第7話

 作業は滞りなく進んでいった。保存用の溶液を入れた水槽に検体を入れて別室に移した後、使用した器具の洗浄を済ませる。

 一通りの仕事を片付けてコーヒーを飲みながら血で汚れた床に水をかけていると、扉の向こうから慌ただしい足跡がやって来た。


「すみません! 遅くなりました!」


 扉を開くと同時に謝罪をする弟弟子リョータ。肩で息をしており、うねりのある黒い髪が額に張り付いていた。

 アリシアは水で薄まった血が排水溝に吸い寄せられるように流れていくのを見ながら言った。


「終わったわ」

「ああ、アリシアさんすみません! 先生はもうお休みになられたんですか?」


 部屋内にアリシアしかいないのに気付いたリョータが後頭部を掻きながら尋ねる。


「先生は出かけたわ。何か飲む?」

「ああ、ありがとうございます。コーヒー……いやワインをお願いします」


 リョータの言葉にうなずくと、アリシアは湯気の出るコーヒーカップを解剖台に置いた。部屋の隅の作業台に行き、台の後ろに手を伸ばすと忍ばせていたワインボトルを手に取る。

 アドルソンは全く気づいていなかったが、この地下室はアリシアとリョータが私物を隠す場所としても使われていた。二人はアドルソンの家の屋根裏で寝泊りをし、弟子兼助手として働いている。食事は師匠が雇っている家政婦が出してくれるが、アイルランドの辺鄙な田舎生まれのために味の方はあまりよろしくない。

 仕方ないので師匠からの小遣いのような賃金でワインやチーズを買ってこの地下室に保管し、時折こっそり楽しんでいた。


「全部飲んじゃって」


 アリシアが中身の少ないボトルとグラスを渡しながら言った。


「すみません。新しいの、買っておきますね」


 リョータは礼を言うとすぐさま立て続けに二杯飲み、そうしてやっと人心地付いたというように満足げなため息をついた。


「それで、何かあったの」


 コーヒーカップを取り戻したアリシアが尋ねると、リョータは小刻みにうなずいた。


「ええ、はい。またドジ踏んで……もう自分が嫌になります」

「ほかの場所にすれば良かったかしら、ごめんなさい」

「ああ、アリシアさんのせいじゃありません、遺体を回収するところまではできたんです、問題なく。ただその後におまわり・・・・に見つかってしまって。かなり追い回されたんです」

「それは災難だったわね」

「本当に。あのおまわり本当にしぶとくて。犬に追いかけられた気分でした」

「無事でよかった。じゃあ遺体は置いてきたのね」

「あ! いえ、ちゃんと持ってきましたよ! 勿体ないですからね」

「そこまで無理しなくても良かったのに」

「手ぶらで帰ってきたらまた先生にどやされますから……」


 そういってハハと自嘲気味に笑うリョータ。アドルソンは自前で解剖用の検体を用意したことがない。クライアントから寄越された物がない時は弟子に調達させていた。


「外に置いています。見ますか?」

「そうね」


 リョータの提案にアリシアがうなずくと、リョータは最後のワインを飲み干し、部屋の外へ出て行った。やがて彼の上体が隠れるほどの木箱を抱えて地下室に入ってきた。


「なに? これ」


 箱を床へ降ろすのを手伝いながらアリシアが尋ねる。リョータは普段、盗んだ遺体を麻袋に入れて持ってくる。


「いつもは棺の中に検体があるんですが、今回のは棺の中にこの箱が入ってたんです。釘打ってるみたいだし戻ってから開けた方が良いと思って」

「人が入ってる割には小さいわね」

「子どもですかね。ちょっと工具とスケッチブックを取ってきます」


 リョータがバタバタと地下室から出ていく。その間アリシアは木箱を調べる。市場でよく使われているような変哲のない箱だ。文字が刻まれているという事もない。木の状態もカビなどなくきれいだが、新品には見えないような気がした。

 リョータが大きなくぎ抜きを持ってきたのでアリシアは彼に任せた。木材のつなぎ目にくぎ抜きの先端をねじ込み、少しずつこじ開けていく。しばらくの間、部屋の中にはリョータが力を込める声と魔力ランプが強く発光する低音だけがあった。

 やがて天板の固定が解かれ、リョータは木箱を開けた。二人で覗き込むように中身を見る。


「女の子」

「ですね。でも、これ」


 アリシアは黙ってうなずき、リョータが途切れた言葉に言外に同意した。

 木箱の中には一人の少女が目を閉じていた。肌は白く、長い髪も劣化が見られない。一見すると寝ているだけのように見えるが、胸は動いていない。

 しかし何よりも二人の目を引いたのが、その体の両手の肘から先、両足の膝から先が存在しないということだった。


「……ともかく、まずは検体の観察ですね」


 リョータがそう言うと、解剖台にシーツをかけてその上に少女の遺体を乗せた。そしてスケッチブックを手に取ると、少女の身体を交互に見ながら鉛筆を紙の上に滑らせ始めた。

 その間アリシアは解剖台をグルグル回りながら遺体の瞼を開いたり口の中のにおいを嗅いだりしていた。明らかに異常と分かる手足は後回しにする。


「年齢は十歳から十三歳程度……四肢の欠損以外に目立った外傷はなし……目立つ病気の兆候も見られない……」


 呟きながらアリシアが遺体の右腕を軽くつまんで持ち上げる。先端部分は元々肘から先などなかったかのように肉が丸く盛り上がり、皮膚に覆われていた。それを見たリョータが声を上げる。


