第四話 金糸姫、楓・クロフォード


昼休みと言う時間は、学生にとって数少ない自由な時間だ。当然ながら校則に従う必要があり、学校から出るようなことは出来ないが、それでもある程度の自由は保障されている。


その中には屋上の自由使用も含まれており、多くの生徒が利用していた。友人と語らうものや、放課後の予定を話し合う恋人同士。部活のミーティングを行う生徒たちなど様々だが、全てに共通しているのは誰かと一緒にいるということだ。

皆が語らい騒いでいる片隅で、、蓮華は壁の影に寄りかかり昼食を取っていた。黒い弁当箱に入った主菜に白米は程よく冷えており、味付けも彼の好みで口触り良く胃へと流し込まれていく。


「昼飯はいいとして……当分は本も何も買えないな」


昨日のアーケード版DDは確かに時間を潰すには都合が良かった。だがしかし、据え置きでないゲームの悪い所は必要以上に費用が掛かってしまうことだ。あの手のものを継続的に遊ぶことが出来る人間は、大富豪か親の脛をかじった無職だけだろう。

 

それが出来るほど蓮華の家は裕福ではないし、人間性も落ちぶれていなかった。

暇つぶしのために財布を空にしたのでは話にならない。


「これなら、ギアを使った方がずっとマシ……」


言いかけると、苦笑いを零して頭を振った。今更ダイバーズギアを使い仮想世界へと再び足を踏み入れたところで何をしようというのか。今の彼には、理由もないと分かっているのに。

 

欠伸を零し空になった弁当箱の蓋を閉じると、そのまま時間を潰そうと携帯端末で動画の再生を始めた。イヤホンから耳に流れこんでくる音楽に眼を閉じる。世間的にはあまり流行っていないバンドの曲だが、彼はそれを好んで聞いている。


下手に知人がいたとしたら、マイナーな音楽を聴いている自分に酔っているとでも言われただろうが、幸いなことに蓮華には茶化してくるような友人はいない。

千尋に至っても、人の好きなものをバカにするような人間ではないからだ。

 

聞こえてくる歌詞は最近ではよく聞くようになった。マイノリティに属する誰かの背中を押すものだ。女性ボーカルの声は心地よく、きっとファンの大多数はこの歌声と歌詞に惹かれているのだろう。彼もその中の一人だ。


何か得意なことは無い。誇れることも無い。そんな自分だけれど生きているんだから前を向こう。そうすればきっと明日は良い日になる。

 

そんな詩を歌うバンドの名前はHATE・FLOWERS。日本語で仇花と言う意味だ。

 

授業を受けたことによる疲労が少しずつ緩和されていく。

眠ってはいけないと思いながらも、バラードに近い曲調のせいでそれも上手くいかない。重くなっていく瞼に従ってしまおうとした蓮華を、きっと誰も責めることは出来ないだろう。


その時だ。


「あの、相崎蓮華くん、ですよね?」


音楽に紛れ込み、女性特有なソプラノの声が聞こえてきた。

落ちかけていた意識が僅かに覚醒し、思わず顔を上げる。彼自身、名前を呼ばれるような相手など千尋と担任である三原程度しか思い当たらないが、その二人は丁寧な口調で話しかけてくることは無い。

 

いったい誰だろうか、と目を凝らした蓮華が見たのは、日の光を背にした美少女だった。プラチナブロンドの髪に、青い瞳。それは路地裏で出会った彼女に外ならなかった。


「昨日ぶりですね。お元気そうで何よりです」

「あ、ど、どうも……えっと」


思い返せば蓮華は彼女の名前を知らない。注意を受けた際に名乗りはしたが、心に聞く余裕が無かったせいか訪ねることなど出来なかった。

 

どう呼べば。そう戸惑いながらイヤホンを外していると、美少女も名乗っていないことに気が付いたようだ。


「そういえば、名乗っていませんでしたね」


コホンと咳払いすると、優雅に礼をした。角度や所作、何から何までが様になっており、日本人離れした容姿も相まって、何処かの国の姫君のように見える。そんな彼女に見惚れているのは蓮華だけではない。

