(26)

「最近、綺麗になったって噂になってるよ」

「……綺麗?」


 エリーの言葉の意味が本気でわからず、わたしは軽く首をかしげた。わたしは決していい意味で巷説をさらうような美少女ではない。それは一番、わたし自身がよくわかっている。だからこそライナスと付き合っていた頃は、彼の気を引こうと必死におしゃれに勤しんでいたわけで。


 けれどもエリーは「わかってないなあ」とばかりに大げさに肩をすくめた。


「そう。綺麗というか……生き生きとしているっていうかね。私から見てもわかる。アンは変わったって」

「ぜんぜん、変わっていないと思うけれど……」

「大人の色気が出てきたんじゃないの? 結婚したことだし。人妻の色気?」

「そんなの出てないと思うけどなー……」

「まあ、なんにせよ、男子生徒のあいだでちょっとした噂になってるから伝えておこうと思って」

「いつもありがとう。エリー。そういう噂を聞いてもわたしはなにかの役に立てられないけれど……」

「『気をつけて』って意味よ! 今さらアンの魅力に気づいてお近づきになりたいっていう不届き者が出るかもしれないからね」

「ええっ。……わたし、不倫なんてイヤよ?」

「わかってるって。だから『気をつけて』って言ったじゃない。また変な噂にならないようにね」

「一応、気をつけてみるけれど……」


 ――わたしが綺麗? ……そう言われても、やっぱりピンとはこない。確かにわたしはもう処女おとめというわけじゃないけれど、処女を失ったからと言ってすぐさま大人の色気が出てくるなんて、あり得ないだろう。


「生き生きとしている」と言われた方が、わかる気がする。ザカライアさんに淡い恋心を抱くようになって、俄然「理想の夫婦」計画を成就させようと、日常に張り合いが出てきたことだし。確かに今のわたしは、しょぼくれているというよりは、生き生きとしているという表現の方が合っているに違いなかった。


「でも、そんな噂があるなんて……」

「こっちの方が噂としてはマシよね。タビサ・ロートンは大荒れみたい」

「どうして?」

「アンが幸せでいて、周囲の評判がいいのも気に食わないのよ。特に、男にモテてるみたいに取れる噂は、ああいう手合いの女には我慢ならないでしょうね」


 エリーは訳知り顔で言い切ったが、わたしはタビサ・ロートンがとにかくこちらのすべてが気に食わないのだ、ということくらいしかわからなかった。


 今のわたしはザカライアさんのことで頭がいっぱい手もいっぱいで、タビサ・ロートンに構っている暇はない。タビサ・ロートンもわたしに物申したいことは色々あるだろうことは、悪い噂を振りまいていることで察せられるが、こちらから会いに行くのはシャクってやつだ。タビサ・ロートンもわたしに会いに行く気はないようなので、放っておいている。


「嫉妬……なのかしら? わたしにはよくわからないけれど」

「そうよ。今のタビサ・ロートンは自分の思い通りにコトが運ばなくて、それでいて妬みそねみにまみれているって感じね」


 嫉妬。自分から言っておいてなんではあるが、やはり理解はできなかった。わたしは「不幸な結婚をした」と噂を振りまかれるような女なのに。……現実がどうであるかはまだ答えを出せないが、少なくとも噂の中のわたしは、不幸なままのはずである。


「タビサ・ロートンはわたしよりもすごく頭がいいんでしょう? スクール始まって以来の才媛だって……。それで、好きな人とも付き合えているのに……どうしてわたしに嫉妬する必要があるのかしら」


 純粋な疑問を口にすれば、エリーはまた大げさに肩をすくめた。


「そういう人間もいるのよ」


 エリーは訳知り顔だったが、やっぱりわたしにはそこへは理解が及ばないのだった。


「それよりアン、旦那様とはどうなの?」

「どうって……その。主人は優しいわよ?」

「疑問符がつくってことは――」

「違う違う! ちょっと、言い切れなかったのは恥ずかしかっただけ……」

「あら、そうなの?」


 エリーがたちまちの内に怖い顔になったので、わたしはあわてて誤魔化して言葉を濁すことをやめた。わたしが不幸な結婚生活を送っていたとして、エリーにできることなんて現実的になにもないとはわかっていたが、それでもこの親友ならばなにかやらかしかねないというパワーは感じられた。


 エリーは今度はにわかに意地悪そうな顔になった。これは、わたしには分が悪い。仕方がないのですぐに白旗を揚げて、わたしはザカライアさんへの気持ちを洗いざらい吐くことにした。……ちょうど、エリーからのアドバイスも欲しかったし、と心の中で言い訳をして。


 けれども――。


「ふーん。旦那様に恋を……ねえ」


 エリーの反応は思ったよりも悪いものだった。これは信用していない目だ。なにを信用していないかと言われれば……わたしの、審美眼とかだろうか? たしかにライナスという唯一のケースを取り上げれば、わたしは見る目がないんだろう。なにせ、手酷く捨てられるギリギリまで、わたしは彼の心が自分から離れていることに気づかなかったのだから。


「そんな目で見ないでよ。大丈夫、主人はすごく優しい人だから!」

「優しい人は親の商会が傾いたことにつけ込んで、その娘と結婚に持ち込むなんてことしないと思うけど」

「そ、それはたぶん、主にお義父とう様が……」

「ふーん……」

「だ、大丈夫よ。確かに前妻さんはお義父様と上手く行かなかったって聞いたけれど、今の主人はわたしとお義父様が会わないように取り計らってくれているから……!」

「そんな難物がしゅうとなんて、まったくもって難儀なことね……」

「うう……」


 言い返せる言葉がなく、わたしは黙るしかなかった。実のところジョーンズさんがどれだけの人物であるか、わたしは知らない。エリーに言ったように、ザカライアさんはジョーンズさんとわたしをできるだけ会わせないようにしているからだ。


 だからもしかしたら、ザカライアさんから見たジョーンズさん像は被害妄想が入っているかもしれないし、逆にザカライアさんの言葉から受けた印象そのままの、面倒なお人という可能性もある。現状、開けてみるまでわからない、びっくり箱のようなものだ。


「でもさあ、今度の誕生日パーティーで会うんじゃないの? 『親しい人だけを集めて』……って聞いたけれど、その『親しい人』の中には当然夫の肉親も入っているわけよね?」

「うん……」


 わたしの誕生日パーティーの招待状はもちろんエリーにも渡していた。だから、彼女は知っているのだ。


 ザカライアさんはジョーンズさんを呼びたくなさそうだったが、わたしが「大丈夫だから」と説き伏せてきちんと招待することにしたのである。この「大丈夫だから」には根拠はあってないようなものだった。先にどういう人物か聞いているから、「大丈夫」とは言ったが、いざ対面して本当に「大丈夫」でいられるのかまでは、わからなかった。


「私がしゃしゃり出てできることなんてないけど……まあ、気をしっかり持ってとだけ言っておくわ」


 エリーは冷たく突き放すようにも聞こえる言葉を発しながらも、その顔はいかにも心配げだった。エリーくらい気が強くて社交的で頭も回る事情通ならばともかく、わたしはそこらの小娘。そんなわたしが辣腕家で知られるジョーンズさんと対面してどうなるのか……さっぱりわからないので、今のところ恐怖心とかはない。


 それが吉と出るか凶と出るかはわからない。けれどもわたしの誕生日パーティーは、すぐそこまで迫っていた。

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