第六話 事件の発端


 蓮華が閉じていた瞳を開けると、そこは久しぶりに見る電脳世界だった。水中のような、宇宙のような不思議な空間だ。見えない地面があり呼吸もできるそこは、DDに限らず数多くのVRゲームにおいて新規キャラを作成する場所として流用されている。歩ける範囲はそこまで広くはないが、少し考え事をするには十分といった程度だ。


「新規作成……久しぶりだな」


 指を宙で振れば、キャラクター作成の項目が記されたパネルが出現してきた。目鼻立ちに咥えて性別まで、プレイヤーが好きな風に作成することが出来るが、蓮華はそれをスキップした。


 今の彼に必要なのは、長い時間をかけて調整したアバターではなく、いち早くDDの世界へと足を踏み入れることだ。

 処理が終わると、蓮華の身体が光の粒子へと包まれ、服装から肉体の形までを変えていく。背丈は動きやすさを配慮されたのだろうか、現実世界と大差なく、服装も学校で着ている制服に近い。変わったところと言えば髪型と顔立ちだけだ。


 アバターの確認をするために浮かびあがったモニターに映っているのは、短い金髪の青年で、顔つきの所々に現実世界の蓮華を思わせる共通項があった。


 システムがプレイヤーの顔をもとに作り上げ、しかしながら現実で知り合っていなければ特定は難しい程度にアレンジがされている。今の蓮華の場合は、顔立ちに少年味が加わっている、といった具合にだ。


 これのお陰で、MMOゲームにおける特定騒動は極めて少なくなったと聞くが、それとこれとはまた別の話だ。アバターに問題は無いか確認するパネルのOKボタンを押すと、再び蓮華改め、レンカの身体は光の粒子に包まれていった。


 結局、どうして彼が再びDDという血と鉄が支配する仮想世界へと足を踏み入れることになったのか。それは喫茶店での楓とした会話が原因となっていた。


**********


 冷めきったコーヒーを飲み干した蓮華は、神妙な面持ちの楓からの言葉を待っていた。

 助けてほしい人がいると言った彼女は、それきり黙り込んでしまっている。ここで踏み込み、無理やり聞き出すことも出来ただろう。そうした方が手っ取り早く、時間も無駄に使わないことはまず間違いない。


 出来なかったのは、単純に蓮華に強引さが欠けていたせいだ。勢いあまって話を聞くと言ってしまった時点で、なけなしの度胸は消え去っている。ただ座して、待つだけでもう精一杯だ。


 一分、二分と過ぎる時間は、体感した中では数時間にも等しい。季節外れな暑さに汗を垂らすと、遂に楓が口を開いた。


「近所に、仲のいい、年下の、その、男の子がいるんです」

「は? あ、ああ。はい」


 始まりは唐突だったが、切り出し方としてはおそらく最も分かりやすいものだろう。助けてほしい誰かと言うものを説明するのにも違和感なく伝わる。


「その子が、お友達とDDをやっているみたいで、もともとゲーム好きな子だったみたいなんですけど、MMOともなると更にのめり込んでいって」

「あの、まさか引退した俺なら、その子にゲームを止めさせられるとか思ってたり……」


 親御さんから頼まれたのだろうか。確かに自分の子供がネットゲームにのめり込むのは良い気分ではないだろう。だとしても、見ず知らずの誰かを、それも年下の少年を引退に追い込むなど、蓮華でなくとも難しい。


「あ、いえ。違うんです。そういう話なら、ギアを取り上げるだけで済みますから」


 言われて見ればそうだ。確執や成長を考えなければ問題は無い。それを理解してホッとしていた蓮華だったが、では一体、彼女は何を頼もうと言うのだろうか。


「実は、その子たちがDDで変な連中に絡まれてしまい困ってるみたいなんです」

「……ああ、その手の話ですか」


 聞かなければ良かったと後悔しても遅かった。

 MMOゲームと言うものは、個人だけではなく数えることすら億劫になるほどのプレイヤーが同時にログインしている。だからこそ、多人数での協力プレイや、対戦などを楽しむことが出来るが、それと同時に対人関係でのトラブルも起きやすい。

 

 例を挙げるとすれば、暴言や付きまとい。従来のゲームとは違い、仮想空間が実現した現代ではよりリアルに迷惑行為として重罪とされる。

 

