Episode006 でも
…――こんなもの読みたくなかった。
これが私が泣いた理由。
それでも。でもなんだ。
だから、
元カレが、止めろと言っているような気がしてしまって悲しくなった。
もう無理だ。止めよう。止めてしまおう。それが、お互いの為なんだ。
と、そう言っているような気がして。
でも、私は止めないよ。
そう声を大にして言いたかった。言いたかったけど言えなかった。私には覚悟がなかった。それも悲しくて。彼が現実を知って止めてしまったのかもと考えると頭の中に、無理、無駄、無意味、無価値、空しい、と言葉が溢れてきて苦しくなった。
夢のない話をしよう、というタイトルが付けられた便箋に書かれた彼からの言葉。
手紙。これを最後まで読んでも、君はまだ同じ夢を追いかけ続けられるかい、と。
この仕事は、結局、そんなもんだった。……それが手紙の最後に添えられた文言。
止めても誰も責めない。楽になろうよ、お互い。
そう言われたような気がして悲しくなったんだ。
そうだ。
学生時代から同じ夢を一緒になって追い続けた元カレから送られてきた手紙。手紙を一瞥し、思わず、手紙を握りつぶしてしまった。私は、いまだ彼が好きなんだって、そして、尊敬しているんだって思い知らされた。それを嫌というほど痛感した。
そして、
件の手紙を読み終えて、
もし、わなわなという言葉があるならば、まさにわなわなと手を微かに震わせた。
涙がとめどなく溢れた。
この先、一体どうすればいい? と。
現実を知って、夢を諦めればいいの?
と……。
そのあと部屋にこもった。泣き続けた。仕事も休んで、食べるのも寝るのも忘れて塞ぎ込んだ。あなたは、どうして、そんな事を言うの? と信じられない気持ちになった。長い時間、ずっと泣きはらした。いつまでも続く辛い時間と悲しい空間。
私が、泣き始めてから、ちょうど三日目。同じ職場で働く友達からラインがきた。
「今日で無断欠勤三日目だよ。なにかあったの?」
泣きつかれて、呆然としたままで、スマホを投げ出してから脱力する。
もう、どうでもいいよ。
なにもかも消えれてしまえばいい。消えちゃえ。
また、無駄、無意味という言葉達に責められる。
存在迷子。迷子の子猫。
壁にもたれ、首を傾げて、締め切った窓から外を見る。目は半開き。瞳は濁っているのだろう。なんとなく、そんな気がする。この三日間、お風呂にも入っていない。着替えてもいない。それでも動く気力さえわかない。死にたい。消えたい。
ハァぁ。
食べるのも忘れて泣き続けたとはいえど、一応、水や食パンぐらいは口の中に入れていた。泣きながら鼻水をすすって食べた食パンは、しょっぱかった。天井を見上げると、蛍光灯が煌々と照り、時折、小さな音を立て、ジジッと明滅している。
ああ、あの蛍光灯、今にもきれそう。
私と一緒だ。
彼は私の目標だった。
同じ夢を追って、同じ目標に向かって走り、その果て彼は夢を叶えた。
そして、会えない時間が増えて、いつの間にか自然消滅して彼は元カレになった。
そんな彼が、手紙を送ってよこした。
泣き出す原因ともなってしまった机の上に放置してある手紙を眺める。
夢のない話をしよう。
俺たちが目指した仕事は、はっきりと言って社畜となんら変わらない。むしろブラック企業に務めた方が、まだ割が良いくらいだ。君も知ってるとは思うけど、俺たちは寝る事すらも許されない。一日や二日の徹夜など、まだまだマシなほうだ。
よもや三日や四日など平気で徹夜を強いられる。
うん。知ってるよ。そんな事は知ってる。それは、承知の上でしょう?
……承知の上で選んだんじゃないの?
少なくとも私は承知の上。だったわ。
だから、
悲しかったけど彼の夢を応援したかったから彼が元カレになるのを止めなかったんだ。少なくとも私は夢と彼を天秤にかけて夢をとった。彼の夢と私の夢を優先させる為に彼が元カレになってしまう事を引き留めなかった。そうでしょ? 違ったの?
もたれかかった壁から体を滑らせてコテンと虚しい音を立て横になる。
頬が床に着いて、静かに目を閉じる。
それでも、夢を諦めきれない。諦めたくないの。
なにを犠牲にしてもって頑張ってきたのに……。
あなたも同じ気持ちじゃなかったの?
同じ時と場所を共有した、あの頃、笑い合い夢を語り合ったじゃない。
……忘れちゃったの? あの気持を。
またか。
涙が溢れる。もう、やだ。いやだ。泣きたくなんかない。涙って、どこまで流せば枯れるの。枯れ果ててもいいから止めて。疲れたの。泣きたくない。頬を床につけたまま、涙が零れて顔の横に涙の筋が引かれる。頬が冷たい。悲しい。寂しい。
こんな話、もう聞きたくもないかい?
私の脳内に、あの手紙の続きが浮かんでは静かに消えてゆく。
左手を中空へと伸ばして、何かを掴むよう虚空を握りしめる。
それでも私は夢を掴みたい。貴方と一緒に夢を追いかけたい。
ぐずり。
鼻を啜って思い出す。
その先を。彼からの言葉を。現実を。
俺は、結局、どこまで行っても企業の小間使に過ぎないんだ。
一年の内でまともに一日休める日が何日あると思う? 三十日? いや、二十日?
