Episode018 博徒
…――額に玉汗が浮かんで、圧倒的なプッシャーに気圧されてしまい、後ずさる。
今、目の前には賭博の神様と呼ばれた男がいる。
過去に悪魔の罠師とも呼ばれた男だ。
そして、
俺は神様に挑戦する為、ここに来た。
俺とて名の知れた賭博師であり、数々の修羅場を乗り越えた強者だ。それでも神様を目の前にして彼が神様と呼ばれる意味を知った。勝負を挑んで勝てるのか、或いは負けるのかを考える事が愚かしいとさえ感じる。勝てないとしか思えないのだ。
しかも、勝負を成立させたのだが、賭けたものが、失うには余りにも大きすぎた。
それは、
すなわち、自分の生命だったわけだ。
いのち。
俺はすっかり呑まれてしまっていた。
とにかくここまでの経緯を説明する。
時間は俺と神様が対峙した時に遡る。
「神様、俺と一勝負して頂けますか?」
神様は、静かに眉尻を下げて苦笑い。
「神様と呼ぶな。俺は単なる老いぼれだ。今まで、たまたま運良く勝ち続けたに過ぎない。むしろ、お前のように若く勢いのある賭博師にこそ神様が似合うと思うぜ」
多分、試されている。
胆力を。
「話を、はぐらかさないで下さい。勝負して頂けるのですか?」
俺は、グッと下腹に力を入れて、キッと真っ正面を見据えて、神様を睨み付ける。
敢えてなのか、飄々と俺の怒気を反らしてから二の句を繋ぐ。
「おいおい、そんなに怖い顔をするなよ。底が知れるぜ。まあ、でも、いいだろう。心意気に免じて一勝負してやろう。で、どんな賭け(ルール)でもいいのか?」
「はい。勝負の方法は、お任せします」
俺にとっては敢えてなのだが、ルールを相手に任せる事で自分には余裕が在ると信じ込ませる。無論、心底では一杯一杯なのだが、余裕の正体がなんなのかと警戒させ容易に攻め込めないようにしたわけだ。そして作った時間的猶予で勝負を決める。
「ありがとよ。そうだな。だったら、こういうのは、どうだ?」
神様の緑の瞳が怪しくキラリと光る。
もうこの時点で負けそうな気がする。
くそっ。
気持ちだけでも引かない、負けない。
「お前の足が次に前に出るのか、それとも後ろに出るのか、どちらなのか賭けよう」
おへっ?
驚き俺の目が皿のように大きくなる。
「ちょ、ちょっと待って下さい。そんな勝負方法でいいのですか。だって俺の足の話ですよ。俺の意思で、どうとでもなる。当然、俺は俺の賭けた方に足を動かす」
「フフフ」
神様は、まったく動じる事もなく、それどころか、どこか小馬鹿にするよう笑う。
「本当にいいんですか、そんな賭けで。俺が負ける要素はどこにもない。それどころか、俺が勝つ以外の結果なんて、あり得るんですか? 馬鹿にしているんですか?」
「ククク」
だから、そうやって狼狽えてしまう事で、底が知れるんだぜ。
まあ、でも相手が俺じゃ、そうなっちまっても仕方がないか。
神様は俺の言葉には応えず、勝手に話を進める。
「それでいいと俺が言ってるんだ。それにしておけ。それよりも賭けるものだが、いくらか、お前には重いものだが、それでも勝負を受けるか? どうだ?」
「負けない勝負で賭けるものが重くても変わらないでしょうが」
と俺は、神様が言っている事の意味が分からず、間の抜けた答えを返してしまう。
「よし、分かった。たとえ、それが命であっても、いいんだな」
い、命?
いのち?
命だと?
それは、すなわち負けた方が死ぬって事なのか?
「……ッ」
命と言われて重さを肩で感じてしまい絶句する。
「ククク。どうやら怖じ気づいたようだな。まだまだ若い。どうだ? 止めるか?」
「いや、こっちが聞きたい。本当にいいんですか」
「俺は構わんよ。どうせ老い先短い命だ。ここで散っても、なんの問題もない。むしろ、お前が勝つ事で賭け事の世界に、なんらかを遺せたら本望とでも言っておこう」
するりと滑るように神様の口から出る言葉たち。
死ぬのが怖くないのか? バカな。あり得ない。
神様が、なにを考えて、なにを思っているのか、まったく理解できない。無論、余裕を示す事で有利な立ち位置を確保しようとして逆に有利な立ち位置を確保されてしまった。これこそが、この男が賭博の神様と呼ばれている由縁なのかと悟った。
「お前は俺が不利だと言う。だったらハンディをくれ。俺から賭けさせろ。答えは聞かんぞ。お前も自分が、いっぱしの賭博師だと自負しているんだろうからな」
完全に呑まれてしまった俺が深呼吸で気持ちを落ち着けながら、ゆっくりと頷く。
そののち、神様が静かに佇んで言う。
「じゃ、俺は、お前が足を後ろに出すと賭けようか。いいな?」
「じゃ、俺は己の足が前に出ると賭けるわけですね。分かりました。いいでしょう」
と息を飲み込んだ俺が静かに応えた。
そうして、話は冒頭へと戻ってゆく。
「さてと」
と背伸びをした神様はあくびを一つ。
「下らない茶番も、そろそろお開きだな。いまだに、お前は勝ちを確信しているんだろう? でもな。この勝負で、お前は、お前の弱さを思い知る。痛感する」
弱さだと? 一体、何が弱さなんだ?
