第8話
教師というのは、業務がとても大変だ。
この日は、明日から3クラス分の授業資料の作成を行わなければならないので、1時間くらいの残業を追加した。
まだ残業をしている職員とかはいるが、桂城先生は一足先に帰って行った。
桂城先生は、同じ大学の同期であり、元先輩ではあるのだが、仕事をどう効率化させるのかという考えは、本当に素早く思いつくし、
なにより行動力もすごかった。
桂城先生は、数学の担当に加え、女子バレーボールの顧問であるから、知らない間に、一学年では人気者の教師になっていた。
(わたしも、あれくらい仕事をはかどらせることができればなぁ~…)
そう考えて、ようやく自分の仕事が終わり帰宅する準備をしていたら…母からのLINEがで来ていた。
【遊子?忙しい時にごめんね、今日は帰るのが遅くなるのよ、残業とかじゃなくて、課長から飲みに誘われたの。
でも、晩御飯は食べたいので、作って冷蔵庫にでも置いといてください、よろしく☆】
遊子は、すぐにそのLINEに返信をした。
【わかった、お母さんの大好物でも作っておくからね】
そう返し、職員室を後にした。
「では、お先に失礼します」
――
彼女、桐野茉莉香は、恵比寿課長の誘いでとある居酒屋に連れて行ってもらった。
父は軽めに、とワインを勧めてくれたが、母は酒が少し苦手のため、ウーロン茶を頼み、乾杯をした。
「ところで、課長。なんでしょう、私にお話って……」
と、少量飲んで、課長に本題を問いかける。
恵比寿課長は、まるでこの話をためらっているかのように見えた。
でも、全然警戒するほどでもなかったが、課長は、深呼吸をして気持ちを整えながら、口を開いた。
「桐野さん、こんなことを聞いて、あなたの心に傷をつけるのは癪ですが…
私が留守の間に、なにかあったのか?」
単刀直入の問いかけだった。
でも、彼女自身も自覚はあった。なんで課長が、こんな質問をしてきたのか、ということを。
給湯室で、私がすすり泣きしているところを見られている限りでは、それ以外の問いかけなんて考えられなかった。
しかし、あまり課長に迷惑だけはかけたくないということだけあって、はぐらかすという選択肢しか、今の茉莉香にはなかった。
「い、いいえ。別に何も……でも、なぜそんな突拍子にそんなことを?」
「桐野さん、あまりあなたに教えたくはなかったのですが、うちの部署の一人から聞いたんです。
別部署のひとから、突然乱入してきて、あならが罵詈雑言を受けたと聞きました」
「えっ…あ、そ、その……」
彼女はためらった、あぁ、とうとう課長にまで、これが知れ渡ってしまったんだな、とすぐに理解できた。
無理もないことだ、松本社員からのいびりが、どれだけ自分の心がえぐられていたのか…それは、月のクレーターができるほどといってもいいくらいの
精神的ダメージなのだから。
「一体、どんな暴言を吐かれたのか、ぜひとも聞かせてはくれないでしょうか」
「…………」
茉莉香は、もう黙ることしかできなかった。
でもわかっている、黙っているだけでは、一向に解決はしないと。
彼女は、覚悟を決めた。
「課長さん…私の父が殺されたことも、社長さんから教えてもらっている、ということですよね?」
「そうだ」
課長はすぐに肯定した。
茉莉香はすぐに答えた。
「可哀想な人だとか…課長さんと一緒にいるだけで虫唾が走るだとか…旦那を失った分際で迷惑だとか…」
鮮明に覚えている言葉を、課長に伝えるたびに、胸が痛む。
茉莉香は、課長の前で情けなくも、我慢ができず泣いた。
その様を見ていた課長は、ハンカチで、茉莉香の鼻水や涙をぬぐってくれた。
「桐野さん…私のほうを見てはくれませんか?」
課長の言葉を聞いて、すすり泣きがまだしながらも、茉莉香は恵比寿課長のほうを見た。
そしたら、いつの間にか、いつの間にか恵比寿課長は、立ち上がっていた。
「か、課長何を……」
「桐野さん…強引に話させようとしたこと、あなたの心の傷をえぐるようなことをしてしまい…申しわけない……!」
なんと、恵比寿課長は、頭を下げたのだ。
彼女は、慌てふためいた。
「か、課長…!お恥ずかしいので、頭をお上げに…!
それに、私はただ、課長に嘘を言わずちゃんと話しただけにすぎませんから……」
課長は頭を上げ、席に座ると…課長は再び、深呼吸をして気持ちを整えていた。
「桐野さん、今度は、俺から話しておきたいことがあります」
「な、なんでしょう…?」
茉莉香は少々、不安になりながらも…課長の言葉に、耳を傾けた。
課長が教えてくれたことは、実に衝撃的なものだった。
「俺もな…奥さんを、病気で亡くしているんだ……」
「……え?」
真逆ではあったが、まさか課長も…大切な家族を亡くしているなんて、思いもしなかった。
というより、そんなことを私に教えて、本当に大丈夫なのだろうか、と不安がよぎる。
「か、課長……そんなことを、わたしに教えて大丈夫なんですか?
プライバシーにもほどがあるのでは……」
「いや、そのことは気にする必要はない。君と同じ理由だから教えたいんだ」
「私と、同じ……?」
「嫁は、がんが見つかったときから、いろんなことを教えてくれたよ。
寂しいねって言わない、息子のことを最優先にして行動する、息子の好きなことに寄り添う…などとかね」
本当に驚いた、その時に課長がスマホから死ぬ前の奥さんがいる写真を見せてくれた。
すごく元気で明るい奥さんだった…肩車も、ほとんど奥さんがやってくれていて、息子さんとてもうれしそう…。
茉莉香自身が、亡くなった夫と結婚したときと同じくらい、若くて、血気盛んな女性だった。
「なんというか、かわいらしいお嫁さんですね」
「そうか?結構男勝りなところはあったんだがな」
「では、課長さんは、その…息子の為に、なくした母の約束を守るために…詰め込んで働いているのですか?」
「そうだ」
「ですが課長、息子さんのことは、ちゃんと面倒を見ているのですか?」
「う~ん……」
と、しばらく考えて混んでいた。どうやら課長も慣れていないところはあるようだ。
「課長、仕事優先の気持ちはわかります。課長のお孫さんの明るい未来を守るためにやっているということも…。
それは、旦那を亡くした、私と似てます。でも課長、私が言うのもあれですが、積極的に息子さんと一緒にいる時間を確保したほうがいいですね。
私も、娘のためを思って、課長のそばで働かせてもらっているわけですから」
「……まさか、秘書の君から説教食らう日が来るなんてな、明日から雨でも降りそうかな?」
「も~、社長、悪い冗談は止してください」
といって、笑った。
茉莉香は、課長の話したことで、心のつっかえが、ようやく外れたような気がした。
――
「では課長、ご馳走になります。本当にありがとうございました」
「あぁ、気を付けて帰ってくれ。あと、松本の件は、社長自らも動いてくれるから安心してくれ。
なるべく、私と一緒のほうがいいだろう?」
「課長、恥ずかしいですよ。デートじゃないんですから。では、お疲れ様です」
そういうと、恵比寿課長と別れ、帰路へと帰った。
この時は、娘の遊子に、これを話そうかと、歩きながら悩んでいた。
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