21 石浜城攻略 下






 下総。

 佐倉城外。

 槍大膳こと正木時茂と、鬼美濃こと原虎胤の槍が、交錯し、激突し、弾きあって、離れる。


「ぬっ……」

 時茂はかつてない力量を持つ相手に苦戦していた。技倆うでまえなら、時茂の方が勝っていよう。だが……膂力りょりょくというか、勘というか、何かが時茂の方に足りない。

 虎胤の槍は、無造作であるが、それでも確実に時茂の鎧を叩き、兜を傷つけ、心をすり減らしていた。

「おのれ……」

「どうした、槍大膳とやら。このままなら、わしが槍美濃とでも名乗ろうかのう」

「……ほざけ!」

 時茂は咆哮し、彼のを使うことにした。

 時茂は十文字槍を振りかぶる。

「…………」

 時茂のただならぬ気配に、虎胤も槍を構え直す。虎胤の槍は、単なる素槍である。

「……食らえ」

 時茂の十文字槍が、彼の背後から弧を描いて、振り下ろされる。

 虎胤の素槍はさらに素早く動いた。


 瞬間。

 交差する、ふたつの槍。

 素槍が、十文字槍の一撃を止めた。


 かかった。

 時茂が笑う。

 十文字槍が回転し、その十文字の穂先が素槍をからめ取る。

 虎胤が反応する間もなく、素槍はそのまま、宙へと放り上げられる。

「死ね!」

 ふたたび振り降ろされる十文字槍。

 時茂の裂帛の気合い。


「……ふん」

 虎胤はいかにも下らない、と言いたげにたいをずらし、そしてそのまま腰間の剣を抜いた。


 かん、という音が響いた。

 十文字槍の穂先が斬り飛ばされた音だ。


「な……に……」

 時茂は穂先の斬られた十文字槍を見て、呆然とする。

「……今のが槍大膳の二つ名の由来か?」

 その隙に虎胤は馬を進め、剣先を時茂の首にあてる。

「嘘だ……何故、分かった?」

「分からなかった……が、別にどうということは無いわ」

 落城の憂き目を味わい、関東を流浪し、そして武田信虎に見出され、武田の宿将として戦いつづけた、その経験が生んだ動きであった。

ね。そこの林に潜ませている伏兵と共にな」

「ぐっ」

 時茂は、今は仕方ないと思い、馬を返し、言われたとおりに林の方へ行く。


 悔しいが、槍では負けた。

 しかし……まだ将としては負けていない。

 これは、武略だ。

 こうなったら、取って返して、力押しで佐倉をとしてやる。


 時茂には、この年の前年、上総小田喜城を実力によって奪取した実績がある。今ここで、その実力を示す、良い機会と思われた。

 虎胤との距離が徐々に離れていく。

 ちらと振り向くと、都合のいいことに、虎胤のうしろから、原胤清が近づいてきている。久闊を叙すつもりらしい。

 時茂は、合図の口笛を吹いた。

 林から、正木の軍勢が姿をあらわす。

 征くぞ。

 時茂は馬首をめぐらす。


「あ、里見義堯よしたかどのは、鎌倉で敗れたみたいなので、帰った方がよろしいですよ」

 突如、時茂の眼前に、見知らぬ男が馬上、微笑んでいた。

「は?」

 男の背後には、青い甲冑の軍勢がならんでいた。

「北条青備……え?」

 青い甲冑の群れの真ん中から、ひときわ大きい甲冑の男が進み出る。

「正木大膳時茂。久しいの、国府台以来か」

「富永……直勝? いつの間に」

 直勝は、ひい、ふう、みい、と数える。正木の軍勢を数えているらしい。

「槍大膳よ、今、数百くらいか? このまま合戦しても良いが、真田どのの言うとおり、たった今、小田原から知らせが入った。お前の大将は、敗けた」

「嘘だ、嘘をいうな」

 真田幸綱が、そこで横合いから口を出す。

「槍大膳どの、仮にここで勝ったとしましょう。その場合、貴殿のご主君は、喜ばれますかな?」

「何?」

 幸綱は笑顔で時茂の反問に応じる。

「まあ鎌倉については嘘だとしましょう。でも、鎌倉を支配する気は無いんでしょう? 鎌倉に居座るつもりなら、それこそ里見が二つに割れますよ? あそこの千葉家みたいに」

