(12)

「あと前から言いたかったんだけど、アンをフってからタビサ・ロートンと付き合うまでの期間があまりにも短すぎる件については、なにか申し開きはないわけ?」


 エリーがついに言ってしまった。恐らくエリーも、そしてわたしも思っていながら口にはしなかった疑問を。


 ライナスにフられて、ザカライアさんと結婚することになって、そしてそれからほとんど期間を空けずに彼はタビサ・ロートンと恋人の間柄になっていた。いつ、そうなったのか具体的な日付をわたしが知らないのは、ライナスにフられてからすぐ、結婚の準備に追われてスクールを休んでいたから。


 しかしエリーによると、わたしが結婚のためにスクールを休みだしてからほとんど間を置かずに、ライナスとタビサ・ロートンは付き合い始めた様子であったと言う。その件について、わたしの親友であるエリーは色々と思うところがあるようだった。


 当初はライナスに、わたしの悪い噂を流しているらしいタビサ・ロートンをどうにかしろと文句を言いに行ったところから始まるのだが……気がつけば怒り心頭のエリーによってライナス自身を糾弾する場と成り果てていた。


 というのも、ライナスがとにかく話にならないからだ。


 久しぶりに見ただろうわたしの顔を一瞥しても、ライナスはわたしをフったときのような――嫌そうな顔はしなかった。そのことは、正直に言えば意外だった。夢見がちすぎたわたしの結婚プランを聞いて、もう顔を見るのも嫌だから別れを切り出したんだと、わたしは思っていたのに。


 ライナスはなんだか余裕たっぷりの顔でわたしを見て、「なにか用かい?」と実に物腰柔らかに聞いてきたのだ。昔――と言ってもさほど月日は経っていない――はこういうところが大人っぽく感じられて、わたしはライナスは運命の王子様なんだと思って夢中だったのだけれども……。


 なんだか今は、わたしを手酷くフった事実を忘れているように思えて、不気味に映る。タビサ・ロートンのことだって、エリーの推理がもし当たっているならば、わたしの内情を彼女に流しているのはライナスということになる。もしそうであれば、こんな余裕綽々な態度でいられるだろうか?


 ……もしかしたら、エリーの推理は外れているのかもしれない。――そう、思っていたのだけれども。


「アンの話? タビサがどうしても知りたいって言うから教えたけれど?」


 わたしはびっくりした。隣にいるエリーもびっくりしていたが、すぐに怒りの形相へと変わる。……ごめんなさい、エリー。あなたの推理は間違っていなかったわ。わたしは心中でエリーに謝りながら、ライナスの変化に二度三度とびっくりする思いだった。


 ライナスはわたしのことを親しげに「アン」と呼んだ。わたしをフったときは、他人行儀に「アンジェリア」と呼んでいたのに……。もちろん付き合っていて、仲睦まじい――とわたしは思い込んでいた――期間は「アン」と呼ばれていたんだけれども。けれども、もちろん今はそんな間柄ではないはずだった。


 別れるときに「お友達に戻りましょう」となれば、親しげに愛称で呼んでも別におかしくはないだろうけれど……わたしたちの破局は突然で、決定的なものだったはずだ。まさか、それを忘れて今さら「アン」と親しげに呼んでいるわけでもないだろう。……もしかしたら記憶喪失にでもなってしまったのだろうか?


 そういうわけで、なぜか余裕たっぷりのライナスがわたしには不気味に映って仕方がない。なにを考えているのか、さっぱりわからない。


「どうして教えたのよ? 元カノのデリケートな事情を一緒に笑ってやるつもりだった?」

「誤解だよ。そんなわけないじゃないか。笑うだなんて……タビサはそんなことをするじゃないよ」

「はあ? あんたの目ってずいぶんな節穴なのね。……じゃあ、どういうつもりでタビサ・ロートンに教えたの?」

「アンのことをもっと知って欲しくて……。仲良くして欲しいんだよね、僕は」

「はあああ?」


 ライナスの言っていることがわけがわからなくて、わたしは怖くなった。……が、それよりもエリーの頭の血管が切れるんじゃないかと気が気ではない。エリーはもう一度、ライナスにすごむように「はあああ?」と言った。ライナスはしかし、それでもへこたれる様子は微塵もない。自分が、おかしなことを言っているという自覚すらなさそうだった。


「『仲良く』ぅ?! あのね、アンはね、アンタが手酷くフったんでしょーがっ! 『元』恋人なの、『元』がついてるの! それ、わかってる?! だいたいの女は別れた元カノと仲良くできるわけないっつーの!」

