Episode023 救えず

 …――うんこ、踏んだ。


 なんだか、男子小学生が大好きそうなワードだけども、今の僕は、とても哀しい。


 昨日、卸したばかりの新品の靴で、うんこを踏んでしまったワケだ。


 うぉぉんと大声を出して泣きつつ、そこら中を破壊して回りたい衝動に駆られる。


 しかも、


 どう解釈しても人糞だとしか思えないソレだ。ゆえ悲しみは最上級。あまり詳しい描写をすると気持ち悪くなる人もいるかと思うので、これ以上はよそう。とにかく昨今のギャグ漫画でも遭遇しないような、どでかい不運に見舞われたワケだ。


 不意に襲ってきた運々〔うんうん〕にやられたから、略して不運だ。


 うんッ!


 泣きたい。そして、現実逃避したい気分だ。


「戦闘中に、よそ見をするなッ、勇者ッ!!」


 いやいや、うんこ、踏んだんだよ、誰でも気になるでしょ、普通に。


「突っ込む。バックアップ、よろしく、僧侶」


 デッカい剣を担ぎ上げた40過ぎのひげ面な、おっさんが力強く右親指を立てる。


 いやいや、うんこ、踏んだんだって。しかも、おニューの靴でさ。マジかっての。


「オッケー。剣士。最高にハイにしてやるよ」


 なんか、うんこ、踏んだ僕のテンション、無視してない?


 もう、こうさ、テンションダダ下がりの僕を気遣うとか、そういった優しさはないのかね。君らには。確かに目の前に魔王がいてラストバトルって考えると分からないでもない。けどさ。でもね。てか、分かったぞ。これ、魔王のソレじゃねぇの?


 魔王を倒す為に魔王城に入ってから、ずっとトイレらしきものは一切見てないし。


 もしかして地雷的な罠としてのソレなのかもしれないぞ。


「済まん。勇者、一匹、逃しちまったッ!?」


 赤毛で、つり目な強気女子な魔道士が言う。


 本名はアンだ。確かな。どうでもいいけど。


 てかッ、


 お前もか。マジでかッ。


 僕は、今、戦闘どころじゃないの。うんこが魔王のものであるならばと仮定を立てて、もしそうならば、どういう意味があるのかと推理をしているところ。そんな大事な場面で戦闘などという下卑たものに参加できるはずがなかろうもん。ぺっ。ぺっ。


 つば吐くぞ、コラぁ!!


 てかっ!


 魔王などという非現実的なものよりもな、このうんこの方が現実味があるワケよ。


 僕にとってはな。うむ。


 では、このうんこには、どういった意味があるのかだが。


 まあ、第一に考えられる事は僕のテンションを下げ、戦闘から離脱させる為の罠。


 第二に。


 てか、お前、うるさい。


 僕の周りをブンブンと飛び回り、まとわりついてきた謎肉的なハエを叩き落とす。


「ナイス、勇者ッ。その調子で頼むぜ。ボクも戦闘に戻る」


 超爽やかな笑顔で強気女子な赤毛のアン〔アンは本名〕が、また右親指を立てる。


 ……、?


 なんの話さ。魔道士娘。


 僕は、このうんこが、どういった意味を持つのか、それだけを知りたいワケだが?


 以外は、もはやどうでもいい。さっき突っ込んだ剣士が死ぬか、それとも永遠にうんこの謎が解けないか、どちらか選べと言われたら、一切合切、迷わず、うんこを選ぶくらいにな。うおっ。しまった。虫メガネがあれば。本当にしまったな。


 じっくりと観察すれば、新事実が判明するかもしれないのにチャンスを逃したぞ。


 クソッ!


「ぐほっ」


 剣士が一歩引き、片膝をついてから、こちらを見つめる。


 上目遣いでジッと、こっちを見つめてくる。


 えっ? もしかして僕ですか。僕はダメですよ。今はさ。


 うんこに夢中で、らんちゅうなんです。はい。だから、ごめんして。


 更に追加で、懇願する視線を二つも感じる。


 だから。


 だから。ダメですって。


 今、うんこの謎に挑戦しているんですから。もはや脳内は、真っ茶色に染まってですね。この緊迫した場面でのうんこの役割が、どういったものなのかという、そういった真理をも超えた原理というのかな、そういったものをねぇ……。はい。


「とっとと戦え、阿呆ッ」


 と魔道士なアン〔アンは本名〕が、僕の後ろ頭を小突く。


 そして、


 アンが発動した炎系の魔法で、うんこが焼かれた。……メラメラと炎に包まれる。


 ああ、アンッ! あぁぁんッ!! マジかッ。マジでか。


 現実に引き戻されそうになる。が、それでも必死で抵抗して……でも、それでも。


 燃えさかり灰へと変貌してゆく〔うんこが灰になるのかは分からないが、少なくとも僕の目には、そう見えた〕うんこを涙目で見つめ、虚空へと手を伸ばた。今は、もう亡き、うんこを求め。パクパク、ピクピク、ポクポク、チーン、と……。


「というか、というかだ」


 僕の毛が逆立つ。金色に光り出す。豪〔ごう〕ゥ、っと。


「テメエの敗因は、たった一つだぜッ、魔王」


 不敵に嗤って僕の圧など利かぬとばかりに決して泰然自若な態度を崩さない魔王。


 なんじゃ? とか言いだして、のち大口を開けて大声で笑い出しそうにも見える。


 それでも僕は止まらない。止まるもんかッ!


「たった一つのシンプルな答えだ。テメエ……、じゃねぇけど、うんこを燃やした」


 それがどうした? という顔つきで見下ろしてくる魔王。


「ただ、それだけだッ!」


 カッ!?


 目もくらむ、まぶしい閃光が辺りを包んだ。


 まあ、アレだ。魔王は死んだ。僕のパンチ一発で。以上。


 そして大団円と言いたいところだが、そうはいかない。ここで現実に戻るわけだ。


 ようやく長い長い現実逃避の茶番が終わりを迎えたのだ。


 普通に目の前には、うんこがある。燃えて灰になったはずのうんこが。無論、おニューの靴にも、べっとりと、うんこがついている。頬に水滴が当たる。それを合図に、堰を切って、シャワーを全開にしたような雨が、どしゃぶってくる。ざぁざぁ。


「だよな」


 雨の中、更に悲惨な事になってしまった靴を憎々しげに見つめてから、つぶやく。


「現実逃避したってしゃねぇよな。踏んじまったもんは踏んじまったもんだからさ」


 哀しくて寂しくて……、どうしても出てしまった独り言。


 魔王が本当にいて本当に戦闘していての方が、まだ、いくぶんか救われる。クソ。


「まあ、でも想像の中とは言え、世界を救ったからいっか」


 と僕は天を見上げて両目を細めて微笑んだ。


 雨が降る黒い雲が塗り込められた空には剣士と僧侶、そしてアンの笑顔があった。


 チッ!?


 それこそクソみてえな現実逃避だっつうの。


 いいわけあるか。誰のクソだ。クソったれがッぁぁッ!!


 救えず。


 なにも。


 お終い。

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