第27話 罪を犯した者として

 焦れば、焦る程。嫌なことばかりが頭に思い付く。もうお茶丸は崖から転がって、助からない状態になっているのではないか。

 考えてはダメだ。考えてはダメだと首を振る。何度も心に落ち着けと言っておく。だけれど、無理なんだ。この不安はどうにもならない。

 隣で走る新美が「大丈夫、大丈夫」と繰り返し呟いていた。それすらも不安に変えてしまう。だから、そのネガティブを押し払うために胸に手を当て、「お茶丸のことだから落ちた場所で笑ってる」と考えた。絶対倒れてなんか、いない。脳裏に浮かぶ最悪な光景を、想像の白いペンキで塗りつぶしていく。

 途中で息切れをし始めたのだけれど、お構いなし。ここで息が全部出ようとも、心臓が張り出しそうになろうとも、走り続けるのみ。お茶丸の無事を祈って!

 全力で急斜面の下にある茂みにまでやってきた僕と新美。遅れてフミもやってくる。フミは辺りを探している僕や新美に対し、笑う膝を両手で抑えながら、情報を提供してくれた。


「救急隊や……警察は……キサラギくんや……先生が呼んでます! 彼女……見つかりましたか?」

「いや……」


 新美やフミと共にお茶丸が落ちたはずの場所を探していく。見間違いはないはずだ。その場、その場を確かめる。茂みの中にも飛び込み、一つ一つの場所を確かめる。目の力を完全に使い、お茶丸の名を呼びながら。

 フミも甲高い声で彼女の名前を口にする。


「チャナちゃん! 返事してください!」


 新美も。


「お茶丸! いるんなら、教えて! 少しでもいいから返事してっ! お願いだからっ!」


 僕も喉が掻っ切れても良いと考え、叫んでいた。


「おーい! お茶丸……出てきて! 出てきてくれっつってんだろ! お茶丸!」


 何度も呼びながら、彼女を捜索した。だが、その努力も虚しくお茶丸の姿を僕達の目が捉えることはできなかった。あの崖から落ちたとすれば、普通に考えてここに落ちるだろうと思われる場所にも倒れてもいない。

 不思議だ。お茶丸がどうして消えたのだろうか。

 そんなことを考える僕に新美が上を指差し、僕の名を呼んでいた。


「タチハル! あれっ!」

「ん……?」


 彼女の示した木の枝に、お茶丸の白い手ぬぐいが引っ掛かっていた。お茶丸は間違いなくこの辺りに落ちたのだ。彼女が身に着けているものが、急斜面の崖を転がっている最中に飛んだとしたら。

 他の誰かが介入してなかったとしたら、希望がある。お茶丸は動いたのだ。まだ動ける状態でこの辺りをうろうろしたはずだ。

 でも、待て。彼女の精神状態は普通のものじゃない。早く山の中でうろつく彼女を発見しないと。


「あっ……」

「どうしたんだ? 新美」


 新美も同じことを考えていたようで。その上、最悪な場合のパターンを語り出した。


「今、お茶丸の考えていることって普通じゃないわけよね」

「そうだね。痛みで思考を動かすことも難しいかも」

「間違って、怪我をしたら。間違って、さっき言ってた蛇に噛まれたりなんかしたら……」


 さっき……?

 僕は細長く、妙に赤いあの生物を思い返した。

 そうだ。話していた。この辺りにいるかもしれないマムシやヤマカガシ。あんな奴らに今のお茶丸が刺されたら。怪我だらけで弱った体に毒なんて入れられたら、どうしようもできないじゃないか。

 血清もない彼女が……とんでもない……!


「嘘だろっ!?」

「嘘じゃないわ。過去に前例がある以上、その可能性さってあるのよ。早く探しましょ!」

「ああ、分かってるよ! もうお茶丸に会えないなんて絶対に嫌だからなっ! 絶対に!」

「ワタシもよ!」


 恐ろしい想像に膝が竦んだ。腕も固まった。だが、恐怖で硬直した体を骨を折る覚悟で無理矢理、動かした。見つけ出せ。どう考えても負傷したお茶丸の移動範囲は狭いだろう。まだ、この近くにいるはずだ。