俺は、この後、足を一歩、前に出す。
一歩だけ前に出せば俺の勝ちなんだ。
眼前にいる賭博の神様に勝てるんだ。
とは思うが、めまいがするような異様な雰囲気と神様から発せられる毒ガスのような臭気に脳が揺さぶられる。ともすれば足を後ろに出さなくていけないような気にさえなる。もちろん錯覚なのだが、プレッシャーが凄すぎて錯覚が真実にも思える。
歯を食い縛り自分の足に力を込める。
しかし、動かない。金縛りにでもあったかのよう足が自分の思い通りにならない。
負けるのか? こんなにも俺が有利な勝負で俺は負けるのか?
俺とて名の知れたギャンブラー。数々の勝負を制して、ここにいる。しかし、往年、悪魔の罠師とまで呼ばれた神様には勝てない気がしてくる。クソッ。天花由牙(あまはな・ゆいが)なんて、とうの昔に忘れ去れた名の、この男に勝てないのか?
俺は自分が勝った勝負を思い出し、自分の強さを再確認してから足に力を込める。
また額から玉汗が垂れて顎へと伝う。
ぽたりと床へ消えてゆく汗のしずく。
ぽたり。
ぽたり。
ぽたり。
クソが。
クソッ!
うぎぎ。
あ、足が、足が一歩、前に出たぞッ!
勝った。
勝ったぞ。勝った。勝ったんだ。悪魔の罠師に勝ったんだッ!
「フフフ。それが罠なんだよ。この勝負、お前の負けだ。意味、分かるか? というか意味が分かっちゃ俺の名が廃るってもんだな。いいだろう、説明してやろう」
「へっ?」
俺は、神様が言っている事の意味が全く理解できず、拍子抜けもした言葉を残す。
「お前は勝負が成立したあと、すでに後ずさっているんだよ。一番始めに賭けるものが命という重いものだという事実と俺からプレッシャーで後ずさってるんだよ」
「へっ?」
懇切丁寧にも神様から説明されても、俺は、いまだに意味が理解できないでいる。
「やれやれだな。いいだろう。自分がどういう行動をしたか、今一度、確認する時間をやろう。それでも分からなければ、お前は、その程度のギャンブラーって事だ」
そう言われてしまい、俺は俺が、ここに至るまでの行動を一つずつ確認してみる。
そうして思い知った。俺の弱さをだ。
始めだ。
始めの始めに、俺は、こう行動した。
…――額に玉汗が浮かんで、圧倒的なプッシャーに気圧されてしまい、後ずさる。
と……。
確かに、俺はこの勝負が成立したあと……、後ずさっていた。
「その顔は意味が分かったようだな。どうだ。俺が過去に悪魔の罠師と呼ばれていた事が良く分かっただろう。それとな。お前は表情が動きすぎる。それも弱さだぜ」
と言われて俺は顔をヤバいくらいに赤くしてからうつむいた。
そうだな。今も顔を赤くしているって事は弱いんだろうな。神様が神様と呼ばれている事を思い知った。彼は飄々として罠を仕組んだ。しかも俺が自分に余裕が在ると思わせる事すら自分の罠に組み込んだ。勝てない。この人には絶対に勝てない。
この人には、全てが見えていて、それら全てが、この人に対して味方をしている。
勝てるわけがなかった、この人には。
「まあ、命までは取らんよ。安心しな。この拾った命で今後を大切に生きな。とは言っても、また鉄火場に戻るんだろうな。命を削って生きる。仕方ねぇか……」
と神様は言ってから寂しくも笑った。
後ろ頭を乱暴にもかき乱しながらも。
「それが、賭博師って生きもんか……」
と続け。
そして、俺と賭博の神様である悪魔の罠師、天花由牙との勝負が幕を閉じた。無論、俺は俺の腕を磨き、再び、彼と対峙する事を心に誓って今日という日を終えた。そして、また賭博の業火に焼かれ、磨かれる為、勝負の鉄火場へと身を投じた。
神様が、最後に寂しく言ったように生き急ぐ生き方を選んで。
お終い。
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