「…………」

「否定されないので、肯定と見ます。鎌倉を攻めるだけの義堯どのに対し、佐倉を攻略してしまった時茂どの……危ういと思いませんか?」



 正木時茂は、毒気を抜かれたような顔をして、去って行った。

「……大した口車だな」

 原虎胤は、真田幸綱の口八丁に、実は感心しており、笑顔だった。

「いやいや、なかなか大したものだった」

 富永直勝は、石浜城での出来事を、かいつまんで虎胤に語る。

 手下の草の者に、かねてから石浜城を探らせていたこと。

 倉賀野三河守、倉賀野十六騎を装い、石浜城に入城したこと。

 千葉胤利は、心をくじかれ、北条に従うことにしたこと。


「その説得が巧みでのう……当て馬にされた恨みを晴らすのなら、形の上では関東管領に従っているふりをして、その実、何もしないでいてやれば良いとか申してのう……」

「ほう……」

 虎胤は髭をしごいて感歎する。

 そのうしろから、原胤清が改めて声をかけた。

「虎胤、よく帰ってきてくれた」

「いや……わしの帰る場所はもう、ここではない」

「そうか……」

 胤清は少し寂しそうな顔をした。

「でも、寄ってはくれるのだろう?」

「応」

 二人の原は、一瞬、肩を抱き合い、それから皆を誘い、佐倉の城へ向かった。



「皆の者、大儀である。私が……うっ、千葉利胤である」

 佐倉城の城主の間で千葉利胤は、家宰・原胤清が案内してきた、原虎胤、富永直勝、そして真田幸綱と引見していた。しかし、病により、満足に話せず、それを不甲斐なく思い、床を叩いた。

「若。あとは、この胤清にお任せを」

「うっ……す、すまぬ」

「申し訳ない。若はこれで退出する。よろしいか、虎胤、直勝どの……ええと、幸綱どの」

「かまわぬ」

 直勝は遠慮して口を利かず、幸綱も何も言わないので、虎胤がこたえた。

 利胤は、胤清の肩を借りて立ち上がった。

「……ああ、なんと情けないことよ。かようなでは、ご先祖様に顔向けできぬ。武士として生まれ、戦うこともできずに果てていくのか……」

 利胤の慨歎に、胤清も直勝も、虎胤も何も言えずに黙するほか、なかった。

 幸綱をのぞいては。


「あいや、お待ち下され」

「幸綱どの、何を」

「利胤さま、利胤さまはたとえば、ふみなど書かれる分には、大丈夫なのでしょう?」

 利胤は振り返り、幸綱を見て、うなずく。

「たしかに文くらいは……が、それが?」

「それは良うございました……これを」

 幸綱は懐中より書状を取り出し、利胤に向かって差し出す。

 不審な表情をした利胤であったが、場に座して、胤清が代わりに受け取った書状を手に取る。

「これは……北条綱成どのからではないか。地黄八幡の」

「左様でございます」

 そのとき、直勝と虎胤が、何か言いたげであったが、幸綱が目で制す。

 利胤は自分宛であることを確認して、書状をゆっくりと開く。

「なにゆえ……私に?」

「拙者が利胤どののを確認してから渡すよう、仰せつかっておりました。そこからお察しいただければ、と」

「……文、か」

 利胤の理解の早さに、幸綱は満足したようにうなずく。利胤は今や、目を走らせ、先を急いで書状を読み始めた。


「おい、どういうことなんだ」

 たまらず、虎胤がうしろからつぶやいてくる。直勝も同様らしく、にらみを利かせてくる。

 幸綱は、胤清も知りたがっている風なので、利胤に目配せしてから語り出す。

「綱成どのは、かねてから、河越に参陣している関東諸侯への切り崩しを企図しておりました。留守居役への働きかけ、諸侯本人の不満の焚きつけ等々……そしてそれは、北条ではなく、関東の大名の誰かにやってもらった方が、より実入りが良いとおっしゃっていました」

