第5話


 ジャックが部屋から出て螺旋階段を降りると、玄関に一人の男が立っていた。デイヴがこの建物に入る際に蹴り飛ばした老人だ。


「……」


 老人は黙ったままジャックを見つめていた。ボロボロのトレンチコートは風雨で色あせ、帽子も擦り切れている。顔中を覆うひげで表情が読み取りにくいが、丸まった背中は何とも言えない侘しさがあった。

 何かご用ですかと言いかけた所でジャックは少し考え、我に帰った。ここは店だった。ご用はあるに決まっている。


「すみませんが、今はまだ。子供が寝ているので」


 何も考えていなかったせいでなんとも頓珍漢な断り文句が出た。ジャックはなんとか愛想笑いを浮かべながら、こんな年寄りの浮浪者でも性欲はあるのだなと妙な所で感心していた。

 老人はゆっくりと後ろを向いて外の景色を窺ったのち、再びジャックに向き直って口を開いた。


「あんた、ジャック・オクトモアか」

「はい? ……ああ、そうか」


 いきなり名前を呼ばれたため警戒したが、何かあった時はこの老人に話せとデイヴが言っていたのを思い出した。連絡役として雇われているのであれば変にかしこまる必要もないだろう。

 とはいえ、その連絡役が声を掛けてきたという事は、何か伝えなければならないことがあるはずだ。デイヴの伝言かもしれない。

 老人の眉間には深いしわが刻まれ、髭についた泥が固まりかけていた。彼がデイヴから受けた仕打ちを思い出し、多少の同情心が芽生えたジャックは部屋のドアを開けた。


「入りなよ。お茶でも出そう」


 老人はぎくしゃくとした動きでうなずいた。


「蜂蜜とウイスキーをめいっぱい入れておくれ。タバコもあればいい」


 もしかしたらデイヴの対応の方が正しかったのかもしれない。


○○○


「それで?」


 暖炉の炎で部屋を暖めながら、ソファに座った老人を一服させた。その間にジャックは冷めた自分のコーヒーを淹れ直していた。


「あんた、ジャック・オクトモアか。ビリーのせがれの」


 玄関先での質問を再び繰り返す老人。ジャックは鼻でため息をつき、湯気の出るカップをもって別のソファに座った。コーヒーを一口すすって答える。


「ああ、ビリーは俺の父だ。知ってるとは思うけど、三日前に死んだ。だから仕事を引き継いだ」


 一時的にだが、と言葉の端に付け足して老人に首肯する。


「ビリーは殺された」

「それはデイヴから聞いた」


 老人は言葉以外に情報を発しなかった。その言葉すらもぼそぼそと唇だけ動かして喋るせいでいまいち考えていることが分からない。ジャックはカップをゆらゆらと回した。黒い波がカップの中で不安定に揺れる。


「犯人は捕まってないらしい。今手がかりを探してるとさ」

「いや、分かっている」


 老人が間髪入れずに口をはさみ、ジャックは思わず老人の顔を見た。


「なに?」


 老人のしわしわの皮膚の中には瞳が鈍く光っていた。


「調べはついておる」


 そう言うと老人はボロボロの上着に手を突っ込み、一枚の紙を取り出し、ジャックに手渡した。小さなモノクロ写真だった。荒い画質の中に一人の少女が写っていた。意志の強そうな目に小さな口と鼻。髪は緩くウェーブがかかっており、肩に少し触れる程度に伸びていた。

 ジャックは鼻で笑い、写真を老人に返した。


「爺さんの孫か? 中々美人だな。自慢する気も分かるけど、こんなところで見せびらかすのもあまり――」

「こいつの名前はレイチェルだ。帝国の工作員で、政府高官の護衛についていた」

「……はあ?」


 ジャックの話を完全に無視して語る老人に、思わず怪訝な顔になる。


「おいおい」

「高官の名前はジョン・クレイ。帝国官房の幹部で伯爵位を持っており、遠縁だが皇帝の親戚筋に当たる。三日前の深夜にビリーと会っていた最中に襲われ、二人とも殺された。その際にレイチェルも怪我を負って逃走している」