屋上の時間を止め、彼女が主演の舞台を作り出しているかのような、不思議な現象に、誰もが息を呑んで見つめていた。


「二年C組、楓・クロフォードです。先日は名乗りもせず失礼しました」


どうして冴えない男子生徒に、絶世と呼べる美少女、楓が頭を下げているのか。

理由も分からない周囲の生徒たちの反応は様々だった。不信に思う視線や、紛れ込む敵意の視線。もしも質量が伴っていたら、蓮華の身体はきっと穴だらけになっていることだろう。


「あ、えっと、よろしく、お願いします」


しゃがみこんだままでは失礼だと思った蓮華は、立ちあがり礼をした。楓の身長は、蓮華よりも少しだけ低いが佇まいが堂々としているせいでそんな差などないように感じてしまう。

 

物腰の柔らかい笑みが向けられてはいるが、決して緊張が解れることは無い。そもそも彼が緊張している原因は目の前の美少女ではなく、周囲からの視線だからだ。


「そ、それで、クロフォード先輩は、俺に、その、何か用事が?」

 

緊張が喉に影響を与えたのか、声が間抜けに裏返り汚い音を出した。なんとも情けない態度に恥ずかしくなり目を背ける姿はまるで子供だ。蓮華自身もそれを自覚しているのだろう。舌打ちするのを耐え、顔を顰めている。

 

だが、彼の様子を見ている楓の表情は穏やかで、むしろ楽しそうに綻んでいた。


「ええ。少し、お話がしたいと思いまして。放課後、時間はありますか?」

 

彼女の心地よい声が意味していたのは、端的に言えばデートの誘いだった。ヒソヒソという声がイヤホンを外した蓮華の耳に聞こえてくるが、気にしている余裕は消え去っている。

なぜ、どうして。そんな言葉ばかりが頭の中を駆け回る。こんな面倒ごとに巻き込まれる覚えも無ければ、すれ違っただけの楓に呼び出される理由もない。


「いや、あの、ちょっと放課後は用事がッ!」


断ろうと口を開き、その場を立ち去ろうとした蓮華のネクタイを楓が掴み引き寄せる。近づいた二人に堺目は殆ど無く、まるで恋人同士のような距離感だ。


「ちょ、何を」


引き離し、逃げ出そうとした耳元に彼にしか聞こえないような小さい声が発せられた。囁く音はこそばゆく、謎の艶めかしさを帯びている。


「アーケード版D(ドラゴニック)・D(ドラギオン)について、お話がしたいんです」


背筋にゾクリとした感覚が走った。それは彼女の声によるものだが、性的な興奮ではなく不安や不信という類の危機感によるものだ。

蓮華が昨日の夕方に、財布の中身を殆ど使い、あのゲームをプレイしていたことが知られている。

もちろん違法では無いし、校則違反でもない。咎められるようなことではないと理解しているが、それを誰かに知られるのは余りよろしくない。交友関係は狭く、部活にも入っていない冴えない男子生徒が、ゲームセンター通いなど下手な噂になりかねない。

 

最悪な想定では、学校での居場所を失くして三年間暗黒の独り身生活だ。それだけは何としても避けたかった。


「なんで、そんなこと」

 

蓮華の問いかけを楓の笑みが遮った。何かを伝えるような独特な笑みだ。それのせいで何かを言う気は失せてしまい、逃げる様に屋上から去っていった。混乱する思考を制御しようと深呼吸するが、その最中に感じ取れた香りで事態を理解する。


「やっぱりあの人も」

 

その呟きに答えるものは誰一人としていない。問題なのは、これから彼女に何を言われるのかと言うことだ。授業は残り二コマ。二時間後にはその瞬間が来る。逃げるようなことは出来なかった。


**********


 

何か待ち遠しいことがあるとき。待っている時間と言うものはとても長く感じてしまう。

では逆の場合はどうだろうか。来てほしくない瞬間と言うものは、それは実際の時間以上に早く来てしまう。

今の蓮華にとっては、帰りのホームルームが終わるこの瞬間こそがまさにそれだった。気が付けば、楓に呼び出されている情報は一年にまで流れ着いているようで、クラスメイトからの視線に晒されていた。


