(25)
「そんなに変なことを言っていますか?」
「え、ええ……」
これは、思い切ってザカライアさんに閨でのその物騒な物言いは直せないかと直截に話したあとの会話である。
わたしの「理想の夫婦」計画を成就させるためには、ザカライアさんのやたらに物騒な物言いはぜひとも直せるならば直して欲しいところであった。……どうしても無理、と言うのであれば妥協する所存ではあった。ひとまず、縛り上げるのはやめてくれた……つまり、ザカライアさんはひとつ妥協しているわけなのだし。
けれどもザカライアさんの反応は、まるで自分が妙なことをのたまっているとは思いもよらない、というようなものだった。これは少し意外だったが、一応、想定の範囲内ではある。もしかしたら、もしかするかも、くらいは思っていた。
ザカライアさんは続いて「具体的に指摘して欲しい」と言ってきたため、わたしは覚えている限り、ザカライアさんが口にした言葉を再現する。……とは言え、わたしもザカライアさんの言葉をちゃんと聞いていたのは初夜くらいであった。それ以降は、テキトーに聞き流していたのであった。
ザカライアさんはわたしの言葉を聞いて、考え込むような顔になる。一方のわたしはと言えば、ザカライアさんがどんな反応をしてくるのか予想できず、胸をドキドキさせながら返答を待っていた。
ザカライアさんは、指摘されればきちんと自身を顧みることができる人だと思っている。冷血ではなく、ちゃんと温度のある人間なのだ。だからこそ、わたしが縛るのをやめて欲しいと言えば、ちゃんとやめてくれたわけだ。自らの欲望を優先することを至上としているわけではない。
そうであるから、わたしが普通に指摘をすれば、ザカライアさんは普通に考えることができる……はず。
「君に……ちゃんと伝えたくて」
「伝えたいこと、ですか?」
「そう。……恐らく、私は君にそばにいて欲しい、逃げないで欲しいと思ったから、そういう言葉が出たのだと思う。私は抑えてきたつもりだったけれども……実際は違ったらしい」
ザカライアさんの言葉を受けて、わたしはおどろき半分戸惑い半分となった。
ザカライアさんのあの物騒な言葉の数々が、ほとんど無意識の内に出てきたことにおどろいた。そしてそれは、あれでも抑えていた方なのだという事実は、わたしにとって驚愕に値する言葉だった。
――あれで抑えていたのなら、本心はどれだけ過激なの……?!
そう突っ込まずにはいられなかったが、わたしはあえて言葉を呑み込んだ。ザカライアさんの今の性格を形成するに至った経緯をわたしは知らない。けれども今、ザカライアさんは必死にそれを頭の中で分析しているように見えた。そして今は、そういうことを話す雰囲気だとも、わたしは思った。
「前の奥様に逃げられたのが……辛かったんですよね」
「……そうだね。自分のなにが悪かったのか、最初はわからなかった。でも、本当は気づいていたんだ」
「その……内容を聞いても?」
ザカライアさんの目に動揺が走った。けれどもこれはチャンスだとわたしは思った。
ザカライアさんが一向に見せようとしないその本心。それに今、触れられるかもしれない。
そしてザカライアさんの中にあるだろう傷は、恐らくだれかに吐露することで少しは癒えるかもしれないと思った。素人考えかもしれないが、かつてわたしがメアリーにそうしたように、ザカライアさんがわたしにそうすれば、なにか進展があるかもしれないと思ったのだ。
けれども、それを決めるのはわたしじゃない。ザカライアさん自らの意思でそうしなければ、意味はない気がした。
ザカライアさんはゆらゆらと目を泳がせる。その視線の先はなにもない中空だ。その目の奥では、今必死に色んなことを考えているのだろう。わたしはそれを黙って待つことにした。
……やがて、ザカライアさんが重い口を開いた。
「スクールに通っていたときから、私は『重い』と言われたよ。なにか、愛情表現が大げさすぎるってことなのかもしれない。それで何人かの女の子とは付き合っても別れてしまった。それ以外では……父がよく口を出して……まあ、『あの女はお前にふさわしくない』とかね。まあ、そういうことを言われて、相手がわたしに嫌気が差したんだろうね。別れてしまったりして……」