「アリシアさん、それ。何かありませんか」

「どこ?」


 言われてよく見てみると、小さな染みのような跡が先端付近にあった。確認すると左手と両足にもついていた。


「事故ですかね? 両手両足とれて失血死で」

「傷口がふさがっている。死因は別よ」

「ああ、そうですね。うーん」


 リョータが頭をひねっていると、突如として扉を乱暴にたたく音がした。


「うわあっ」


 驚いてスケッチブックを放り投げるリョータ。アリシアは全く動じることなく、リョータを一瞥しすると、解剖台のシーツをまくって遺体にかぶせた後、扉に向かった。


「きっと先生ね」


 そういいながらドアを開けた。が、彼女の目論見は外れた。

 ドアの前には一人の大柄な警官が立っていた。アリシアの知らない顔だった。思わず閉めようとするも手で阻止される。


「見つけたぞ……死体泥棒めえ~」


 警官が渋い顔で唸る。リョータはその声に聞き覚えがあった。間違いなく先ほど自分を散々追い回したあの警官だ。撒いたと思っていたのに何という執念深さだ。


「ひえ……」


 いつの間にかリョータは尻もちをついていた。その姿を横目で確認しながら、アリシアは警官が部屋に入らないようドアの前で立ちふさがり、ぶっきらぼうに訪ねた。


「どちら様ですか? こんな時間に」


 警官は一瞬虚を突かれたようにアリシアを見て、あそうかと小さくこぼすと、ドアから手を放して一歩身を引き、整然と敬礼をした。


「夜分に失礼いたします! 自分は帝都警察のトーマス・オーバンと申します! 本日の巡回警邏業務において墓泥棒と思わしき人物を発見したため、身柄を追っている最中でございます! つきましてはご協力を――あ!」


 思い切り扉を閉め、アリシアはリョータに小声で叫ぶ。


「隠して!」


 その声に我に返り、慌てて立ち上がるリョータ。遺体を包むシーツを掴み、持ち上げる。

 が、掴んだ位置が悪かったのか、中身がまろび出てしまった。


「あ」


 ビタッという音がして、湿気が残る床に身体が落ちた。


「馬鹿……」


 アリシアがぼそりと悪態をついたその直後、無理やり扉を開けたトーマスが大きな声を上げた。


「ちょっと君! なぜ閉めたあ! 人が話している最中でしょうがあ!」


 そしてアリシアとリョータの視線の先にある遺体に気づいた。


「あ、ほら! 死体だ死体! やっぱりなあ! この帝都の治安を乱す悪党め! 逮捕だ逮捕! 現行犯で逮捕だ!」


 そう言いながらアリシアを押しのけ部屋の中にずかずか入ってきた。

 アリシアがあーあと上を向き、トーマスががっくりうなだれた、その瞬間。


「なんじゃなんじゃ……騒がしいのう」


 少女の声が部屋に響いた。


「ええっ?」


 全員の動きが止まり、その声の元に視線を向ける。それは小さく身じろぎすると、リョータに向かって話し始めた。


「そこのお前様よ、病人をここまで担いでくれて無理をかけたのう。シーツを取り換えてくれる心遣いも有難い。しかしじゃ、わちを床に転がすのは勘弁してほしいのう。見てのとおり受け身がとれぬ身体ゆえの、優しく扱ってほしいの」


 リョータがあんぐり口を開けて絶句する。

四肢のない少女は頭を動かし、今度はアリシアに向かって語り掛ける。


「さて先生よ。こんな夜分に起こしてしまって申し訳ないのう。じゃが急に具合が悪くなってのう、このままでは、痛くて死んでしまいそうじゃ・・・・・・・・・・。悪いのじゃが診察を続けてくれぬか?」


 そう言って小さくウインクをした。


「! そ、そう、ですね。診察の続きを」


 アリシアはうろたえながらもなんとか調子を合わせた。少女はコクリと頷くと笑い、今度はトーマスを見ると芝居がかった声を上げた。


「おお、これはこれはおまわりさん、お国の平和のためにこんな夜遅くまでご苦労な事なのじゃ。とはいえ今は見てのとおり、わちはお医者様に掛かっておるのでのう、できればそうっとしておいてほしいのじゃが……」

「へ? あっ!」


 ポカンとしていたトーマスも我に返って慌てる。どうしたものかと三人を代わる代わる見つめていると、少女が再び口を開いた。


「そういえばさっき、死体が何とか言っておったかの? もしかして、わちが死んでいるように見えたのか?」

「え、いや、さっきは確かに、あれ……?」


 少女の顔をまじまじと見ていたが。とうとう部屋の空気に耐えられなくなったのか、再び直立不動で敬礼をした。


「うごご……ご、ご協力に感謝いたします! それでは失礼いたします!」


 そうして振り返り、逃げるように部屋から出ていった。

 リョータは遠ざかる足音を聞きながら本日二度目の安堵のため息をついた。そこに少女の声がして、彼はまた体を大きく震わせた。


「さて、自己紹介でもしようかの?」


 リョータとアリシアが少女を見つめる。少女は肘の先で体を支えながら上体を起こし、言った。


「わちはキャサリン。キャサリン・キルホーマン。魔法使いじゃ。お前様たちに聞きたいことがあるのじゃが……わちの手足、どこにあるか知らんかの?」


 キャサリンと名乗った少女は右手を挙げてぴらぴらと振る。その直後に体勢を崩して床にばたりと倒れた。


「ぎゃ」


 リョータとアリシアは無言でお互いの顔を見合わせた。


○○○

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