第二話 相崎蓮華
二十一世紀は、波乱の百年だった。世界的にウィルスが蔓延し、これまでのように対面して仕事をすることが難しくなった。学校などもそうだ。登校期間は極端に減り、友人を作ることも難しくなる。
そんな日々が長い間続いたとき、ある技術が核心的なまでに進化した。それが仮想空間、いわゆるVR技術に関わるものだ。大規模なネットワークに、意識だけを取り込むことで直接会うことなく交流を深めることが出来る。
それからウィルスが終息してもVR技術の躍進は止まらなかった。手が届きずらい高級商品から、一般家庭にまで手が届く電化製品へと普及していき、二十一世紀も後半に差し掛かった今では、ダイバーズギアというゲーム機まで発売されていた。
しかし、どんなに仮想空間へと足を踏み入れる技術が発達しても、わざわざ対面して作業を行う必要性が薄れていっても変わらずに集まらなければいけないものはある。
それが、学校というものだ。
「それで、相崎。何か入る部活は決まったのか?」
ボンヤリと適当なことを考えていた少年、蓮華は目の前にいる女性の言葉で現実世界へと引き戻されていた。長い髪を一つに纏めた彼女、三原は吊り上がった瞳を困った風に下げている。普段ならばカッコいい、出来る女教師と頼りにされる方が多いのだが、この瞬間だけは違った。
対して、蓮華の容姿は平凡だ。街中で見かければ特に印象にも残らないと言った、髪が跳ねている以外に特徴もない、ごく普通の高校生。
そんな彼が、学内でも美人と人気の教師である三原に、職員室まで呼び出されている。
「いや、その、すいません、まだです……」
視線を逸らしながら誤魔化そうとするが、それも上手くいかず溜息を吐かれてしまう。彼がこの高校に入学して一か月。ゴールデンウィークも終わったこの時期になっても、未だに帰宅部のままだった。
「これで何回目かな、何か興味があるものは無いのか。もう五月も半ばだぞ」
興味があるものと言われ、浮かび上がったものは確かにあった。だが、それを口にすることは出来ない。言ったところで、教師である彼女には理解が出来ないことだろうと諦めたからだ。
眼を逸らし、黙り込んでいる蓮華を見て三原は溜息を吐く。いったい、こうして話し合うのは何度目だっただろうか。それすらも数えるのを止めてしまった。
どうしたら自分の要望を聞いてくれるのか、とそこまで考えたとき、完全下校時刻を伝える放送が校内に響き渡った。
「はぁ……とりあえず、考えておいてくれ。一度入って、すぐに辞めたっていいんだから」
「それ、先生が言っていいんですか?」
三原の口から漏れた本音に苦笑いをした蓮華は、置いていた鞄を背負って職員室を出ていく。精神的な疲労にやられたせいで荷物は普段以上に重く感じてしまう。沈んでいく夕日が窓から差し込み、少しだけ外を眺めれば部活動に勤しむ生徒たちの姿を見ることが出来た。
それを見ても、羨ましいという感情は生まれない。これを誰かに言おうものなら、冷めている自分に酔ってる、などと馬鹿にされかねないが、運が良いのか悪いのか、彼にそんな話をする友人はいなかった。
「お~い、蓮華!」
いや、一人だけいた。呼びかけてくる声を聴き、振り返った彼の背を叩く人が、まさにその人だ。蓮華よりも少し低い背に、明るめの髪を短く切り揃えた活発そうなシルエットが特徴的な女子生徒。彼女は笑みを浮かべながら、リュックを背負いなおして隣を並んで歩く。
「なぁ、千尋(ちひろ)。篠原(しのはら)千尋(ちひろ)さん。いきなりぶっ叩くのは挨拶としてはどうなのかね?」
「アッハッハ、なに変な喋り方してんのさ気持ち悪い!」
冗談めかしながら向けられた文句に女子生徒、千尋は意にも介さず笑い声を上げながら背中を叩くのを止めない。スキンシップと言われればそれまでなのだが、続けざまにされると鬱陶しくもなってしまう。
だが、それを声に出して空気を悪くするようなことはしない。彼女と蓮華は幼い頃からの付き合いで、この程度で目くじらを立てていたら話にならない。