「そんなこと、やってみなきゃわからないし、タビサとアンはいつかわかりあえるよ」

「『いつかわかりあえる』ってなに?! わかりあう必要性はこれっぽっちもないわよね?! 大体、アンは結婚したの! 人妻なの! よその人の妻なの! あんたの妙な思想に巻き込んで、変な噂を振り撒かれて、もし婚姻関係に差しさわりがあったら、あんた責任取れるの?!」


 エリーからは「おっとりしている」とか、もっと口さがない人には「どんくさい」と言われるわたしは、なぜ彼女がここまで怒っているのかようやく芯まで理解した。


 そう、わたしは既婚者なのだ。ザカライアさんの妻なのだ。もう、結婚して嫁いでしまった身なのだ。……それなのにかつての恋人に気があると、タビサ・ロートンに認識されている事態は、ちょっとどころではなく、マズイ。


 今さらながらにそれを理解して、「悲劇のヒロイン」気分に急ブレーキがかかる。あからさまに顔色が悪くなったわたしを見て、エリーが「ほら見なさい!」と悪魔も逃げ出しそうな形相でライナスに怒っている。


「あんたはさ、アンをフったの! 捨てたの! そこ、わかってる?」

「わかっているさ。アンは僕の生涯の伴侶とするにはちょっと子供っぽすぎたからね。でももう顔も見たくないほど嫌いになったわけじゃないって、気づいたんだ」


 ライナスがエリーから視線を外し、隣で黙り込んでいるわたしを見た。その視線がなんだか気持ち悪く感じられて、わたしは自分自身にびっくりしていた。


「……タビサ・ロートンの方がアンタの生涯の伴侶にふさわしいって言うんなら、もうアンとは係わらないで。あと前から言いたかったんだけど、アンをフってからタビサ・ロートンと付き合うまでの期間があまりにも短すぎる件については、なにか申し開きはないわけ?」


 ――それ、今聞くんだ。わたしは心の中でそう思った。


 要は「あんた二股してたんじゃないの?」と言う疑念だ。エリーが言いたいのは。


 仮に今さらそれが事実だったと判明しても、どうなるという話ではないというのは、わたしもエリーもわかっていた。けれどもエリーは聞かざるを得なかったのかもしれない。もし二股が真実であれば、なんだったら怒りのままにエリーが真相を周囲にぶちまけても不思議ではない。今のエリーはそれくらい、ライナスの所業に腹を立てているように見える。


「だからなんだって言うんだい? 生涯の伴侶は慎重に決めなければならないんだから。あとで『間違いでした』とは言えない作業なんだよ?」


 ……どこから突っ込めばいいのか、わたしにもわからなかった。エリーにもわからなかったのだろう。怒らせた肩をおさめて、心底呆れ切った軽蔑の眼差しをライナスに送る。わたしはかろうじて残っていた理性的な部分で、「叔母様が聞いたら爆発しそうだな」とどうでもいいことを考える。


「ないわー。ふたりを天秤にかけて? アンタ、何様のつもりよ。ないわ」

「女にはわからない作業だよ」


 心底呆れ切ったエリーの視線を受けてか、余裕たっぷりだったライナスが初めてムッと気分を害した様子を見せる。エリーはひたすら「ないわー」とつぶやいて、隣にいるわたしはそれを止めることもせずに、じっと珍獣でも見るような目でライナスを見ていたことだろう。


「正直、アンタのツラを一〇発くらいは張り飛ばしてやりたいけど……もう係わり合いになりたくない気持ちでいっぱいだから、タビサ・ロートンともども、もうアンには近づかないって約束して」

「君に命令される筋合いはないな。それにアンの気持ちを無視している」

「は?」


 ここまできて、わたしはやっと気づいた。……ライナスはまだわたしが向こうに未練たっぷりだと思い込んでいることに。


 びっくりした。びっくりしすぎて引っくり返りそうだった。だって、わたしを手酷く捨てたのはライナスの方だ。ライナスと結婚すると疑っていなかったわたしを、見事にフったのは彼の方なのだ。


 それが、今さらなにを言っているのだろう? 本気でわけがわからない。わけがわからなすぎる。


 わたしは混乱のままに、ただひたすらライナスの気持ちをわたしから引きはがしたいがために、思ってもいないことを口走っていた。


「わたしは主人とラブラブなので! それはもう毎日イチャイチャしているので! 無理です! 無理無理! ライナスさんにはもうこれっぽっちも気持ちはないので! 無理なんで! 結婚して毎日幸せなんで! そういうことなので! 無理なので! それじゃ!」


 口走っている途中で自分でもなにを言っているんだかわからなくなり、最終的にわたしは逃走した。エリーはライナスへ最後に悪態をついてすぐに追ってきてくれたけれども、ライナスは呆気に取られた顔をしていたように思う。


 ――ああ、やってしまった……。そんな気持ちでいっぱいになったが、あれだけ言われればライナスもあきらめるだろう。わたしはそう楽観視していた。

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