(11)
その日の営みは、初夜からほとんど変わりがなかった。変わったところと言えば、わたしが多少、受け入れることに慣れてきたことくらいだろうか? 最中も事後も異物感を覚えることがほとんどなくなったのだ。
けれどもやっぱり現実問題として頭上で拘束される腕や肩は、終わりが近づけばダルく感じられる。そしてやはりわたしの体力がないからなのか、終わってしまうとすぐに就寝コースであった。
お陰で終わったあとのピロートークなんてものには未だに遭遇したことがない……のは、幸か不幸かわからなかった。だって、わたしから「この人がいい」と望んだ結婚でも、先方から「この子じゃないと」と望まれた結婚でもないのだ。
まだ子供を作る気があるのかどうかは、ザカライアさんには聞いていない。ただ、今妊娠してしまったらスクールを辞めなければならないだろう。「結婚してもスクールには通ってもいい」とお墨つきを得て嫁いだことを考えると、それをザカライアさんが反故にするとは思えず、であれば連夜の行為は新婚夫婦の蜜月を世間への体裁として行っているにすぎないのだろう。
「子供をいつ作るか?」と聞いて、もし、もしも……「愛人とのあいだに儲けるから」なーんて返ってきたら……きっとわたしは泣いてしまうだろう。ひっそりと、物陰で涙して。けれども夫の言うことだからどうしようもできなくて……耐えるしかないのだ。
そんな状況を想像してわたしは胸をドキドキとさせた。現実を認識しての恐れ半分、空想を意識してのワクワクが半分である。
そんなことになってしまったら……なんて波乱万丈な人生だろう! とびっくりして嘆いてしまうに違いない。けれどもそんな風にわたしの気持ちを無視されるなんて、ものすごく「悲劇のヒロイン」っぽくてワクワクしてしまうのだ。
いや、未だにザカライアさんがどういう人なのかはさっぱりわからないのだけれど……。
その日の朝も、ザカライアさんと顔を合わせることはなかった。相変わらず体は綺麗にされていて、そしてわたしが起きるより先に商会へ出勤してしまっている。
避けられているのかな? と思って、ゾクゾクする。温もりを灯そうとするけれど、そんなことができない冷たい家庭……それでも「悲劇のヒロイン」は耐え忍ぶ……。わたしはロマンス小説のヒロインになりきって、なんでもない顔をして新居を出る。
もともとジョーンズ邸に用意されていた使用人たちの目も、どこかわたしを心配げに見つめているような気がした。わたしが連れてきた唯一の使用人であるメアリーはもっとあからさまだった。けれどもわたしは「健気に」――「みえるように」笑顔を振りまいて明るく「いってくるわ」と告げる。
スクールの手前で合流したエリーはなにかを強く決めたような顔をしていた。
「ライナス・アースキンに苦情を申し立てるわよ」
「ライナスに?」
「そうよ。『あんたの恋人をどうにかしなさい』って言いに行くの」
「……なにかあったの?」
怒り心頭といった様子のエリーに、わたしは恐る恐る尋ねた。それを受けて、エリーは堰を切ったように話し出すが、やはりしっかり者の彼女のことなので、怒ってはいても話は把握しやすかった。
昨夜は婚約者と一緒にとあるガーデンパーティーに招待されたのだそうだ。そして、そこでライナス・アースキンとその新しい恋人であるタビサ・ロートンに遭遇した。狭い社交界のことであるから、こういうことは起こるべくして起こったことだろう。
……と、そこまで考えて、わたしはザカライアさんと結婚しても、そのお披露目パーティーみたいなものには出ていないことに気づいた。普通は盛大な挙式をもって新妻の紹介と代えるのだろうが、それはなかったわけで……。
ふとないがしろにされているのかな? と考える。しかしそれはそれで面白い気がした。秘される新妻、だなんて、「悲劇のヒロイン」ごっこには「おいしい」材料だ。
そこまで考えて慌てて意識を現実に戻す。エリーは相変わらず怒った様子で話を続けていた。
「――それで、タビサ・ロートンってば急に怒り出して私のドレスに果実酒をぶっかけたのよ!」
「……それはひどいわ」
「本当よ! せっかくトムが選んでくれたドレスだって言うのに! タビサ・ロートンにもムカついたけれど、横でヘラヘラしながら謝るライナス・アースキンもムカつく! あーっ今思い出してもほんっっっとムカつく~~~!」
エリーは今にもその場で地団駄でも踏みそうな勢いだった。けれどもいつだって優雅な所作のエリーがそんなことをするはずもなく、彼女はぐっと顎を上に向けて空を睨みつけることで、内にあるイラ立ちをどうにか発散させようとしている風に見えた。
「そんなことをして、問題にはならなかったのかしら?」
「なるわよ。っていうか、わたしがした。タビサ・ロートンの家にドレスのクリーニング代を請求したわよ。でもあの場でことを荒立てることはできなかったわ……。あのパーティーってわたしの親戚が主催していたから……騒ぎ立ててやりたかったけど、ぐっと我慢するしかなかったってわけ」
「でもドレスを台無しにするなんてひどいわ」
わたしだって社交界にたまに出入りしているので、ドレスに嫌がらせをする女の子は見たことがある。けれどもそういうのは、たいてい偶然を装ったり、バレないように上手くやるものだ。真正面から果実酒を浴びせかける、なんてことはロマンス小説の中でしか、わたしは知らない。
――でも、もしそんなことをされたりしたら……すごく「悲劇のヒロイン」っぽいわよね……。
もちろん、わたしの身に降りかかったことではなく、エリーが体験した不幸なので、まったくワクワクはしなかった。それよりも、恐らくタビサ・ロートンがエリーに突っかかったのは、間違いなくわたしが絡んでいるだろう。それはひどく申し訳なかった。
「ごめんね、エリー。なんだか巻き込んでしまって……」
「気にしなくていいのよ。っていうかもう、これは私とタビサ・ロートンの戦争だから! 売られた喧嘩は買う! でもその前にライナス・アースキンに『アンタどういうつもりなの』って聞きに行くわ。どう考えてもアンの情報をタビサ・ロートンに流してるのはアイツだからね」
「そうなのかしら? ……たしかに、ライナスのお父様とわたしのお父様は同じ業界に身を置いているけれども……」
「絶対にそうよ! ……それで、アンはどうする? アンもアイツになにか言いたいことがあるなら、今の内に言っておけば?」
「言いたいことは別にないけど……エリーをひとりで行かせるのは心配だから、ついて行くわ」
ライナスの存在には、不思議なことにもはや未練も切なさもなかった。彼は今や「悲劇のヒロイン」を演出するための小道具に過ぎなかったので、先の言葉は虚勢でもなんでもなかった。
けれどもエリーはしっかり者で気が強いと言えども女の子。男であるライナスのところへひとり行かせるのは気が引けて、わたしは肩を怒らせている彼女について行くことにしたのだった。
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