「それで、遂にお叱りを受けてきてどうだった?」
彼女は蓮華が呼び出された理由を知っている。教員たち以外で知っているのは千尋だけだ。しつこく聞いてくるせいで思わず漏らしてしまい、毎回のように結果を聞いてくる。
「どうもこうもないよ。部活入れって言われただけ。このご時世に部活って……」
そう言いかけて口をつぐんだ。理由など、隣にいる千尋が部活に打ち込んでいる生徒の一人だからだ。そんな友人をバカにするような発言など出来るわけがない。
彼女も蓮華の失言に気づいたようだが、苦笑いを零すだけで文句を言うようなことはしなかった。それは優しさから出た沈黙でもあり、厳しさから出た沈黙だ。
「あ~、すまん。今のは完全に俺が悪かった」
「うん。素直でよろしい」
千尋の笑顔がもとに戻る。蓮華も困ったように笑われているよりは、こっちの方が好きだった。やがて二人の間に沈黙が流れる。聞こえてくるのは吹奏楽部や合唱部の演奏と、運動部の掛け声ばかりだ。
「でも、本当に興味湧く部活無かったの? 運動部じゃなくても、文化部とか、うちの学校って結構そこらへんは豊富だよ?」
水泳部、文芸部、サッカー部、パソコン部と、千尋が指折り数えていく。中には聞いたことが無いようなものもあり、彼女の勤勉さに蓮華も関心してしまった。
「どれもピンとこないんだよ。中学の頃なんて、冴えないゲームオタクだぜ?」
ニヒルな笑みを浮かべると、鞄を背負いなおして歩く速度を上げた。これ以上話していては、余計なことまで口走ってしまいそうだったからだ。
「そ、っか……そうだね。うん。仕方ない」
そう思ったのは、どうやら千尋も同じようだった。穏やかな笑みを少しだけ曇らせると、立ち止まって先を歩く彼へと声をかける。
「じゃあ、私は部活に行ってくるから。おじいさん達によろしくね!」
運動部に所属している彼女らしい、張りのある声に手を振って蓮華は答えた。振り返らず、真っすぐ階段を下りていく。千尋が所属しているのは剣道部だ。校門からは真逆に位置する道場で毎日のように鍛錬に勤しむ。
対照的に、蓮華の日々と言えば無気力なものだ。入学してからと言うもの、学校に行き、真っすぐ家に帰り課題や本を読む。それの繰り返しで実を結ぶものは一切ない。バイトを始めれば何か変わるのだろうと考えたこともあるが、考えたことがあるだけだ。
「どうしようかな……」
無気力さを絵に描いたような態度で溜息を吐く蓮華は、どうやって時間を潰そうかと思考を巡らせる。本屋に立ち寄り長編の小説でも買おうか。それならば時間を潰すにはちょうどいい。
そうと決まれば、行動に移すのは速かった。目的地へと向かう彼の足取りに淀みは無い。靴を履き替えて校門から出ると、金属バットがボールを打ち上げる音が聞こえてきた。近づいてくる音を気にせず、校舎から立ち去っていく。
これが彼のスタイルだ。出来るだけ誰かに関わらない。暇つぶしのために何かを探す。つまらない日常に埋もれないために申し訳程度の努力をする、空しい少年の日々だった。
**********
商店街と住宅街の中間地点。蓮華がいつも足を運ぶ本屋はそこにあった。親書に加え古本までと、普通の書店よりも豊富な品揃えを誇っている。店主は気の良い初老の男性で、彼が幼いころから変わっていない。
年中無休で開いており、少なくとも無断で店を閉めていたことは無かった。しかし今日だけは事情が違ったようだ。
「店主がぎっくり腰で病院に連れていく、か……赤裸々に書いたもんだなこれは」
家族、おそらく店主の妻か娘だろう。腰痛の報せはシャッターが下ろされた店頭に張られており、人の気配は一つもしない。
本当ならば、ここで長編の小説を入手して後日の暇を潰すお供が出来るはずだった。だが結果はこれだ。溜息を吐いた蓮華は、これからどうしようかと考えながら帰り道を歩き出す。
駅の方へと向かえば確かにここよりも大きな書店がある。だが、その方面は住宅街とは逆方向で、帰宅する時間を考えると足を運ぶ気にはなれなかった。