 また会えるはず。

 あのお茶丸のにっこりとした笑顔を見れるはず。

 もう会えないなんて、嘘だよな。

 サイレンの音が外から聞こえ、不安が掻き立てられていく。心が苦しくなって、心臓も肺も痛くなってきた。


「お茶丸! チャナ! 出てきてよっ! どうして、こんなことになるんだよっ! ったく、毎度毎度どうして僕達のやることは巧く行かないんだよっ!? 何で、僕達の運命は最悪なんだよっ!」

「……お茶丸! 出てきなさい!」

「チャナちゃん! もう大丈夫ですよ! あの不審者もいなくなったんです!」


 新美の声も激しくなり、フミもは震えながら、今にも泣きだしそうな顔で探している。絶望。その二文字が頭の中を駆け巡った。

 後悔。焦り。

 もう心がぽっきり折れそうだ。

 不安に耐え切れない。

 ここまで見つからないとなると……何が起きてるのかもサッパリ分からない。


「お茶丸……」


 ふらふらしている新美、彼女の顔は陰っていて。僕達に嫌と言う程、振りまいてくれた明るさは何処にもなかった。

 彼女は何かにつまづいて、倒れたかと思うと起き上がり座り込んでしまった。

 最初に心を壊したのは新美だった。


「ワタシのせいだ……」

「新美?」


 ただならぬ彼女の告白が突如、僕の心を串刺しにする。


「ワタシが悪いの……ワタシがこんな無茶な計画をして、後先考えず突っ走ったのが悪いのよ。森の中がこんなに危険だって。何の考えもなしに……何のトラブルも起きないと思ってた……」

「新美、別にそれはお前だけが悪いわけじゃないだろ」

「違うわよ! 結局、こんなことが起きたのはワタシが油断したから。ちゃんと完璧にやってれば、不審者の介入だって許さなかったし。もとはと言えば、ワタシがあの時のくじ引きでキサラギくんとフミをちゃんとくっつけてれば、良かったじゃない! こんな場所に来なくて、お茶丸も落ちなくて……全部全部済んだんじゃない! こんなことになったのは、ワタシがいらないことまでやったせいじゃないのよ! どう違うって言うの!?」


 ヒステリックな彼女の叫び声が僕の心までを貫いた。痛い。痛すぎるよ……そんなこと言われても、悲しいだけ!

 僕はそんな彼女の声を掻き消そうとして、叫んでいた。


「新美!」


 罪悪感か。たぶん、彼女は罪悪感に暴走している。何もかも自分の責任にしようとしている。でも、それは何の意味もないんだ。


「ワタシのせいでしょ! こうなったのは! なら、ワタシが……! ワタシが落ちれば良かったのよ!」


 その後悔と悲劇の束に僕は言葉を投げ掛けた。


「新美! 今は逃げる場合じゃないっ!」


 空気を震わせる声で。崖の上にも届くような力強い声で。


「逃げてるって?」

「新美、今はそんな加害者の妄想に入っても報われないんだ。今は探すしかないっ! 見つからなくても……いや、絶対に見つかるはずだからっ!」

「で、でも……会ってお茶丸に何て言えば……」

「迷うことはない。謝ればいいだけだ。それでお茶丸の心がどうなるかは後の話。今、自分を責め立ててる場合じゃないんだよ」

「……ええ」


 まだ彼女の心は落ち着いてはいないだろう。まだ自分のせいでこんなことが起きたんだと暴走している。分かる。その心も酷く分かるんだ。なんたって、この前を新美にしたではないか。

 自分のせいでお茶丸を傷付けてしまったこと。

 彼女を傷付けたことで何が変わったとかはない。あの経験を良いものだったと肯定するつもりはない。ただ、ただこう言えるのだ。

 あの経験で今の新美を助けることができるかも、と。

 僕は彼女に近寄り、手を差し伸べる。


「悪いことや失敗、それで誰かを傷付けることなんて、あるんだって。生きてる限り……確かに反省しないといけないよ。自分を責めるべき時もあると思う。でもさ、それだけじゃ本当の後悔や反省じゃないと思うんだ」

「ほ、本当の……?」

「やってしまった後悔を乗り越えよう。罪人同士、やってしまったことは後で悔やんで、今はまっすぐ前を向こう! やってしまったことが後でしょうもないことだったって言えるようにさっ! ちゃんと」

「え、ええ……そうね。ありがとう……!」


 きっと、大丈夫。大声で叫んで何だかポジティブになってきた。このままなら、何か起こせるような気がするんだ。

 僕の手で立ち上がった新美はまた動き始める。それと同時に異変を察知した。


「あれ? フミは?」

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