「爺さん、さては酒だけじゃなくて麻薬クスリもやっているな?」


 ジャックがそう言うと、老人は写真を胸元にしまい、代わりに小さな手帳を取り出した。革製の裏表紙に小さな紋章の入ったバッチが縫い込まれていた。それには大きな盾と剣、そして獅子と鷲のマークが刻まれていた。誰もが知る帝国の国章だ。これを身に着けることが許されるのは帝国公人、つまり帝国の公務に携わる者と皇族だけだ。


「あんた何者だ……?」


 ジャックは今日何度目かになる老人の顔を、今度は穴が開くほどじっと見た。相変わらずしわしわの無表情だったが、今はその中にそこはかとない重みのようなものを感じてしまうほど、バッチの効果は大きかった。


「わしはただの連絡役だよ」

「帝国政府とのか? 何で俺にこの情報を?」

「あんたがビリーの仕事を引き継いだからさ」

「どういうことだ?」

「ハ、そうか。まだ分からんか」


 老人は手帳をしまいながら、変わらずぼそぼそとした口調で話し始めた。


「あんたの父のビリー・オクトモアはマフィアじゃない、帝国公安局の局員だ。この組織で内偵ノミとして活動していた」

「なに?」


 ジャックは耳を疑った。また聞かされる父の謎に脳が付いて行ってなかった。唾を飲み込んで、恐る恐る尋ねた。


「どういうことだ? 何をしてたんだ?」

「さあな。ビリー・オクトモアの上司はクレイだけだったようだ。そいつもまとめて死んだから、今はもう何も分からん。言えるのは、ビリーの仕事は単なる組織の動向調査ではないという事だ。政府高官との直通パイプを持つだけの、何らかの秘密がある」


 何をしていた? ジャックの中で少し前に無くなったはずの疑問が再び鎌首をもたげた。むしろ謎が増えて混乱する。ジャックは再び老人に尋ねた。


「さっきの写真の子、レイチェルとか言ったか。あれは何なんだ?」


 その質問に対しても、老人は首を振った。


「分からん。帝国工作員というだけで、出生や所属のあらゆる記録が不明だ。突然帝国を裏切った理由や、今どこにいるかも」


 老人はそう言うとソファから立ち上がった。


「分かっていることは以上だ」


 そう言って部屋から出ていこうとする。ジャックは思わず大きな声を出した。


「ま、待ってくれ! 俺はどうすればいい!?」


 老人は振り向かずに答える。


「……。あんたは警察じゃないし、公務員でもない。別に何をしろと言わん。ただ真実を知っておくべきだ」


 それだけを言うと部屋から出て言った。


○○○


 いつの間にかコーヒーは空になっており、細くなった薪が崩れて暖炉の火が揺れた。


『尊敬されるマフィアだった』

『真実を知っておくべきだ』


 デイヴの言葉と老人の言葉が練りすぎたカプチーノのように溶け合って脳の壁にへばりついてくる。

 父が今の自分を見たらどう思うだろうか。生粋のマフィアであったなら、息子が同じ世界に入る事に抵抗はないだろう。しかし父は悪党の皮を被った正義の味方だったようだ。仕事の話を一切しなかったのも、大学に通わせてくれたのも、自分と同じ道を歩ませないための配慮だったのだろう。それが正しければ、その意志とは正反対に、ジャックは同じ道を辿って行っている。

 どうすればいいのだろうか。もう何度も反復した自問がまた出てくる。


「くそっ!」


 イライラして思わず手にしたカップを暖炉に向かって投げつけた。陶器のカップは固い壁に当たって無残に砕け散った。


「わっ!」


 出入口の方から驚く声が上がり、ジャックは慌てて振り向いた。少し開いたドアの隙間から二つの顔が目を丸くして覗いていた。

 しまったと思い急いで立ち上がると、ドアはバタンと閉じられた。


「ちょ、ちょっと待って!」


 走って出入口へ向かいドアを開けると、先ほど二階にいた二人が立っていた。左手が義手の女性と獣人の耳と尻尾を持つ少女。少女の方は尻尾を股の間に挟み込み、ブルブル震えていた。