「マジでどうするかなぁ……」
コンビニで漫画雑誌を立ち読みでもしようか。公園で缶コーヒーを買ってベンチでのんびりしようか。思いつくのは、どれもこれも中年サラリーマンの休日のようで蓮華は軽く笑ってしまう。
そうこうしている内に、ふと建物の間に伸びている路地が目に入った。古い室外機やダクトなどが剥き出しになっている、少し不潔な路地だ。普段ならば無視して通り過ぎていたであろう景色だが、気まぐれが無関心を上回った。
時間を潰すためにも遠回りして帰ろうとでも思ったのだろうか。それは本人にも定かではない。欠伸をしながら半身になって路地裏を進んでいく。生ごみの据えた匂いが鼻を突き、気分が悪くなっていくのを感じると、抜けた先から子供たちの笑い声が聞こえてきた。
昔ながらの駄菓子屋に集まり、ベンチに座ってカードゲームや携帯ゲームをして遊んでいる。彼らの姿を見た蓮華は、思わず口元に笑みを浮かべてしまう。思い返せば、自分も似たような場所で、似たように友達と遊んでいたかもしれない。
懐かしさに浸りながら、声をかけることなく通り過ぎようとしたとき、彼の前を誰かが横切った。ぶつかりそうになる直前で立ち止まったおかげで、その人物をまじまじと眺める余裕が生まれる。
それは女性だった。いや、未だに女性に成り切れていない少女と言う方が正しいだろう。色素が薄く長く整えられた髪が向かってくる日の光に反射し、彼女自身が輝いているような錯覚を見てし合う。
まじまじと見つめていた蓮華の視線に気が付いたのか、彼女も力強い視線で見つめ返してきた。
目が合うと、何か反応をすることもできず、再び彼女の姿に見惚れる。
色素が薄いだけと思っていた長髪は、プラチナブロンドと呼ばれる珍しい類の色で、両サイドを髪飾りで留めているヘアスタイルは、傍から見ても丁寧に整えられている。彼女の大きな瞳は青く、高い鼻に透き通るような白い肌は日本人離れしている整った容姿をしていた。
息を呑むほどの美少女に初めて会った蓮華が気になったのは、何も彼女の容姿だけではない。顔から下、豊満な胸部を押し込んだ服装に見覚えがあったのだ。
「あの、何か?」
ほんの少し続いた沈黙を破ったのは美少女の方だった。怪訝は表情を浮かべながら首を傾げている彼女からしてみれば、同年代の異性に見られ続けたら良い気はしないだろう。
普通ならば、不快感を抱えながら通り過ぎるところだろうが、強気にも彼女は睨みを利かせてきた。大きく、鋭く吊り上がった瞳は、軽く睨みつけるだけで相当の圧があった。
「あ、いや、えっと……」
なんと返そうか、口ごもりながら蓮華は視線を泳がせる。これでは誰が見ても不審者か、そうでなくともそれに準ずる何かだ。空気が悪くなっていくことを肌で実感していると、何とかして話を切り出した。
「せ、制服!」
「制服?」
単語だけでは意味を理解できなかったのだろうが、少し考えてから美少女は自分と蓮華の制服を見比べる。男女の違いは大きいが、二人が着ているのは同じ系統の、そして同じ学校の制服だった。
「同じ制服で、でも学校で見かけたことなかったな~、って、思いまして……」
口が裂けても彼女に見惚れていたなどとは言えなかった。上手く誤魔化せたと少し安心していると、改めて目の前で制服のリボンを弄っている美少女を眺める。
「制服ですか……なるほど」
彼女は納得しきれていないようだが、一つ、二つと頷くと、咳払いをして顔を上げた。向けられた眼光は真っすぐ蓮華を射抜き、眼を逸らすことを許さなかった。
「理由は分かりました。けれど、女性を無遠慮に見つめるなんて感心しませんよ、えっと……失礼ですが、お名前は?」
「あ、相崎、蓮華です」
有無を言わさない眼力に蓮華は断ることもできず名を名乗る。ここで、強気に出ることが出来たとしたら怪しさも無くなったのだろうが、残念ながら彼もそこまで図太くなかった。
