第3話

無事に家に着いた、その途端から、いい匂いがしている。

息子である晴臣が、今日が入学式だということもあり、その記念として、すき焼きを作ってくれているのだ。


「晴臣ー、帰ったぞ」

「父さん……お帰り。連絡くらいしてくれよ、冷めそうになったんだぞ?」

「すまんな、でももうすぐ終わる手前だったからな、それに関してはすまん」


そう言って、晴臣はカバンを預かってくれた。

母が亡くなった今の生活は、息子にかなり負担がかかっているようにみえるが、

表情からして、そうでもないように思えた。


「でもまぁ…もう少しだから、その間に風呂とかどう?」

「手際がいい…是非ともそうさせてもらおうかな」


そういうと、社員スーツをハンガーにかけ、そのまま晴臣が用意してくれた風呂に入ることにした。


――


風呂上り、リビングから、いい匂いがした。完全にすき焼きが出来上がったといえる最高のタイミングだった。


「父さん、ちょうどいいタイミング」

「お、よく出来上がってるよ。ありがとうな、晴臣」

「うん……入学式祝い」


なるほど、と父は感心していたが、晴臣からしたら

「いや、そりゃそうでしょ」というツッコミが心底わきそうになっていた。


「いただきます」

「いただきます」


といって、テレビを見ながら、普通にすき焼きを食した。

でも、入学式とはいえど、父子家庭の俺たちにとっては、まだ傷心状態だった。

母の死から、まだ数日ほどしかたっていない…だから、話す会話も少なかった。

でも…入学式のことは、きっと父さんでも忘れはしないだろうって思うが、お互い、それを言葉には出せずにいた。

それはそうかと思い、あきらめかけてはいたのだけれど…


「晴臣」

「……父さん?」

「入学式、緊張したか?」

「う、うん……」


焦りながらも、僕は何とかうなずいた。

それだけだとしても、ちゃんとした会話のつもりだ。


――


気が付けば、もう夜になりかけの時間帯。

まだ時刻は18時を回っているのだが…まだ明るいほうだともいえる。

私、桐野遊子は学校から自宅のアパートという帰路にようやくたどり着いたところだった。

学校から片道30分くらいの距離にあるこのアパートは、防音がある。狭いけど、それ以上に望むものはない。


「ただいま」


と、一声かけると、料理中の母親の姿があった。


「あら遊子、お帰り。もう少しでご飯できるからね~」

「お母さん、待ってて。すぐに手伝うから」

「お母さんは大丈夫です☆

今日は遊子の教師着任なんだから、お祝いにたくさん作ってあげるからね~」


すごく張り切っていた。

本音はとてもうれしいことに変わりはないのだけれど、とても心配だ。

先生になる前の私には、父がいた。父自ら会社起業させてから社長になって、

私や母を、ちょっと贅沢ができるほど稼いで、支えてくれていた、自慢の父だった。

その日までは…。

今父は、ここにはいない…父は、殺されてしまった。それも会社の同僚に。

その訃報を聞かされた時は、母と二人で一緒に泣いた。

私の大学卒業式の、昨日の時にだ。

結局その会社は倒産せざるを得なくなって、実家を売却して、防音のあるアパートで暮らすほかに生活の手段はなかった。

その際の母は、精神病を患っていたのだが父の遺言書にはげまされていた。


≪俺が死んだときに、これを読んでほしい。今までありがとう、でも…俺がいなくても大丈夫。お前は決して一人じゃない。遊子を頼んだぞ、茉莉香≫


このメッセージに、母は救われたうえに、生きる大切な宝物だった。

それから、通院してまだ1週間もたってないころに、なんとか復帰して大手企業に就職することができたのだという。


――


私が着替えを済ませて、シャワーで初めての仕事の疲れをいやしていたら、

晩御飯の準備はできていた。

本当に今日はご馳走だった、普段の生活だったらこんなフルコースレベルは作れないはずだ。


「さぁて、遊子の先生を祝って~、乾杯♪」

「あはは……」


お茶を用意し、私は苦笑いしながらも飲んで、ご馳走を共にした。


「いただきま~す♪」

「いただきます」


お母さんの愛情こもった料理は本当においしい。


「あ、遊子~。あなたのクラスの子たちはどんな子たちが多かったの?」

「えぇ?う~ん……」


突然の母の質問に、私は困惑した。

磐瀬高校は、この地域では難しいほうの公立校。

だから、落ち着いている生徒たちが多いんだろうな、というイメージがあった。

だけど、教室に移動してから、軽く自己紹介したときの男子生徒の反応に、違和感を覚えた。

なんか、すごく私を見ると顔を真っ赤にしていたり、ひそひそと私のことを評価している生徒もいたから、

なんだかんだで、個性的な生徒がいたなというのが心境だった。

だからそれを、母に伝える。


「簡単に言えば、思った以上に個性的な生徒たちだったよ?」

「あらぁ、そう~。とっても楽しみじゃない♪

これから毎日、遊子の生徒の事、聞かせてもらおうかしらね」

「は、恥ずかしいから細かなことは言えないよ?それに生徒のプライバシーにもなるじゃん!」


ただ、一人だけ少し寂しそうにしていた生徒がいた、ということは…

母には伝えきれずにいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る