第15話 交渉

 商会長の理解もあり、商談を進める。

 アーシアの両親たちのことは、手付金を払うことで売らないでいてくれることになった。

 待遇にも配慮してくれるらしい。


「なるべく、急いで全額を持ってこよう」

「はい。お待ちしておりますね」


 商談がほぼまとまりかけたとき、最初に接客してくれた店員が駆け込んできた。


「も、もうしわけありませんでじだぁ」


 泣きながら土下座している。

 色々先輩店員から話を聞いて、俺への態度がまずかったと思ったようだ。

 だが、この場合、泣きながらの土下座自体が失礼極まりない。


「い、いい加減にしなさい! 時と場合を考えなさい!」


 さすがの商会長も少し慌てる。

 別の店員が慌てて走ってくると、俺に頭を下げて若い店員を引きずりだそうとする。


「ぐびになっだらどじおいだおっがぁがああ」


 この店員には、どうやら年老いた母がいるらしい。

 この商会を首になったら、養えなくなると思って慌てているのだ。


「申し訳ありません。閣下。厳しく罰しますので、どうかご容赦を……」


 商会長がそう言って頭を下げると、若い店員は

「うぇぇぇぇ」

 鼻水を垂れ流しながら泣き出した。


 俺はなるべく優しい顔を作る。


「本当に気にしなくてよい」

「……ですが、そういうわけには」

「まだ若いのだ。厳しい処罰は、どうかどうか許してやってくれ」

「……閣下。なんと慈悲深い」


 俺は若いが、侯爵家の嫡男、内政担当者だったのだ。

 ずっと貴族連中や中央官僚と交渉を続けてきた。


 その経験から言って、無礼なふるまいをされて怒るべき時とそうではないときがある。

 それは、感情ではなく、実利によって判断されるべきものだ。


 無礼を働かれて怒るべきときもあるが、レアケースだ。

 そして今回は許した方が実利がある。


 店員が俺に無礼なふるまいをしたことは商会の負目なのだ。

 俺が激怒して、若い店員をクビにさせれば、それはそれで一つの落としどころになる。

 なってしまうのだ。


 気持ちいいかもしれないが全く得はない。首になった店員に逆恨みされるだけ損である。


 だが寛容になり店員を処罰しないでくれと言えば、感謝こそされ逆恨みはされない。

 加えて、商会としても別の落としどころを用意する必要がある。

 往々にして、そういう場合の落としどころは実利を伴うことが多いのだ。

 無能な商人ならともかく、この百戦錬磨の商会長ならば、俺の意図を察するはずだ。

 必ず実利を用意してくるに違いない。



 若い店員が泣きながらお礼を言って退室すると、商会長は再び頭を下げる。

 そして、お詫びと感謝の言葉とともにアーシアの両親の値段を少し下げてくれた。


 割引率は大きくないが、元の額が非常に高いので、金額的にはかなり安くなった。


「値下げしてもらえたことはありがたいが、よいのか?」

「我が商会は閣下とは今後ともよい関係を続けていきたいと思っております」

「……そうか。ありがとう。助かる」

「畏れ入り奉ります」


 商会長は再び頭を下げる。

 流石は商人。頭を下げることはただと知っているのだ。だから何度でも下げる。


「……ところで閣下。これからどちらにお住まいになられるのですか?」

「まだ、決めていない。どこかの安宿に泊まるとするさ」

「そんな閣下ともあろうお方が安宿などに……」

「いや、俺には安宿暮らしは意外と向いているらしい」


 ヘイルウッド領を出てから、粗末な宿屋で寝泊まりしているが熟睡できている。

 屋敷にいたころより、気持ちよく目覚められているぐらいだ。


「……ですが閣下。幼い姉妹が一緒なのでしょう? 可哀そうではありませんか?」

 確かにそう言われたらそうかもしれない。


「……それはそうだな。少し良い宿に変えたほうがいいかもしれないな」


 俺が少し考えていると、商会長は笑顔で言う。


「それがよろしゅうございます。……ときに閣下。よい物件があるのですが……」

「ほう? それはありがたい話だが、なにぶん手持ちがな」

「わかっておりますとも」


 商会長は近くの店員に声をかける。


「君。例のあれを」

「畏まりました」


 そして俺の方に向き直る。


「閣下にちょうど良い物件がございます」

「ふむ? なんどもいうが、お金はあまり余裕がないぞ? 早く奴隷を買いたいからな」

「わかっております。このぐらいの値段でお売りいたしましょう」


 商会長が提示した値段は、安宿に三人で三か月素泊まりするよりも安かった。

 このぐらいの値段ならば支払える。

 問題はどのような部屋で、どのような状態なのかだ。


 すぐに店員が書類を持ってきた。


「これがその物件になります」

「ほう……」


 見取り図や近隣の地図、築年数などが書かれていた。

 築年数はある程度古いが、状態はよさそうである。

 五部屋ほどある一軒家で風呂やトイレもあった。


「いいじゃないか」

「はい。格安でご提供させていただいております」


 こちらが商会長のお詫びの本命だろう。無礼な店員を許した甲斐があったというものだ。

 とはいえ、お詫びだとしても安すぎる気がする。


「安すぎるな。どんな問題があるんだ?」

「さすが閣下ですね。確かにこの物件には問題があります」

「問題によるな」

「ご安心ください。閣下にとっては問題になりますまい」


 そういって、商会長は微笑んだ。

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