その中でも、DDはプレイヤー間での問題が起こりやすく、解消しにくい。


「運営に連絡とかは、もうしたんですよね」


 楓は神妙な表情で頷く。プレイヤー間でのもめごとはプレイヤーで解決する。どうしても、と言う時は運営が事情を聴く。だからこそ、今回の場合は連絡をしてもあまり意味が無いのだ。


「なんでも、その子たちのパーティーと相手方で、狩場、というものを奪い合ってる、とかなんとか」


 よく聞く話だ。蓮華も何度か経験したことがある。エネミーと呼ばれる存在を倒し、経験値やアイテムを手に入れることでドラグーンを強化できるが、エネミーもピンからキリまで。

 大したアイテムや経験値を持っていないものもいれば、一体だけで大量の報酬を出すエネミーもいる。


「まあ、結局のところはMMOなんて運営が供給するリソースの奪い合いや譲り合いで出来てますからね。割り切って、他の狩場を探せとか言っておいてください」


 それで話は終わりだ。ここで相手方に狩場を譲れと交渉してくれと頼まれても、蓮華は断るつもりだった。プレイヤー同士の奪い合いでの結果に口を出し、子供なのだから譲ってやれなど、それこそマナー違反に値する行為だろう。


「それだけなら、本当に場所を変えるだけで良かったんですけどね」


 再び困ったような笑みを楓が浮かべる。彼女自身ではどうしようもないことに疲れているような、そんな笑みだ。蓮華は同じ類の笑みを見たことがある。いったい何処だったかと思いだそうとするが、続けられた説明に遮られた。



 新人プレイヤーである子供たちは、狩場を奪われ悩んでいた。新しい場所を探すにしても、あても無ければ教えてくれる誰かもいない。攻略サイトで探しても、その大多数はベテランプレイヤーたちが犇(ひし)めいている。


 どうしようか、と悩んでいた時、狩場を奪ったパーティーのリーダーが現れてこう言った。


「さっきはすまない。お詫びに、俺たちと一緒にやらないか」


 優しい雰囲気の人だったらしい、と楓は言った。だが、そもそも優しい人間が新人プレイヤーから狩場を奪うだろうか。答えは否である。

 事実として、そのリーダーが優しく無かったから蓮華に相談しているのだから間違いない。


 話の内容は、そこから気分が悪い方向へと舵を切っていった。


 共同で狩りを始めて数時間。順調にエネミーを撃退し、大量の経験値やアイテム、賞金を稼いでいった。今までにないほどの成果に喜んでいた子供たちは、現実時間で十八時頃にはログアウトしようとした。

 

 今日はありがとうございました。また何かあったら、お願いします。

 

 丁寧にお礼を言い、現実世界へと帰ろうとした、その時だ。リーダー格の男が手を差し出してきた。握手を望まれたと思ったらしい。手を取ろうと同じように差し出すが、それが間違いだったことに気が付いたのは相手の発した言葉によるものだ。


「世話してやったんだから、見返りくらい寄越せよ、気が利かないな」


 先ほどまでとは打って変わって無礼で尊大な態度に子供たちは怯えてしまう。年上が相手となれば猶更だ。どうしようかと相談するが、怯えてしまった彼らでは正常な判断を即座に下すことは出来なかった。


 結局、子供たちは男に少量のゲーム内コインを支払った。満足できなかったのだろうが、舌打ちをするだけでその日は返してもらった。


 そう、その日は、だ。


 問題だったのは、リーダー格の男とフレンド登録をしてしまったことだろう。ログインした瞬間にどこにいるかまで判明してしまい、再び付き纏われる形になってしまった。また一緒に狩りをしてやる、と上から目線で言われてしまえば、子供たちも向きになって強い言葉を使ってしまった。


「あなたの助けなんかいりません。自分たちは自分たちで頑張れます」


 面白くない、と言ったような表情をした男はその場を後にし、別々に行動を始めた。これで一件落着。安心して他の狩場をめぐり、アイテムやコインを集めてドラグーンを強化できる。


 だが、MMOとは、ドラゴニック・ドラギオンとは、初心者に優しく出来ていない。


 子供たちがパーティーを組み、低レベルな狩場へと足を運んだ先で待っていたのは、件の狩場を奪ったパーティーだった。

 何をしに来たのか問うよりも先に彼らは攻撃を仕掛け、案の定全滅。死亡したことで様々なペナルティを受けてしまった。



「それが、一週間前のことだそうです。それから毎日のように付き纏われてるみたいで」


 楓が説明し終わったとき、新たに頼んだエスプレッソが気を身は語ったかのように到着した。温かい湯気を立ち上らせており、今が飲み時だと主張しているが、楓は手を付けず俯いたまま固まっていた。

