第11話

会社では、今日は少々残業が入っていた。

来週の火曜日に、別の中小企業の会社の人が訪れるため、

それの会議の資料の作成に、秘書の桐野が少し手間取っていたのだ。

そのため、課長の克宏は、秘書の桐野が作成した配布資料をじっと見据え……


「うむ、これなら納得はしてもらえるだろう。ご苦労だったな」

「よかった~、わざわざ残らせてしまい、申しわけありません~」

「俺が確認しなくては、意味がないだろう?せっかくの週末だ。そんなくだらないことに休日出勤だってあまりしたくないだろう?」

「そうですね~、私のところも、うちの娘とのプライベートが、少ないもので…」

「それじゃあ、今日はここまでだ。帰るぞ」


といって、荷物を持ち、カギを持った時に秘書から誘われた。


「はい、お疲れ様です。でも課長、今日は帰したくはないです」

「……どういう意味だ、桐野さん」

「そんなに睨まなくても大丈夫です。

というより課長、私がお昼に言ったこと、もう忘れたのですか?」


その言葉に、あぁ、あれか…と気づいた。


「こんなところでお伺いするのもあれなので、ちょっと私についてきてください」


と、足早に会社を出ようとする。彼も、それに続いた。

会社を出てから、そこから歩いて20分ほどの…とある公園。

そこは見晴らしがよくて、目の前には夜景が広がっていた。

そこまで20分ほどかかるなんて、普段の大人なら車で行ったほうが早いのかもしれないが…

前妻が登山とかたくさん歩かされていたので、全然疲れを感じてなどいなかった。


「ほぅ、ここは……なかなかいいところだな」

「でしょ~?ここは、私と娘のお気に入りの場所なんです」


と、冷たい風が、彼女の髪を靡かせている。

本当に彼女は、絵になるような存在だった。

男勝りだった小町でも、そんな姿を見たときは、本当に美しかった。


「さぁて課長、本題に入りましょうか。

何か私にお伝えしたいことがあるのではありませんか?」


察しがいい…女の勘というのは、恐ろしいものだなとちょっとだけ身震いした。

だが、言いたいことはある。もう胸のどきどきが、止まらなかった。


「…………」


静かに吹きすさぶ風の中で、克宏は彼女に伝えた。

伝える中で、この気持ちを伝えることは、小町はどう受け止めてくれるのか、という疑問で詰まりそうにもなったが、

時は有限…もう、今しかない。


「桐野さん……俺の、奥さんになってくれませんか?」


――


一方そのころ…


学校の授業が無事に終わり、放課後。

生徒たちが、磐瀬高校から下校していく。

本来、晴臣はこのままたまたまって感じで同じクラスメイトの紗菜と一緒に帰ることになったのだが、

今日は、いつもと全然違っていた。

昼う休みの時に、桐野先生から17時までここにいるようにと命令されていたからだ。

残っている時間帯は、どうしようかと悩んだ末、自習室に来ていた。


(ここらへんで、ほんのちょっと勉強しておくか)


そう言って、椅子に座り、今日の授業で遅れが出そうなところを勉強して、時間をつぶしていくことにした。

勉強している間には、窓の外から運動部の元気溢れる声が聞こえてくる。

特に野球部の声が一番に聞こえた。地区大会が近いのかな、という考えが、勉強している中で感じ取れる。


(…………)


その時彼は、記憶を蘇らせていた。

子供のころに、母親とよくキャッチボールをしていたな、という記憶。

日が沈むまで家に帰れないくらい必死にやらされていて、鬼の遊びに付き合わされているくらいに厳しかった。

だけど、その分たくさん褒めてくれた。あの笑顔……。

あれを思い出すだけで、ついついペンが止まってしまう。


(あ、またペンが止まってしまったな……)


悪い癖が出ていた。

トラウマというべきものなのだろうか…?

