第8話

【トーマス・オーバン】【リサ・バランタイン】


 警邏の引継ぎが終わり自宅に帰ったのは日の出の少し前だった。

 トーマスが自宅の居間に入ると、暖炉の前で椅子に座って編み物をしていたリサの耳がピクリと動き、次いでゆっくりと顔を上げた。


「なんだ起きてたのか」


 トーマスがそう言うと、リサは編み棒と毛糸を傍らに置いて立ち上がり、フリルのついた前掛けを軽くはたいてしわを伸ばした。そしてトーマスに向かい恭しくお辞儀をする。


「おかえりなさいませ、坊ちゃま」

「坊ちゃまはやめろと言ったろ! ただいま!」


 帽子を取りながらトーマスは顔をしかめる。上着を脱いで近づいてきたリサに渡す。


「失礼致しました……が、坊ちゃまは坊ちゃまです。おや?」


 リサが上着を受け取ると、すぐに顔を上げて焦点の合わない視線をトーマスに向けた。


「今日のお仕事は何か大変なことがあったのでは?」

「なぜ分かる」


 むっとして聞き返すトーマス。リサの顔を見ると、たまたま視線が交錯したので目を逸らした。弱視なので仕方ないのだが、じっと見られるとどうにも居心地が悪い。


「上着から煙と土、血のにおいがしますわ。あとはぶどう酒とホルマリンのようなにおいも微かに……。何か事件に立ち会って、お医者様のところへ行かれたとお見受けしました。お怪我はされていませんか?」

「怪我はしてない」


 トーマスは苦虫を噛み潰したような顔をして唸った。リサはすぐに見透かしてくるので嫌いだ。


「その様子ですと、何か失敗をされたのですね?」

「そんなことはないぞ」


 まさにその通りである。トーマスは数時間前の出来事を思いめぐらした。墓泥棒の現行犯をようやく捕まえたと思ったら肝心の遺体がなく、大恥をかいてしまった。思わず尻尾を撒いて退散してしまい、上司に報告するわけにもいかず忘れようと胸の内に留めていた。しかし、あの少年はどう見ても遺体を盗んでいるようにしか見えなかったとか、あの部屋もちゃんと捜索すれば良かったのではないかといった気持ちが萎むことはなかった。とにかく、今は仕事の話はしたくなかった。


「詮索するな、何も問題なかったぞ!」


 考えを振り払うように思わず大きな声を出したが、リサは動じることなくピシャリと言った。


「下手な嘘はいけません。声の調子ですぐに分かりますわ」

「ほっとけっ」


 耐えられなくなり、リサを無視してキッチンへと向かった。その途中で、リビングのテーブルにトーストと焼いたベーコン、サラダが置かれているのに気付いて足が止まる。


「ポットに紅茶が入っておりますわ」


 上着を壁にかけながらリサが言う。尻尾が揺れた。

 言われるがままにポットのふたを開けると、中の赤い液体からほんのりと湯気が上がった。


「ふん。俺はコーヒーが飲みたいぞ」

「豆が切れたので買いましょうと昨日お伝えしたはずですが?」

「むっ」


 編み物に戻ったリサに憎まれ口を叩いてやろうと思ったトーマスだが、返り討ちにあってうめく事しかできなかった。仕方がないので黙って椅子に座り朝食を取ることにした。トーマスの好みに合わせたカリカリのベーコンをフォークで突き刺す。

 隙なし、そつなし、抜かりなし。誰かが彼女をそう評していた。俺から言わせたら、容赦なし、気遣いなし、可愛げなし、だ。トーマスはそう思った。


○○○


 食事を済ませた後はリサが持ってきた新聞を受け取って広げる。空いた食器を下げながらリサが尋ねてきた。


「何か面白い記事はございますか?」

「特にないな」


 紙面をめくりながら適当に答えるトーマス。ぱっと目に入った記事を話題にする。


「帝国博物館が一部改装されたとさ。魔導史ブースで特集があるらしい」

「まあ、それは」


 カウンターを隔てたキッチンに移動したリサが声を上げた。


「なんだ興味あるのか?」

「はい。以前に同じイベントがありまして、一度見たいと思っていました。古今東西の魔導品があるとかで」


 そう言われてトーマスは再び記事に目を落とした。確かに言われた通りだ。ネクロノミコンの写本、魔女の動く腕、最初期の魔動機――どれもトーマスにはピンとこないものだが、その手の人種には垂涎の品が揃っているらしい。


「お前、オカルティストだったのか? こんなものに興味があったなんて」

「魔法が非科学的オカルトな時代はもう過去の事です。見聞を広めていきませんと。坊ちゃまもご一緒にいかがですか?」

「なーにが見聞だ。ちゃんと見えもしないくせに」

「坊ちゃまが説明して頂ければ良いのですよ」

「できると思うか? 何見たって本だとか手だとしか言えんぞ」

「それで良いのです。トーマス様が何を見ていらっしゃるのかを推測するのが面白いのです」

「面白くない。俺はたいそう不満だ」


 仏頂面で答えると、リサは食器についた汚れを落としながら笑った。

 リサは聡明でいろいろなことに対する知識が深い。それはトーマスも認める所だ。昔から体は弱いくせに口が達者なのが気にくわなかった。皆で遊ぶ時も何かと理由を付けてこそこそ本を読む姿を見つけては、獣人のくせになまいきだと構ってやっていたのだが、何を勘違いしたか家族が余計な気を回してしまい、今はトーマスのメイドとして働いている。

 そのような訳で、リサはメイドにも関わらずどこか小馬鹿にしたような、慇懃無礼な態度で接してくる。そのくせ仕事はそつなくこなすので屈服させることも出来ず、非常に厄介な相手なのであった。


「まず俺は今日非番だ。どこにも出かけんぞ」


 新聞を畳んでテーブルに放り投げ、断固たる意志を持って腕を組む。リサは天井を向いてわざとらしく言った。


「そういえば卵も切れていましたね」

「む」


 リサの言葉に、朝食の中にゆで卵がなかったことを思い出すトーマス。


「ワインとベーコンも、大分少なくなってたかしら……」


 頬に指を当て、白々しくうそぶいている。トーマスは鼻を鳴らし、あごで玄関の方を指した。


「買ってくればいいだろう、金は渡す。博物館にも勝手に行けばいい」

「あら、私の目が悪いことをご存じでそんな意地悪を仰るのですね。眼鏡も修理に出したまま戻ってませんのに。そうしたら私、きっと迷子になってしまいますわ。警察のお世話にならざるを得ません。もし坊ちゃまの同僚の方がいれば、坊ちゃまのお名前を辱めることになりますわ……」


 どこで覚えたのかエプロンの裾を鼻先に当てて、「よよよ」と下手糞な泣き真似を始める。


「わかったからやめろ!」


 たまらず大声を上げるトーマス。


「買い物だけだからな! 博物館行くなら置いて帰るぞ!」

「かしこまりました」


 降参すると、リサはすぐにケロッとした顔で頭を下げた。その飄々とした態度の一つ一つがトーマスには気に障るものだった。


「お仕事上がりでお疲れでしょう、午前中はお休みになってください」

「このくらいどうってことはない! 仮眠をとるから二時間後に起こしに来い」


 午前中に出かけるよう誘導されている事にも気付かず、椅子から立ち上がったトーマスはずかずかと寝室へ歩いて行った。

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