第4話
【ジャック・オクトモア】
父の葬儀が終わった翌日、ジャックは行きつけのパブでぬるいビールを舐めながら、ぼんやりと求人広告の紙を読んでいた。
どうにもろくな仕事がない。求人のほとんどは炭鉱や工場勤務などの肉体労働ばかりだ。条件が良いものはたいてい魔物ハンターの荷物持ちなどで、どれも危険が伴う。目当ては家庭教師か翻訳だが、どれも賃金額が表示されていない買い叩く気満々の募集ばかりだった。
ジャックは重い息を吐くと、傍らのテーブルに紙の束を放り投げ天井を見上げた。埃がたっぷりかかった吊り下げランプがゆらゆらと揺れている。魔力ランプが少しずつ普及し始めているが、雰囲気を重視する店では昔ながらのオイルランプも根強く残っている。個人的には魔力ランプの白くて無機質な光よりも、この不安定なオレンジ色の明りの方が好きだった。
ランプを眺めたまま手を伸ばしテーブルのジョッキを掴む。自堕落にビールを飲んでいると、テーブルに何かが置かれる音がした。
「ん?」
首を向けると、サンドイッチの乗った大皿が求人広告を押しつぶしていた。
頼んでいない料理を運んできたのは見覚えのない中年の男だった。
「おごりだ、食いな」
皿を置いた男はジャックの向かいの席に座ると、自分もサンドイッチを一つ掴んで口に付けた。
「あなたは」
「俺はデイヴ。お前さんの事は親父さんから聞いている」
「……父の知り合いですか?」
「ああ。親父さんの仕事仲間だよ。それにしても、残念だったな」
デイヴと名乗った男はそう言いながらあっという間にサンドイッチを平らげた。
ジャックは父がどんな仕事をしているのか知らなかった。
父はとりたてて寡黙な人ではなかったが仕事については語らず、また家を空けることが多かったので忙しい人なのだなというくらいの認識であった。母は物心つくまえに死んでおり、家にいたメイドも父がどんな人なのか詳しくは知らないようだった。上流ではないがそれなりの暮らしができ、大学にも行かせてもらった身としてはわざわざ詮索するほどの不満でもなかった。だから父の首に機械が当たって死んだと聞いた時も、工場で汗を流す父のイメージは今一つピンとこなかった。確かに時々怪我をして帰ってくることはあったが。
「父の事で何かお話が?」
「ああ、そんなかしこまらなくていい。親父さんには世話になったし、俺は気取った喋り方が苦手だ」
ジャックは俄然デイヴに興味がわいた。見ず知らずの人という警戒を多少緩め、提供されたサンドイッチを一つ掴んで齧った。分厚いハムの旨味とトマトの酸味、チーズの香味が口の中に広がった。デイヴは満足そうにうなずくと言った。
「親父さん、何か遺言を残したりしていなかったかい」
「いいえ……いや、特には」
言葉遣いを訂正してかぶりを振ると、デイヴはさらに何度か小さくうなずいた。
「そうか。見た所お前さん、仕事を探しているようだが、良さそうなのはあるか?」
そう言って大皿の下からはみ出た紙の端を指さした。ジャックは仕方なく首を振る。
「ないね。不況だよ」
「そうか。お前さん利口そうなのにな、大変だな」
「いや……」
口ごもると、デイヴは身をかがめるようにこちらに頭を寄せてきた。
「なあお前さん、仕事が欲しいならうちに来るのはどうだい。親父さんがしていた仕事の一部に空きがあってな、人を探してる」
「父の?」
「ああ。なんなら他の仕事が決まるまでのつなぎでも構わねえよ。給料は出来高、余分に稼いだ分は全部お前さんのもんだ」
そう言うとデイヴはにんまりと笑った。どうやら悪い条件の仕事ではなさそうだ。少なくとも今までジャックがにらめっこをしていた紙の束よりは。
とはいえ、ジャックには心配事があった。
「でも、俺は親父がしていた仕事を全く知らないんだが」
「ああ、ああ。そうだろうな」
デイヴはひらひらと手を振りながら言った。