ペンを握っていた、自分の掌をじっと見つめていると、自習室の扉が開く音がした。

桐野先生だ、桐野先生が少しだけ息を切らしていた。


「もう、晴臣君。こんなところにいたのね」

「あ……桐野先生」

「いつまでたっても職員室の前に来ないから、探し回っていたのよ。

こんなところにいたのね、早くしないと警備員さんに怒られるわよ、早くしなさい」


と、言われて時計を見てみると…17時を過ぎていた。


―磐瀬高校 校門前


「迷惑をかけて、すみませんでした」


晴臣は、一緒に帰っている教師の桐野に歩きながら謝罪していた。

ほんのちょっと怒られてしまったが、もういいよ、と優しく振る舞ってくれた。

でも、こんな時間に待たせておいて、先生と一緒に帰ることになるなんて…

急展開にもほどがあった。

歩くたびに、緊張と疑心が伝わっている。

いや、先生と一緒に歩くなんて、こんなのバレたら大変なことになるとは思った。

彼の思考が渦になっていく中…桐野から声をかけられた。


「ごめんね晴臣君、教師として情けなく学校に残らせちゃって」

「えっ?あ、いえいえ。先生の命令でしたので、断るわけには……

でも、どうして僕と帰ろうとしたんです、こんなのがほかのやつらにばれたら……」

「ふふっ、晴臣君は本当にやさしいのね。でも大丈夫よ、副担任の桂城先生が、根回ししてくれているから

仮にそういうことに感づいている生徒がいても触れてくることまではしてこないわ」


すごい対応力…桂城先生がそこまでしてくれるなんて思ってもなかった。

まさか、とは思ったが、しかしそれは、ラノベの話だ。そんな夢のような展開が、現実で発揮したら

猶更勉強どころじゃないし、妄想が止まらなくなってしまう。

そんなパニックの中で、自分のマンションが近づいてきた。


「それじゃあね、晴臣君。今週もお疲れ様」

「あ、はい……」


そこで、先生と再び分かれた。

桐野先生は、何を企んでいるのか、わからないまま別れることになった。


――


恵比寿家 玄関


「ただいま……」


鍵を開けて、扉を開けてみても、そこには誰もいなかった。

スマホで調べても、父からの連絡はなかった。


「さて、と……」


自分の部屋にカバンをしまうと、今日の晩御飯を作ることにした。

だけど、そろそろ一人で食べること自体も、飽きと寂しさで嫌になってきた。

晩御飯のシチューを作って、父が帰ってくるまで待つことにした。

しかし、1時間くらいたって、なかなか帰ってこない……。

淋しさに飢えていて、勉強する気にもなれなかった晴臣は、そのままテレビをじっと見据えてみているだけだった。

父が帰ってきたのは、21時半ごろの話になる――。


――


「はぁ、ただいま…」


霧にも、生徒の恵比寿晴臣と別れてから、ようやく自分の家に着いた。

今日はちょっと精神的に重たく感じる日だったな、と感じた。

実は、昨日の時に母が会社の課長さんが相談に乗ってくれたことを聞かされていた時に、

ふと気になっていることがあったのだ。

母の茉莉香は、いつも「○○課長」と呼んでいる。その時の苗字で気になったのだ。

課長さんの苗字は、恵比寿さんといっていた。

その時に、初めて出会った生徒の晴臣と、苗字が一致しているではないか、ということに気づいたのだ。

まさか、とは思ったので、その日の昼休みに彼を呼び出して、シンプルな質問で聞いたのだ。

彼、恵比寿晴臣の家族は父親しかいないとのことで、父子家庭ということが分かった。

そして、母の言葉であてはまりそうなことがあった。

恵比寿課長の奥さんは、乳がんで亡くしてしまったということだった。

まさかとは思った、そんな偶然なんてあるはずがない。

苗字が一緒で、違う家庭なのかもしれないと思ったからだ。

彼女、遊子はそう否定したがっていた。

だけど、もしそれが本当なら…と思うと、彼女は助けてあげたい。

そんな気持ちになっていくのがわかった。

しかし、自分はあくまで教師だ。晴臣を助けるということは、あくまでサポートだ。

恋じゃない…そんなのがばれたら教師として失格であるということを、彼女は重々承知している。


(はぁ、先生なのに…なんて妄想をしちゃっているのかしら……)


相当疲れているというと自分に言い聞かせ、

その場で服を脱ぎ捨てて、シャワーを浴びることにした。

シャワーを浴びて、どのくらい経ったか…母の茉莉香が、帰ってきた。


「ただいま~。遊子~?」

「ここだよ、お母さん」

「あら、お風呂なの?こんなところで脱いじゃダメでしょう?」

「ごめ~ん、もう上がるから」


――


根間儀に着替えて、服をしまっていた時に、遊子は違和感を覚えた。

なにやら、今日のお母さん上機嫌だ。前の日でもそうなんだけど、今日はそれ以上だ。


「ふんふんふんふ~ん♪」

「お母さん、すごい上機嫌だね。なんかあったの?」

「あら、分かるの?というより遊子、大事な話があるの」

「なに、話って」


上機嫌でありながらも、母は遊子に語った。

これが、本当に衝撃的だった。


――


晴臣がベッドで寝転がっている中、父が帰ってきた。


「ただいまー」


その一声に、晴臣はばっと起き上がって、玄関へ向かった。


「あ、お帰り父さん」

「なんだ、先に食わなかったのか」

「たまには、父さんと二人で食べたい」


そういったら、ぐうの音が響いた。その音に父は笑う。


「なんだ、そうかそうか。遅くなってすまんな」

「今日は、シチューだからさ…」


といって、目をこすりながら、準備をした。

そして、晩御飯を食べ終えたときに、何やら父が真剣な顔をしていた。


「どうしたの、父さん」

「晴臣……話がある」


と言われ、ソファから離れて、父と向き合うように座った。


「実はな、晴臣…俺はな…」


「遊子、私ね……」


「再婚しようと思う」 「再婚しようと思うの」

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