「相崎くん。私は少し不快に感じる程度でしたけど、下手をすれば訴えられてしまいますよ。そう言った揺すりや、たかりのようなことをする人もいますから」
きつかった口調が優しいものに変わっていく。おかげで蓮華の緊張も解れていき、彼女の言葉を聞き、理解するだけの余裕が生まれていった。厳しさの中には確かな優しさがあり、初対面の相手を案じる色が含まれている。
「す、すいません……」
バツが悪くなり軽く頭を下げる。そう言った人間がいることは確かだ。いま彼がいるような、人通りの少ない場所の治安はどんな時代も良いとは言えない。それを失念していた蓮華の落ち度だ。反論が出来るわけもないだろう。
「いえ、こちらこそ後輩に言いすぎましたね。相崎くん」
優しい声が美少女から聞こえてきた。よく見れば彼女がしているリボンの色は蓮華のネクタイと色が違う。それはつまり学年が違うということだ。
口ぶりからして彼よりも上の学年だろう。見かけたことが無いのも納得だ。これだけ優れた容姿を持つ彼女のことだ。同じ学年にいれば話程度なら千尋あたりから聞いていただろう。
「それじゃあ、真っすぐ帰るようにしてくださいね」
上品にお辞儀をした美少女は、手を振ってその場から立ち去っていった。引き留める理由は無く、そんなことをするだけの度胸も彼にはない。ただ立ち去っていく後姿を見ながら、名前を聞いていなかったことを悔いるしかできなかった。
まるで現実感の無い体験に謎の倦怠感を感じていた蓮華は、ふと彼女が歩いてきた方へと視線を向けた。いったい、こんな人通りの少ない路地で何をしていたというのか、純粋に興味が沸いたからだ。
目を向けた先にあるのは一件の古い店だ。高いビルに囲まれ、なんの店かは良く見えないが、先ほど通り過ぎた駄菓子屋とは違い、電子的な灯りで照らされている。
興味が惹かれ、帰り道から逸れると分かっていても店の方へと足を進めていった。近づくにつれ、埃やカビの匂いが突き顔を顰めるが、微かに混じった心地いい香りで気分が良くなる。おそらく先ほどの美少女が残したものだろう。
「なんだ……ここ……」
残り香と悪臭に従い辿り着いた店は、意外にも古めかしいゲームセンターだった。VRゲームが主流になった現代ではまず見かけないであろう筐体や、景品ですら郵送されるクレーンゲームなどが並んでいる。
店内に入っていっても、客の姿は一つもなく、それどころか店員の姿すら見えない。埃っぽさに咳き込み、こんなところにあの美少女がいたとは思えず、帰ろうと踵を返した。
直後、その視界の端に、一つの筐体が入ってきた。塗装は剥げ、埃を被っているが、未だに画面は稼働している。解像度は低く、動きも滑らかではないが、画面に映っているロボットの後ろ姿には見覚えがあった。
「これ、DDか?」
取り付けられている操縦桿と、並んでいるボタンには、彼が力を入れていた仮想世界と似通った特徴があり、触れた感触も殆ど同じだった。
「もしかして、アーケード版か?」
ふと、噂程度に聞いたことがある。DDがVRMMOのタイトルとして開始するよりも数年前、試験的に運用されたアーケードゲーム版。それが蓮華の目の前にある筐体だ。
「レアではあるけど、実際にやってる人とかいたのかね」
VR技術が発展するよりも前は、こうしてゲームセンターへと足を運んで対戦するという形式が主流だったが、現代を生きる蓮華には想像をすることは出来ない。
供えられているシートに腰かけ、ゆっくりと身体を静めると、埃に交じって心地よい香りに包まれる。それはきっと、彼女がここにいたという証拠だ。
我ながら気持ち悪いと思いつつも、蓮華は小銭を入れる場所に張ってあったシールに眼をやる。一回二百円と印刷されたそれは剥がれかけているが、何とか読み取ることは出来た。
本を買うための値段よりは半額以下と思った時には、財布を取り出して百円玉を二枚投入していた。なぜ、どうしてと考える必要はない。ただの暇つぶしだ。
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