「親父さんは特別な仕事をしていたからな。まあ大丈夫だ、誰にでもできるってわけじゃねぇが、特別な技術がいるって訳でもねぇ。ちょっとばかし度胸がいる時もあるかもしれんが、お前さんは中々シャンとしてそうだ。もし引き受けてくれるなら仕事内容を教えるが、どうする?」
「……」
デイヴの視線を受けて少し考え込むそぶりを見せたが、ジャックの心は既に決まっていた。
「よろしく」
そう言って右手を差し出すと、デイヴはニヤリと笑って握手で答えた。
「おう、こっちこそ。じゃあ早速だが説明をせにゃならんからな。仕事場に行こうか」
○○○
「ここだ」
年季の入った貧民街の建物の一つを顎で指しながら、デイヴは言った。通りは三階建ての建物がずらずらと並んでおり、この一帯が住宅地であることがうかがえる。
この建物に到着するまでの間、デイヴから父の仕事についての話を聞いたジャックは頭を掻きむしりたい衝動でいっぱいになっていた。
父はマフィアの構成員だった。しかもこの一帯ではかなり有力な組織の準幹部クラスだというのだ。デイヴは父の弟分らしく、父の死に伴ってその地位の一部を引き継いだと語っていた。
ジャックが俺をマフィアにする気かと尋ねると、デイヴは笑いながらそんなことはないと言った。
玄関前で酔いつぶれていた老人を蹴っ飛ばすデイヴに続いて建物の中に入る。狭い玄関内部の両脇には扉があり、すぐ正面には二階に続く螺旋階段があった。一般的な集合住宅の形だ。
「三階建て六部屋だ。どこでも好きな部屋を使っていい」
デイヴが右手の部屋のドアを開けた。中は掃除が行き届いており、ソファやクローゼットなどの調度品もそろっている。庶民街にある中流階級の部屋と遜色のないモダンな部屋だ。部屋の中央に置かれた豪華なダブルベッドの存在感を除けば、ではあったが。
具体的な仕事の説明はまだ受けていなかったが、薄々と理解をしていたジャックは、それでもデイヴに尋ねた。
「父はこの仕事を?」
「親父さんはもっといろんな仕事を任されて、まとめたり指示をする立場だった。これはそのうちの一つだ」
「……で、俺は何を?」
「ん、まあ単純な話だ」
そう言ってデイヴは指を四本立てた。
「お前さんはここの大家として働いてほしい。三日間でこれだけ稼いでくれ。三日後に回収に来る。余った分はお前さんの稼ぎだ。あとは自由にしていい。人を増やすなり改装するなりはお前さんの自由にしてくれていい」
徹底して直截的な表現を避けているのは、それを言うことが犯罪教唆となるからだ。これからジャックが行う仕事は、あくまでジャックが己の意志で行った事だと法律の上では解釈される。
ジャックはあいまいにうなずいた。ここで抗議してもどうにもならないのは明らかだし、デイヴの正体が分かった今では下手な言動で心証を下げるのはよろしくない。それに正直、仕事内容以外は文句のつけようがない破格の待遇だ。
「よし。何か問題があったらさっきのジジイに伝えてくれ。まあこの辺りは全部ウチのシマだ、きっちり管理しているから危険はねえ。あとは……そうだった、餞別と言っちゃなんだが一人、いや二人だったか? 置いてるから、まあ使ってやれ」
「はあ」
「仕事に関しちゃそいつらの方が知っているだろう。ほかに何か聞いときたいことはあるか?」
「はあ、あの」
ジャックが言葉を漏らすと、デイヴの眉が上がり先を促した。ジャックは言った。
「なんでわざわざ俺を? 今の今までこの組織のことを知らなかったし、父も言わなかった。言っちゃあなんだけど
デイヴはかつて父が持っていた地位を手にしている。万に一つ、ジャックの存在がデイヴの出世の妨げになる事も十分に考えられる。
ジャックがデイヴの顔を見ていると、デイヴは喉の奥でうんと声を上げ、ジャックの肩を叩いた。
「やっぱり利口な奴だな、お前さんは。よし言おう。親父さんの死因だが、機械の事故じゃねえ、殺されたんだ」
「殺された?」
