20 石浜城攻略 上







 名にし負はば いざ言問こととはむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと


 在原業平






 石浜城のあった場所は、今日では定かではなく、おそらくは東京都台東区浅草、待乳山のあたりにあると言われている。隅田の河畔である。

 この城に盤踞ばんきょする武蔵千葉氏は、戦国の千葉家に生じた内乱により、落ち延びてきた千葉家の一族である。また、下総千葉氏はその後、千葉氏の庶流から下総しもうさを支配することに至った一族であり、双方互いに反目を抱いていた。


「…………」

「……またか」

 武蔵千葉家当主・千葉胤利は、数日前から視線を感じていたが、今、それ以上の不安を抱えていたため、気に留める余裕がなかった。

「ええい、まだ河越から増援は来ぬか」

 胤利は、焦りを隠せずに、石浜城内をあちらこちらへ、うろうろとしていた。

 関東管領・山内上杉憲政からの書状により、下総千葉氏への対抗心もあって、胤利は関東管領同盟軍の一員として、この石浜城に兵を集めて決起した。そこまでは良いが、ここ石浜城は河越から遠く、安房の里見に至っては、自分たちが直接下総千葉氏を攻撃すると言われ、胤利は立ち往生を余儀なくされた。


 なんだ、これは。

 これでは、自分たちは江戸城の北条家青備えからの攻撃にさらされるだけではないか。

 そこは自分たちに下総千葉氏を攻撃させるべきだろう。

 だからこそ……河越からの増援を頼んだのに。


「…………」

「くそっ」

 胤利は床を蹴った。

 切歯扼腕とはこのことだ。

 結局、自分たちは当て馬か。

 とりあえず、下総千葉氏の動向が気になるから、対抗させてみた。

 それだけだ。

 でなければ、どうしてここまで関東管領は何も言ってこないのか。

 どうして里見の抜け駆けを許すのか。


 ……実際は、河越城を囲むの関東管領方は、もう積極的に攻撃せず、囲むだけにとどまっていた。河越城が自滅するのを待つというかたちをとって、何もしない、何もしたくないという倦怠感に満ち満ちており、とっくのとうに武蔵千葉氏のことなど忘れきっていた。また、里見の独自行動についても、黙認しか与えていなかった。

 しかし、そのような事情を胤利は知る術がなく、ただ煩悶をつづけ、かつ、北条の攻撃を恐れていた。


「…………」

 まただ、また、この視線だ。

「この視線も一体何……」

「申し上げます!」

「うわっ、な、なんだ」

 胤利の背後から、家臣が声をかけた。

 胤利は驚きのあまり、近くの柱の陰に隠れてしまった。

「……あ、あの」

「う、うるさい。いいから、申せ。なんじゃ」

 柱の陰に隠れる主君を前に、家臣はためらったが、とにかく言った。

「関東管領・山内上杉憲政の馬廻り、倉賀野三河守とおっしゃる方が、手勢を率いて参ったそうです」

「何!? それを早く言わんか!」

 胤利は狂喜乱舞して、城門へと向かった。


 ……このとき、胤利は焦っていた。里見の正木時茂の独自攻撃への苛立ち、江戸の北条・青備えの攻撃への恐怖、そして何より、関東管領の増援を心待ちにしていたからだ。

 だから、思い至らなかった。

 この、感じている視線の正体を。

 倉賀野三河守と名乗る人物が、本物なのかどうかを。






 石浜城攻略






「やあやあ、ご苦労様。予が千葉胤利である」

 石浜城の城門の外、鎧兜に面頬をつけた騎馬武者が数騎、たむろしていた。

 胤利は、その手綱を取らんばかりに近づいて、大仰に礼を言う。

 騎馬武者は鷹揚に一礼し、下馬する。

「城主自らのお出迎え、痛み入りまする。拙者、倉賀野三河守でござる」

「おお、あの山内の馬廻りの。で、では、うしろの騎馬武者たちは……」

「左様。倉賀野十六騎」

 倉賀野十六騎とは、倉賀野三河守率いる倉賀野衆の中でも、選りすぐりの騎馬武者たちをいう。


「……さすがに全員ではござらん。半数は河越に残してきましたが……兵は、あちらに」

 胤利が、片手の手のひらを目の上に構えて、遠く見ると、たしかに多数の兵が控えているのが見えた。

「ありがたや。では、三河守どの、さっそく城内へ」

「痛み入る。皆も入れてよろしいか」

「それはもう……ささ、どうぞどうぞ」

 胤利は、そういえばいつの間にか、あの視線を感じなくなっており、気分爽快となり、上機嫌に武者たちを城内へと誘う。

「胤利さま」

「なんじゃ」

 背後から家臣が問いかけてくる。

 胤利は、武者たちをどう歓待しようか考えている最中だったので、家臣に対して、うるさそうにこたえた。

「左様に軽々と入れてよろしいのですか? 倉賀野三河守といえば馬廻り、馬廻りといえば、主君のそばから離れないのがことわりでは……」

「やかましい! それだけ、関東管領が予を重んじている証ぞ! つべこべ言わずに、さっさともてなしの支度をせんか!」

 怒鳴られた家臣は、渋々と去って行き、それを見た他の家臣も、何も言えずに、主君の機嫌を損ねては……と、遠巻きに胤利を見守っていた。

「……くみやすし」

「え? 何か言われたか? 三河守どの?」

「いや何……良き家臣をお持ちでござるな」

「はあ……左様であるかのう……」

 胤利が遠巻きになった家臣たちを、何気なく、見る。

 武者たちに、背中を向けて。


 刹那。

 ごく自然に。

 「倉賀野三河守」が胤利を背後から押さえつけ、「倉賀野十六騎」の面々が刀を抜いて、胤利の眼前に突きつけた。


「な、何をなさる、三河守どの」

「残念ながら、拙者は三河守ではござらん」

「だ、誰じゃ、おぬしは!」

「真田幸綱」

 幸綱は、倉賀野十六騎に扮した、部下の草の者(忍者)たちに胤利の身柄を預け、面頬を外した。

「面頬を外せ、家紋を見せろ、関東管領からの書状はとか言われたときの細工はしてあったが……これでは骨折り損のくたびれもうけであったわ」

「殿。愚痴を言っている場合では……」

「おっと、すまぬ。猿飛、城外の青備えに連絡つなぎを」

「承知」

 草の者のひとり、猿飛が一瞬、胤利の方を見て、駆けて行く。


 胤利が、そう言えば最近感じていた視線、この猿飛とやらと同じ圧があったな……と気づいた瞬間、猿飛はさきほど見た、城外の兵たちの方の元にいた。

 この兵たちは、青い甲冑を身につけていない状態の青備えであった。

 この間、胤利は自らをめぐる状況についていけず、混乱したままであったが、石浜城によその兵が多数入って来たのを見て、ようやく自分を取り戻しつつあった。

「……な、なんじゃおぬしは? おい、真田幸綱とやら、お前は何者じゃ!」

「……やっと聞かれたというところですかな。拙者、武田の臣……になるところだったから、まだちがうか……さりとて、北条の……うむ……なんと言ったら」

「寄騎」

 いつの間にか入って来た遠山綱景が、簡にして要を得た答えを言った。

「そうそう、そうじゃった」

「まったく、頭がいいのか抜けているのか……」

 綱景は歎息しながらも、胤利の方へすたすたと歩いていく。

「千葉胤利どの。お久しゅうござる」

「あっ、貴公は遠山綱景!」

 さすがに北条家の江戸の城将の顔は知っており、胤利はやっと、自分の城が北条に占領されたことに気がついた。






(つづく)

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