 義手の女性がおそるおそる口を開いた。


「あ、あの、目が覚めたのできき来たのですが……ね、寝すぎたのでしたら、せ、せ、折檻はどうぞ私に……」


 あわを食うとはまさにこれといった顔で、少女を背中に隠しながら懇願されてしまった。

 二人の勘違いとあまりの怯えっぷりを見たジャックはしばらくぽかんとしていたが、なんだかおかしくなり、焦りの表情のまま口角だけ上げるという奇妙な顔を作り上げてしまった。


「――~~ッ!?」


 それをみた少女が声にならない叫びをあげた。ジャックは少し落ち込んだ。


○○○


 義手の女性の名はライラ。耳と尻尾の少女はサラ。

 二人をソファに座らせ落ち着かせるには多少時間がかかったが、名前を聞けた頃にはなんとか誤解も解け、落ち着いて話すことができるようになった。父の話は当然伏せている。


「店長に挨拶しなきゃと思ってドア開けたら暖炉の前でぶつぶつ言っててさあ、のんびりしすぎちゃったかなあとか思ってたらいきなり食器割るし、こりゃマズいと思ったらドア開けてあの顔だもん。あたしゃもう殺されるって思っちゃったわよ! アハハ!」


 ライラは快活で屈託なく笑う女性であった。彼女がけらけらと笑うたびに義手もキイキイと軋んだ。聞けばこの店に来る前も別の娼館で働いていたらしい。


「その義手はもうずっと昔から?」

「ああこれ。うん、あたしが二十歳になる前くらいからだから、もう十年くらいの付き合いになるかな」

「だいぶ年季が入ってるな」

「そうねえ、指とかもう動かないもんね。まあ長いこと付けてるからもう自分の身体みたいなものね」

「修理とかしないのか?」

「アハハ! そんなお金ないわよー! 店長出してくれる?」


 笑いながら義手で叩かれるジャック。割と痛かった。

 よく笑うライラに対してサラは非常に物静かだった。というより一言もしゃべっていない。ライラが言うには、誰が拾ってきたのかいつの間にか娼婦連中の中にいたようで、みんなからはたいそう可愛がられていたという。人見知りらしくライラにぴったりとくっついているので広いソファもなんだか狭そうに見えた。

 ジャックの視線に気づいたらしく、ライラはサラの肩を撫でながら言った。


「この子ね、喋れないみたいなの。たぶん生まれつきそうなんだと思う。あたしも声を聞いたことないのよ」

「え、そうなのか」


 思わず尋ねると、サラはおずおずと小さくうなずいた。よく分からないがそれは娼婦としてやっていくのは難しくないのだろうか、とジャックは危惧した。耳と尻尾だけ獣人の特徴が出る半獣人ハーフは人気が高いらしいが。


「この子まだそういう経験ないからさ、最初は店長が教えてあげてよね」


 あっけらかんと言うライラ。サラもさすがに意味は分かっているのだろう、顔を真っ赤にしてふるふると震え出した。

 サラの顔は整っているがその身体はとても華奢で、人形のような脆さがあった。正直な所、かわいい姪っ子を見てるようで性欲の対象とはし辛い。


「いや、あの……ちなみに自分の年齢とか分かるか?」


 ジャックが質問すると、サラは少し考えた後で両手の人差し指を立て、それをこちらに見せるようにちょこんと合わせた。


「じゅういち……」


 ジャックは頭を抱え、彼女を好きにしろと言ったデイヴの顔を思い出してげんなりした。

 そんな折、ふと窓に目を向けたライラが静かなトーンで尋ねた。


「それはそうと、だいぶいい時間になったよ。今日の客はどうするの、店長?」


 人間らしい面を残しながらも、自分が商品に過ぎないことを知っている、そんな表情だった。商品は売らなければ金にならないのだ。

 それに対してジャックはああ、と頷いた。


「今日は俺の就任祝いってことで営業はなしだ。何か食べよう」


 金の手立ては他の方法を探そうと、二人の会話で決心がついたジャックだった。

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