 対面している蓮華も同じだ。初心者から、それも子供から金銭を巻き上げ、剰え搾取を継続的に行おうとするなど、誰が聞いても気分がいい話ではないだろう。


「……一応、聞きますけど、運営からの返事は?」


 楓は首を横に振り、気持ちを落ち着かせるためにコーヒーを一口飲む。ホッとした温かさと香りに落ち着きを得た彼女だが、やはり表情は浮かないままだった。


「運営からは、ゲーム外で犯罪行為ないし迷惑行為に至らない限りは、揉め事は当事者間で解決するように、としか」


 酷い話だと思う。しかし、こういった放任性がゲーム内での多様性を生み出しているのも、また事実だ。プレイしている側は、原則的に従うしかできない。


「アイテムや金が欲しいにしては初心者狩りなんて旨味が無さすぎる。かといってPKをメインに動いているわけでもない、となると……」

「となると、どうなんでしょうか?」


 少し乗り出した楓が顔を近づけてくる。改めて見れば彼女の顔は、冗談と思えてしまうほど整っている。大きな瞳に高い鼻。こうして真剣な表情をしているだけでモデルや女優と勝負できるほどに見えてしまう。


 視線が交差し、気恥ずかしくなって目を伏せた蓮華の視界に飛び込んできたのは、テーブルの上に乗せられた豊かなふくらみだった。柔らかく形を変えるそれは、おそらく全校生徒の半数が憧れを抱くものだろう。


 上は真っすぐな楓の瞳。下は情欲を駆られる双丘。異性に対してそこまでの体勢が無い蓮華では、対処に困る状況だ。椅子を引き、彼女の視線よりも更に上へと逸らして平静を保つ。


「えっと、そうですね。ハイランカーに成れないストレス発散とか、初心者狩りをして悪役ロールを楽しんでる、とか、ですかね?」


 DDの中にはプレイヤーランキングと言うものがある。戦闘に勝利しクエストをこなすことで上昇するもので、Eランクから最高位であるSランクまである。しかし、Bランクを超えたあたりから上へあがるのが難しくなる。


 それにストレスを感じ、上を目指さず低ランク帯で楽しむプレイヤーも少なくない。さらに言えば、ストレスの捌け口を求めるものは多数だ。


「悪役ロールっていうのは、単純にVRゲームの中で悪役をやりたいっていう人たちですね。現実世界とのギャップを求める人とかが多いみたいです、け、ど……」


 ランキングや悪役ロールの説明をしていくにつれて、楓の表情が曇っていった。そういった輩がいると理解は出来ているが、納得は出来ていないと言った様子だ。

 それは蓮華も同じだったが、既に引退した身だ。文句を言うような立場にはいない。


「……解決策は、何かないんでしょうか?」


 蓮華が見て、聞いている限り、楓にはDD内の知識が乏しい。解決策どころか対応策を講じるのは難しい話だろう。それを分かっているからこそ、偶然出くわした彼へ

と助けを求めているのだ。


「そう、ですね……」


 思考する。蓮華が持っている知識は半年前でストップしているが、大型アップデートなどの報せがSNSなどでも出ていないとなれば通用するはずだ。

 運営は使えない。現実で警察に相談しても取り合ってはくれないだろう。当たり前だ。ならば、一体自分には何が出来るのか。


「その子たちって、小学生、でしたっけ?」

「え? ええ。小学六年生です」


 煮詰まってきた考えを整理するための確認だった。それ以外に特別な意味はない。無いはずだったのだが、年齢を聞いた時に蓮華の頭の中でとある人影が過ぎった。


 穏やかな笑みを浮かべる優しい少女の影。どんなに時が経っても、決して消えない穏やかな記憶の欠片だ。


 瞳を閉じ、深く息を吸い、ゆっくりと吐いていく。


「分かりました」

「え、あの、相崎くん?」


 目を開く。利き腕である右手の指を一本、また一本と折り曲げて骨を鳴らしていく彼が纏っている空気は、今までの無気力なものとは変わっていた。

「俺が、きっと何とかしてみせます」

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