甘いね。
三日あればいいほうだよ。その三日だって、実情は別の仕事をしてる。いつも任されている仕事以外にも仕事があってさ。その仕事をしなくちゃ回らないんだ。だから実質、一年中、休みなしで働いてるって言っても過言じゃないね。これが普通。
休みなんてない。それがリアルだよ。
確かに、休みがない、休みがほしいと思っている内が華なんて言葉も聞くけども。
正直、少しは休みがほしい、なんて考えるのは人間だからだ。
俺たちは人間扱いすらされていない。
上手くゴマをすられ、持ち上げられ。
さながら虚無に落とされた蠱たちの争い果てに残る蠱毒。それが俺らの正体だよ。
それも分かってたわ。
だから、止めろっていいたいの? 無茶だって?
なんで。なんで、そんな事を言うの?
今、君は、俺からの手紙を読んで、こう思っているんだろう?
なんで、そんな事を言うの、ってさ。
うん。それでいいんだ。いいんだよ。
それじゃ続けようか。
今まで語ったように、俺は、死ぬほどまで必死に企業に尽くして働き続けている。
それでも結果が出せなければ即クビ。
一切合切、仕事がなくなってしまう。
企業の中にいるやつらは揶揄してこう言うんだ。
休みが欲しくてたまらなかった君に長い夏休みをあげるよ。長い長い夏休みをね。
とだよ。
だから常に結果を出す為にはどうしたらいいかと悩んでる。精神を病む者も出る。俺だってメンタルは強い方じゃないから限界なんだ。大体、常に望む結果を出す為の公式なんてない世界だろう? プレッシャーは半端ないんだ。分かるだろう?
しかも、
それだけ頑張っても、与えられる対価は雀の涙。
もちろん、大きな結果を出し続けているやつらは途方もないお金をもらっているんだろう。それでも客を呼べる猿回しの猿が他の猿より良いエサをもらえるのと、なんら変わらない。少なくとも、この世界で生き、この世界を知った俺は、そう思う。
一体なんだろね。この理不尽さはさ。
だから君には知っておいてほしくて、この手紙を書いたんだ。
知りたくなかったよ。
いや、本当は知りたかった。知りたかったけど、改めて目の前にリアルとして突き付けられると悲しくなる。手紙は、あと一文を残して終わる。その一文にも書いてはいない彼の現況。そんな悲惨な目にあって、一体、そのあとどうなったの。彼は。
死んでないよね? 死んでないよね? 元気にしているよね?
横に倒れたままの私は手と足を投げ出してから仰向けになる。
電気スタンドが置いてある、使い込まれた古い机を見つめる。
あそこに私たちの夢が詰まっていた。
アハハ。
乾いた笑いが溢れる。
会いたいよ。ねえ、会いたいよ。会いに来てよ。
ねえ、お願いだから。
もう止めるから。夢を諦めるから。また二人で生きていこうよ。夢なんて忘れて。
また瞳に涙がたまってきて零れそうになるのを必死で堪えた。
そして最後の一文を頭の中に思い浮かべた瞬間。
スマホがけたたましくなってまたラインがきた。
私はノロノロと起き上がってスマホを手に取る。
「おーい。既読スルーって悲しいぞ。生きてる?」
……元カレじゃない。
ラインの主は、さっきも心配してラインを送ってきた友達だ。
「本当にごめん。今はそれどころじゃないんだ。生きる意味を見失いそうなんだよ」
と私は、ゆっくりと返事を書いて送っておいた。
目をつむり、大きく一つ息を吐き、深呼吸する。
私、もうダメかも。もう、どうでもいい。なにもかも。死にたいなんて思ってる。
と考えた瞬間、間髪入れず、またスマホが鳴る。
ライン。
だ……。
虚ろな目で文を追う。
「漫画家になった元カレだっけ? あの人から連絡があってさ。あんたが無事かどうか確認してくれって。あんたに何度も電話で連絡したのに繋がらないからって」
何度も連絡したのに繋がらなかった?
そうだ。
彼と連絡を取るのは夢を叶えてからだと電話を着信拒否してたんだ。だから電話が繋がらなかった。だったら、もしかしてラインが来てる? 一縷の望みを託し、ブロックしている元カレとの連絡に使っていたラインを開く。来てる、彼からだッ!
「でも俺は止めないよ」
と何度も何度も同じ言葉を繰り返し送っている。
そっか。
私は右腕で目を覆ってまた泣き始めた。でも今度は嬉し泣き。
「まあ、返事があったって事は生きてるんだろうけどもさ、元カレも心配してたよ」
私は一通り泣いた後、
そして、
手紙に書かれていた終の文を脳内で、反芻した。
この仕事は、結局、そんなもんだった、という最後の文言を。
この仕事、つまり、漫画家なんて、そんなもん。
それが、彼の言いたかった事。そして、それでも止めないと。
うん。分かったよ。三日も泣いて分かったんだ。
でも俺は止めないよ、だね。うん。私も止めない。それでも。
やっぱり、どうしても諦め切れないんだ。私だって。あなたと同じで。
「でも俺は止めないよ」
うん。そだね。私も。
と心の中で繰り返した。彼のラインが繰り返されていたよう。
そして、スマホを弄ってから、また同僚の友達に返事をする。
「私、やっぱり漫画家になりたい。現実を知っても夢を叶えたい。私の描いた漫画で泣き笑う人の顔を見てみたい。元カレに負けたくない。絶対に漫画家になる」
…――だって元カレは、そんな悲惨な状況にあっても漫画家を止めてないだから。
すぐさま返事がきた。
「なによ? いきなり。意味不明な青年の主張。まあ、頑張りなさいな。でも、その前に会社にね。上司はカンカンなんだから。まずはこってり絞られなさいっての」
との返事を読んで、全てが吹っ切れて微笑んだ。
やってやるんだ。絶対に。私も負けないと……。
「でも俺〔私〕は止めないよ。絶対に負けないよ」
と……。
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