 北条ではなく、関東諸侯のうちの誰かがやることにより、より現実味を帯びた説得となる、というわけである。

「そしてそれが……私に?」

「左様でございます……さきほど、戦いたかった、と言われましたな」

「あ、ああ……」

 幸綱は、ぐいと利胤の方へ進む。

「では、戦いなされ。綱成どのの書状にも書いてござろう。戦場ではないが、これも立派な戦い。どうか利胤どの、一緒に戦って下され、と……」

「……おお」

 利胤の目から涙があふれ出した。


 戦える。

 自分は、戦えるのだ。

 思えば、ずっと諦めていた。

 父に馬をもらっても、自分は馬に乗れない。

 乗ったところで、すぐ倒れてしまう。

 だから、諦めていた。

 ずっと、城内にこもって、書を読んだり、歌を詠んだりしていた。

 こんなことをして何になるのかと。

 由緒ある武門の棟梁となるのに、これでいいのかと。

 自問していた。

 しかし、この未曾有の戦いにおいて、自分にしかできない戦いがあった。

 馬上ではなく、机上で。

 弓と矢ではなく、筆と硯で。

 刀ではなく、紙で。

 自分は戦えるのだ。


「感謝いたす……地黄八幡どの。そして、幸綱どの……よう、ようも……私のことをちゃんと、見てくれた……」

 利胤はぬかづいて、綱成と幸綱への謝意をあらわした。幸綱が恐縮と言うのを聞きながら、利胤は感極まって気を失ってしまった。

 だが……その利胤の顔は、胤清が今までに見たことのない、さわやかな笑顔だった。



「では、青備えは江戸に戻る。千葉をよろしゅう」

「うけたまわった」

 北条青備え・富永直勝は、下総千葉家・原胤清との話し合いを終え、任地である江戸へ帰っていった。

 それを見送った原虎胤は、少し寒くなってきたわいとくしゃみをひとつして、佐倉の城へ足を向けた。

 佐倉の城内に戻ると、千葉利胤はせっせと墨をすり、紙を前にして、文面を考えて呻吟していた。その横には、真田幸綱が控えていた。

 虎胤と幸綱は、直勝の懇望もあり、佐倉に留まることになった。遠山綱景は、石浜城の方に、しばらく目付として張り付いていて、佐倉には来られないことと、やはり、虎胤と幸綱もそれが良いと希望したからだ。

 特に幸綱は、同世代ということもあり、利胤に気に入られ、

「まさかに……」

 と思われるほど、仲が良くなっていた。


 利胤がまたひとつ書状を書き終えたころを見計らい、虎胤は幸綱を城の外に誘った。

 気づけば、寒風の吹きすさぶ夕暮れとなり、空には星が瞬き始めていた。

 虎胤は袂に手を入れながら、幸綱に言った。

「……礼を言う」

「はて、何のことでございましょう」

「とぼけるな」

 虎胤は落ちていた小石を蹴った。小石は薄暮の中、すぐ見えなくなってしまう。

「わしを単騎、佐倉に向かわせ、槍大膳と戦わせたこと。その裏で、自分は石浜城を調略したこと。そして綱景どのに後を任せて、直勝どのと共に、青備えと駆けに駆け、佐倉に至って、槍大膳をして帰らせたこと……」

 虎胤は指を折って数えていたが、そのうち面倒くさくなってやめてしまい、手をぶらぶらとさせながら、幸綱を見る。

「おかげで、千葉家は救われた。礼を言う」

「……恐悦至極にございます」

 幸綱は素直に礼を返した。

「ついでに聞くが」

 虎胤は、河越から江戸、江戸から佐倉へと騎行しながら、ひとつの疑問があった。

「どこからどこまでが、おぬしの発案じゃ?」

「それはどういう意味で?」

「とぼけるな……これで二度目だが……全部が全部、北条綱成の策ではあるまい?」

「…………」


 虎胤の視線に、幸綱は笑顔のままで黙っていたが、やがて、口を開いた。

「……かないませんな。ええと、石浜城調略と、佐倉の守りは拙者でござる」

「どうしてそこまでやる?」

「どうして……とは?」

は、江戸の直勝どのと綱景どのに任せる、が北条綱成の頼みだったのでは?」

「…………」

 今度は幸綱が小石を蹴った。

 こん、という音がした。

「気に入らないからでござる」

「気に入らない? 何がだ?」

「おそらく太原雪斎禅師のねらいは、そうやって、江戸の兵を損なわせ、あわよくば佐倉を里見にらせ、北条の力をぎ、河越をとす背景とする……そういったところでしょう」

「…………」

「拙者、そういう風にもてあそぶというのが大嫌いでござる。それゆえでござる」

「……気に入った」

 虎胤は両の手を打った。

 幸綱は何事かと目をしばたたかせた。

「おぬし、れるか」

「……多少は」

「今夜は飲もう。胤清がいい酒をくれた。一人で飲むのは寂しかったところよ」

 胤清は飲めないのだ、と虎胤はぼりぼりと頭を掻きながら、城へ足を向けた。

 幸綱も、悪い気はせず、虎胤につづいた。


 真田幸綱と原虎胤。

 この二人の友誼は、代が替わっても受け継がれる。

 後年、武田家が滅亡した後、虎胤の孫・勝吉は牢人となった。

 それを幸綱の子・真田昌幸が家臣として召し抱えたという。






石浜城攻略 了

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