第五話 楓の依頼

「まさか。逃げようとかしてました?」

「あ、あはは、まさか……」


図星だった。向けられる笑顔には謎の圧力があり、蓮華も引きつった笑みを返すことしかできない。乾いた笑い声が漏れ出るが、空気はむしろ悪くなっているように感じていた。

何とかして切り抜けなければと思っている内に生徒たちが集まってきた。これ以上は余計に目立ってしまうだろう。それはきっと、蓮華が想定していた中でも最悪なものだ。


「じゃ、じゃあ、行きましょうか」


場所を変え、何とかして注目を避けようと話題を切り出す。とにかく移動して人目のない場所で楓の言う用事を済ませなければならない。

その申し出は、どうやら正しく彼女に伝わったようだ。考えるような素振りをして頷いた。


「そうですね。歩きながらでは落ち着けないので、どこかでお茶でもしながら」


**********


楓の提案によって、蓮華は学校から離れたカフェに来ていた。学校の生徒たちからは知られていないようで、それ以外に客の出入りも少ない。静かな雰囲気は落ち着いて話をするのに最適だった。

だが、蓮華はファミレスやファーストフード店で話し合いを済ませているような人間だ。ジャズが流れ、コーヒー豆の匂いがするようなお洒落な店には身体が噛み合わないのだ。


「私はエスプレッソを。相崎くんはどうしますか?」


座り心地の悪い椅子に座ったまま、ソワソワとしていた蓮華とは違い、楓は手慣れた様子で店員の女性に注文を済ませていた。どうするのか、と言うのは何を注文するのかと言うことだろうが、そもそも彼女の注文がどんなものか理解していない。


「じゃあ、俺も同じものを」

 

何とか緊張を悟らせないように余裕な表情を作ると、店員はクスリと笑ってカウンターへと戻っていく。そこでは店長と思しき壮年の男性が何かをしているが、蓮華の座っている場所からではよく見えなかった。


「それで、話っていうのは何ですか?」

 

居心地の悪さを誤魔化すように、蓮華は話を切り出した。注文したものが来るまで待つつもりだった楓は少しだけ驚いたように目を見開く。しかし、それもほんの一瞬だ。


「そう、ですね。さっそく、本題に入りましょう」


お洒落な木製の椅子に座りなおし、一つ咳払いをして蓮華に向き合った。その瞳は真剣で、何かの罰ゲームや嫌がらせの類には見えなかった。


「相崎くんは、昨日ゲームセンターでDDをプレイしましたよね」

「……はい」

 

ここまで来てしまえば、否定することは難しかった。白を切るのならば屋上で問い詰められた時にするべきだったと、改めて蓮華は自らの迂闊さを呪った。


「そこでの戦績を確認しましたか?」

 

戦績、というのはスコアのことを言っているのだろう。タイムアタックのランキング形式だったせいで詳しくは覚えていないが、そこまでよくは無かったと蓮華は思っていた。


「別に、そんな大したもんじゃなかったと思いますよ。下から数えて五十とか、その程度しか出せてなかったと思いますけど」

「ええ。名前を登録してから見て取れる範囲ではそうでした。おかげでランキング表の下位部分はあなたの名前で埋まっていましたよ」 


良くないスコアで埋め尽くされても嬉しくなかった。少し前の彼ならば舌打ちをして苛立ちや怒りを、隠すことなく目の前の楓へと叩きつけていたことだろう。しかし、今は違う。彼には、そこまでの熱意は宿っていない。


「ですが、確認したところ、ランキングの上位五枠の名前も、あなたの名前でした」

 

どこか落ち着ける体勢が無いか、座りなおしていた蓮華の動きが止まった。上位五枠が自分など、身に覚えのない話だったからだ。ブランクがあり、操作方法が慣れ親しんだものでは無かったとは言え、散々なスコアを叩きだした記憶しかない。

そんなはずはない、と否定しようと口を開いたとき、ある事に気が付いた。

彼は、最後の何戦か。スコア表記を飛ばしていたのである。ラストの一回に関して言えば、突然やる気を失くして見てすらいない。


「いや、それが一体なんの意味があるんですか?」

「それは」


楓が本題に入ろうとしたとき、店員が二つのエスプレッソを持ってきた。芳醇な香りが漂い、湯気が立ち上っている。蓮華に差し出されたものの隣には一回り小さなカップが並んでおり、ミルクと思われる白い液体が入っていた。

落ち着くために一口と、蓮華がエスプレッソを飲む。その瞬間、苦味に耐えきれずに咳き込んでしまう。店に対しても、同じものを呑んでいる楓に対しても失礼だと理解していたが、我慢できるものでは無かった。

 

そんな様子を見ながら、楓は笑みを浮かべて同じように飲んでいた。


「苦かったらミルク使っていいですよ。その方が飲みやすいと思います」

 

まるで子供をあやすような口調に思うところがあった蓮華だが、大人しく助言に従ってミルクを注ぎ込む。黒と白が混ざり合い、茶色に近くなったコーヒーは、まだ苦いが幾分かマシになっていた。


「それで、本題なんですけど、アーケード版の結果を見て、相崎くんはもしかしたら今のDDをやっているのではないかと思ったんです」

「まぁ……はい。やってましたけど」

 

カップを傾けながら楓が言ったことに蓮華は頷く。否定できる要素はいくらでもあった。言い訳を吐こうと思えば出来たかもしれない。


だが、余計なことをして余計なことを言うのが嫌だったのだ。


「ただのゲーマーですよ。小学校が終わるころに見つけて、のめり込んで、五年近く。半年前に引退したんですけどね」


視線を合わせず、自分の価値を落とす方向で蓮華は言葉を繋いでいく。自分はゲームが出来ると言っても昔の話だ、と言うかのような口調だ。

そんな相手には誰も頼みたくなくなるだろう、と言うような内容だったが、楓には有効打として機能することは無かった。


「それでも、相崎くんは私よりずっとあの世界に詳しい。そうですよね?」

「そりゃあ、まぁ、そうでしょうけど」


歯切れが悪い蓮華へと楓が畳みかける。もう逃げることも後戻りすることもできないと言外に伝えているような、そんな空気が漂っていた。


「だから、あなたにお願いしたいことがあるんです」


来た、と思った。経緯や場所は違えど、DD関連で頼みごとをする人は決して少なくなかった。クエストやアイテム収集の手伝いなど多岐に渡る依頼を、蓮華は無償で引き受けたことが何度かある。

 

それが広まり、一時期ではどんな依頼も引き受けてくれるプレイヤーとして都合よくつかわれていたのは、今では嫌な思い出だ。


「言っておきますけど、クエストの手伝いとか、アイテムの提供とかはやりませんからね。俺は引退したんですし、いや、そもそも先輩のお願いを聞く義理な、んて……」

 

そう言いかけたとき、楓から発せられている空気の質が変わったことに蓮華は気が付いた。彼女は、今まで受けてきた依頼とは別の何かを言おうとしている。


「私は、相崎くんに、助けてほしい人がいるんです!」


彼女の真剣は瞳を見たとき、蓮華の頭の中でいつの日か聞いた言葉が反芻した。楓の声とは違う、幼い、女の子の声。



――いつも、誰かのために動ける蓮華でいてね。



それを思い出してしまえば、もう遅い。歯を食いしばり、席を立って逃げ出すこともせず、ただ楓が次に放つ言葉を待っているしかできなかった。

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