「居心地悪いな……」


普段から良いわけではないが、今日はそれ以上に最悪だった。残りの二限、生徒の八割は授業に集中せず楓のことを話していた。蓮華へと直接聞きに来るものは一人もおらず、それが余計に居心地の悪さを大きくしていた。


「お~い、なんか話題に上がってるね蓮華」

 

溜息を吐いていると、彼の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。別のクラスから訪ねてきた千尋の声だ。楓から放たれるような穏やかなものとは違い、どこか活発さを宿した彼女の声に、謎の安心感を抱いてしまう。


「千尋……今すぐ俺を別の惑星に連れて行ってくれ」

「何をアホなこと言ってんの。ゲームじゃあるまいし」

 

ふざけたことを言っているが、思い詰めているのは確かだ。未だに席から立ち上がることのできない蓮華の机に腰かけた千尋は、何かを察したのか缶コーヒーを渡してきた。微糖と漢字で書かれた缶は冷えており、買ったばかりだと直ぐに分かる。


「ありがとさん」

「いいよ。百二十円だから」

「金とるんだ」

「そりゃあタダってわけにはいかないよ」

 

ケラケラと笑う千尋が手を差し出してくる。情の無い行動に見えるが、お使いに行ってもらったと考えれば損とは思わない。財布から提示された金額をちょうど差し出し、その指でプルタブを引いた。


「でも、なんで金糸姫に呼び出しなんてされたの?」

 

黒い液体を体内に流し込み、疲労を緩和していると千尋の口から聞きなれない単語が飛んできた。仰々しく、それでいて何処か陳腐な単語だ。誰かのことを指しているかなど分かりやすかったが、確証は無かった。


「禁止って、何を禁止するんだよ」

「え? ああ。違う違う。金の糸って書いて金糸姫ね」

「それって、クロフォード先輩のことで合ってるか?」


駄洒落にも似た蓮華の勘違いを訂正した千尋は、流れる様に頷き説明を始めた。


「正解。容姿端麗、成績優秀。教師陣の信頼も厚いご令嬢で、着いた呼び名は金糸姫。学年問わず有名人だよ?」


その情報は、上級生や他クラスとも交流がある彼女だから手に入れることが出来たものだろうが、蓮華には縁のない話だった。

それにしても、いったい誰が呼び始めたのか。


MMOゲームならば大型のミッションを達成することで照合を手にし、掲示板や攻略サイトなどで広められるが、現実世界ではそうもいかないだろう。

広めたのはクラスのお調子者か、それとも情報通か。名付け親も気になるところだが、蓮華にはそれよりも大事なことがある。


「大層な呼び名だが、俺は今からそのお姫様をまかなきゃいけない」


コーヒーを飲み干し、空いた缶を潰して教室のゴミ箱へと投げ入れる。幸いなことに、今週の掃除当番は蓮華では無かった。席を立ち、鞄を抱えて教室内を警戒する。どうやら、楓もクラスまで迎えに来るようなことは無いようだ。


「せっかくのお誘いなのに逃げちゃうの?」

「少なくとも日は起きたいね。合流したところを他の生徒に見られるのが一番いやだ」


自分がゲームセンターに通っているという噂を広められるのと、学園内でも有名な美少女と待ち合わせをして逢引をしていたという事実が広まるのだとしたら、後者のようが状況としてはよろしくない。


「じゃ、俺は裏門から帰るわ。お疲れさん」


ヒラヒラと手を振る千尋に答えながら蓮華は教室から出ていく。その瞬間に廊下で話していた生徒たちからの視線が突き刺さるが、気にしている余裕はない。挨拶をすることもなく一目散に階段を駆け下りていく。

そのまま裏門まで走り抜けたかったが、流石に上靴のまま逃げ出すほど無様を晒したくは無かった。見つからないように下駄箱に足を踏み入れ、運動靴を取り出そうとしたその時だ。


「あ、意外と早かったですね。相崎くん」


靴を履き替え、既に身支度を整えた楓の声が蓮華へと向けられた。逃げる道を潰されたことを、受け入れざるを得ない状況だった。

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