ザカライアさんは重いため息をついた。
「私は、最初の結婚の前に婚約者にも逃げられているんだ。なんでも、他に好いた相手がいたとかでね。駆け落ちしてしまって……でも、そこまでするほど相手のことを好いていて……私が嫌だったのなら、仕方がないと思ってね。表向きは破談ではなく白紙に戻したことにしたんだよ。父には随分と文句を言われたし、父は裁判にすると息まいていたけれど……私がやめさせたんだ。上手く行かなかったのは、やっぱり私が不甲斐なかったからだと思ってね」
わたしはただ、ザカライアさんの話に口を挟まず、否定も肯定もせずただ相槌を打つ。
「それで、前の妻も……そうだね、結局のところ、私の不甲斐なさに嫌気が差したんだろう。前の妻と父はどうにもソリが合わなくてね。それでも上手くわたしが取りなせられればよかったんだろうけれど……結局は出て行ってしまった。父は前の妻を気に入っていなかったから、『それみたことか』と言われたよ」
ザカライアさんは静かに語るが、その目は今にも泣いてしまいそうな気配があった。
「まあ……そういうわけで、君に逃げられるのが怖いんだろうね、私は。君に見捨てられたくないという気持ちもあるけど……情けないことに、父をまた落胆させたり、失望させたりすることの方が私は怖いんだろう。私は……家庭人になれない。君の……夫にふさわしくないんだと……思う」
ザカライアさんはそこで深いため息をついた。まだ話したいことはあるかもしれなかったが、言葉はそこで途切れる。そしてザカライアさんはひどく疲れたような顔をしてわたしを見た。
「頑張ったんですね」
わたしの口から出たのは、素直な感情だった。けれども、ザカライアさんからすれば意外な言葉だったのか、彼はおどろきに目を見張る。
「いえ……私は――」
「わたしは、ザカライアさんはその時その時せいいっぱい頑張ったんだなって思いました。それは上手く行かなかったかもしれませんけど……」
「……うん。そうだね、上手く行かなかった……。……父の期待に応えられなくて……それが心苦しい。けれども今は、それに君を付き合わせようとしていることが、苦しいよ」
「わたしと『夫婦』になることは……ザカライアさんにとっては、任務、みたいなものなんですか?」
「どうだろう……そうかもしれない。『夫婦』になりたいと言われても、わたしにはよくわからないから……けど、断れば君は私に失望するかもしれないと思った」
「……無理に、付き合わせてしまったんですね」
「……無理じゃない。正直に言えば、うれしかった。君からきてくれて。温かい家庭、みたいな夢が見られて……」
「……そうですね……ザカライアさんが本当に無理をしているわけじゃないのなら……やっぱり、もうちょっとだけ頑張りたいです。わたしは、ザカライアさんと『夫婦』になりたいし、『家族』にもなりたいんです。どうですか?」
ザカライアさんの目は、迷子のような瞳をしていた。どうすればいいのかわからない。正解がわからない。きっと、今のザカライアさんは白い霧の中をさまよっているような気分なんだろう。わたしにも、覚えがあるからわかる。
ややあって、ザカライアさんは口を開くと同時に、薄く微笑んだ。少しぎこちない微笑みだったが、それが少しでもわたしによく見せたいという気持ちからきているのであれば、うれしい。
「そうだね……もうちょっとだけ、頑張りたい。私も、君と『家族』になれるのなら――なりたい」
そうザカライアさんに言われて、わたしの頭にピンと思いつきが宿った。
「それじゃあ……わたしの誕生日プレゼントは家族写真がいいです。あ、この場合は夫婦写真と言うんでしょうか? ……とにかく、ザカライアさんと一緒に写った写真が欲しいんです。それで、それをこの家に飾りたいです」
「写真か……そういえば一枚もないね。いい考えだと思うよ」
今度はザカライアさんはぎこちない微笑みではなく、自然と漏れ出たような微笑を浮かべた。それに釣られて、わたしの頬も自然と緩む。
先ほどまでの暗鬱な空気は、もうここにはなかった。
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