っていた。
時茂は、自慢の十文字槍を振るって、わざとらしく鎌倉武士のように名乗りを上げ、千葉家に対する挑発をした。
千葉家当主・昌胤と、嫡子・利胤が病にて戦場に出られないことを知った上での挑発である。
「どうした、出てこぬのか? わが槍に恐れをなしたのか!」
「おのれ、言わせておけば」
寝たきりになっている昌胤には聞こえなかったが、利胤には時茂の大音声が聞こえ、さすがに怒りと恥を覚えて、立ち上がった。が、甲冑を身につけるまでもなく、利胤は頭のふらつきを感じ、床に倒れ伏した。
「若!」
こちらはすでに鎧兜を装着した原胤清が駆けつけ、利胤を抱きかかえ、寝所へと連れて行く。
「すまぬ……胤清」
「御無理をなさいますな。ここは原の千騎にお任せあれ」
利胤はそのまま気を失った。胤清は、侍女に利胤を託し、城外へと向かう。
槍大膳。
恐るべき相手だ、自分に勝てるだろうか。
今、自分が勝てなければ、千葉を支える者はいなくなる。
そうなれば、戦をせずとも、千葉は終わりだ。
だが、このまま城にこもって戦に応じなければ、佐倉を
出るしかないか。
「胤清さま、原の千騎、出撃の準備、ととのいましてございます」
若党の声が、胤清を逡巡から現実に立ち戻す。
「うむ。出よう」
「はっ」
城外の時茂は、千葉昌胤と利胤が出てこないので、計画通り、胤清を挑発し出した。
「千葉の百騎が出ぬのなら、原の千騎を出してみろ。かかってこぬのなら……」
「時茂さま、城門が開きます!」
「おう、やっとか」
時茂は槍をしごいて、城門へ向かう。
このまま、胤清と勝負となるのなら、それでよし。
槍で自分に勝てる者はいない。
胤清が勝負に応じないのなら、佐倉にて略奪の限りを尽くす。
その略奪にしびれを切らした時、そこが胤清の、そして千葉家の最期だ。
「どうしたどうした、やっとお出ましか、原どのは! 拙者と槍勝負を所望!」
「ぐっ……」
胤清とて武士。勝負を求められたら、応じたくなるのが人情。しかし、床に伏している利胤を、千葉家を考えると、うかつはできない。
戦端を開くか。
そう考えた胤清が、手綱を握ったのを見て、時茂はほくそ笑んだ。
「馬鹿め、かかりおったわ」
時茂がさんざんに挑発してきたのには、理由があった。彼は、自身を囮として、伏兵のいるところまで、千葉軍を誘い出すつもりだった。
とどめだ、とばかりに時茂は叫んだ。
「どうした原どの! 腰が抜けたか! 原どのがおれに勝ったら、退いてやっても良いぞ!」
突如。
正木大膳時茂の横合いから、一騎の騎馬武者があらわれ、無言でその槍を振りかぶり、振り下ろした。
「ぬっ」
槍大膳と
「何者だ?」
時茂は、かつてない手のしびれを感じながら、誰何する。
「原美濃守虎胤」
「原……美濃守、虎胤? まさか……鬼美濃か!」
「応」
「甲斐の武田の鬼美濃が、なんで……ここに」
「それはなア」
虎胤は首をこきこきと鳴らしながら回し、時茂を
「お前が、原どのとやり合いたいとか抜かすからだよ、槍大膳。貴様の罵詈雑言、甲斐までしっかりと届いておったわ」
「虎胤……おぬし、帰って来たのか」
胤清は、目を疑いながら、虎胤の方へ向かおうとする。そのむかし、小弓公方・足利義明に小弓城を奪われた時、別れ別れになった幼馴染同士であった。
「来るな、胤清。お前じゃこいつは無理だ」
虎胤は振り向かずにこたえた。
そして槍を振りかぶって、時茂に向かって
「千葉を……原を
「ぬっ……抜かせ! 貴様を
鬼美濃と槍大膳の槍が、豪風を生じて激突する。
城塞 了
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