ジャックの顔がこわばった。デイヴはジャックの肩に手を乗せたまま顔を近づけ、声を潜めてつづけた。
「ああ、
「父は恨みを買うような人だったのか?」
「とんでもない、立派な人だったさ。尊敬されるマフィアだった」
ジャックの疑問をデイヴはすぐに否定した。
「だから犯人は必ず見つけるし、その間お前さんの安全も保証する。そう日はかからんさ。ただ仕事は仕事。お前さんをただで養ってやれるほど俺も甘くはねえ」
「……ああ」
「理解してもらえたようだな。それでは、“組織”へようこそ。兄弟」
そう言って握手を求めるデイヴ。
「……」
ジャックはその手を見ながらしばらく黙っていたが、やがて観念したように手を差し出た。
「よし」
握手をすると、デイヴがうなずいて手を離した。その時に二階から軽い金属を床に落としたような、小さな物音がした。
「あァ、そういや一人は
そう言って笑うとデイヴは立ち去って行った。
○○○
デイヴがドアを開けた最初の部屋で椅子に腰かけながら、ジャックはコーヒーを飲んでいた。部屋内をぐるっと見てみたが、生活に必要な一通りの物は揃っていた。正直に言うと普通に快適だった。
頭の中では父とその仕事の事、そして三日後の金の事が順番に現れてはグルグルと回っていた。
デイヴが提示した上納金はおおよそ一週間分の賃金に相当する額だった。それを三日で集めろという事だから、日雇い仕事や家庭教師などでは当然追いつくはずもない。デイヴもむろん承知している。だからジャックをこの建物の“大家”とした。“大家”は“入居者”から“家賃”をもらって生計を立て、代わりに“入居者”が生活しやすいように面倒を見る――。
「はあ」
ジャックのため息が重いのは、それが建前に過ぎないのを知っているからだ。
身もふたもなく言ってしまえば、ジャックは娼館の管理を任されたのである。
ジャックは童貞ではない。いつかは忘れたが十代の早いうちに三つ上のメイドで済ませたし、何度か“こういう所”の世話になったこともある。でもそれらは事が済めば自分の人生からすっぱり切り離されてきた。一瞬咲いてたちどころに消える花火のようなものであった。
それが突然、自分の生活と現実的な関わりを持ってやってきたことに何とも言えない違和感があった。自分自身が身体を売るわけではないので、どこまで現実的かと言われるとそれもよく分からなかったが。
とはいえ、ここでずっとのんびりしていられないのも事実なのである。
「……顔合わせ、しとくか」
いろいろ考えるのはそれからでいいだろう。そう結論したジャックは椅子から立ち上がり、部屋を出て二階への階段を上った。片方の部屋は空き部屋なのか、少しドアが開いていた。反対のドアの前に立って、ノックをする。返事はなかった。もう一度ノックをして少し待ったが、やはり返事はなかった。
「開けるぞ」
そう言ってジャックは静かにドアを開けた。
大きなベッドに女性が腰かけていた。その女性は下を向いて鼻歌で子守唄を奏でていた。女性の太ももの上では少女が寝息を立てていた。その顔ははっきりとは見えなかったが、頭部に白くてとがった耳が付いており、時折ピクリと動いていた。そしてスカートの隙間から伸びた細い足の他に白くて細い尻尾が僅かに覗いていた。
女性はいつくしむように少女の髪を撫でている。カーテンの隙間から差し込む柔らかな光が二人を包み込んでいた。
ふと、出入口の違和感に気づいたのか、女性が顔を上げた。視線が合ったジャックは口を開けたが、それより早く女性は左手の指を自身の口に当てて制した。
「ごめん。今寝たところなの」
ささやく女性に対しジャックはうなずき、開けたドアを慎重に閉じた。
「ありがと」
小さく笑う女性。礼を言うように左手を動かしたとき、義手になっているそれがキイと軋んだ。
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