Episode005 隠し事

 …――隠し事か。


 この俺には、なにがあっても、どうしても隠しておきたい秘密が在る。


 表の顔は一般市民で文筆家となる。


「悪は滅びろッ!」


 その時、


 俺は、とびっきりの特ダネを得た。


 今から少し前。目の前に悪人が現れた。悪人は倒れる。倒したのはヒーロー。多分な。興奮した。顔が熱くなる。その状況を脳に強く焼き付ける。結局、ヒーローの姿を確認する事は出来なかった。いや、そういうものなんだろう。ヒーローとは。


 決して正体を悟られてはならない。


 そういうものだ。


 無論、その正体を暴くというネタ。


 しかも、面白可笑しく扇情的にな。


 ただし、姿を見ていない。しかし、一瞬だけ見た気がする。ヒーローを目撃したと嬉しくなった俺の意識が、もうろうとした刹那。その僅かばかりの時。彼の横顔が見えた気がしたのだ。どことなく、俺に似た顔だった、と、そう記憶している。


 嘘も、デマすらも厭わない俺に似た凶悪な顔つき。


 そうだな、うん。


 人には一つや二つの他人には言えない秘密がある。


 その秘密を隠し事と言うのだろう。


 もちろん俺にだって隠し事がある。


 やましい仕事をしているからこそ。


 だから、


 あの悪人を倒した彼も、また、だ。


 悪人が倒れてはいたが、その時、すでに彼は、そこに居なかったのは。


 まあ、決して正体を悟られてはならない、と、そういう事なんだろう。


 今、いる場所はカフェ。付き合って間もない彼女とのカフェデートだ。


「そう言えば、最近、謎のヒーローが現れては凶悪な犯罪者を成敗してまわってるって話、あったでしょ。どうやら、そのヒーローなんか、素性、怪しいらしいよ」


 白いカップを傾けて、コクっと喉を鳴らし、彼女はコーヒーを美味しそうに飲む。


「その話、一切、まったく興味なし」


 敢えて素っ気ない態度で答える俺。


 その話には触れるな。彼の為にも。


 無論、俺の為にも。分かるだろう?


 対して、


 カップを置いた彼女は、手持ち無沙汰なのか、コーヒーをスプーンでかき混ぜる。


「まあ、いいから聞きなさいっての。きっと、いいネタになるからさ。そのヒーローの素性って、実は……、連続殺人鬼らしいのよ。シリアルキラーってやつ?」


 一通りかき混ぜたあと、スプーンを口に持っていって、スプーンを静かに舐める。


 やはり。


 間違いない。彼女が俺に伝えようとする手入れた情報は……。


 俺が目撃した、あの刹那のヒーロー。一瞬だけ、横顔を見る事が叶った彼の事だ。


 件のヒーローが、実は連続殺人鬼のシリアルキラー。うむっ。なんと扇情的で甘いお菓子のような蠱惑的なフレーズ。すわ一般大衆が飛びつき、噂し合う事が約束されているような最高のネタではないか。それを思いつき書いたやつは天才なのか?


 いや、それを書いたのは俺なのだ。


 嘘も方便とし。


 もちろん匿名で、ある事ない事な。


「だから興味ないって。聞いてる?」


 また素っ気ない態度で、突き放す。


 なんとも後ろめたい気持ちになる。


 近くの窓から見える空を見つめ流れる白い雲を無言で見送る。


「他人を叩きのめすのが好きだったから悪人を殴っていたんだって。ヒーローの真相が単なる戦闘狂で他人を傷つけて快感を感じていたなんてね。がっかりだわ」


 半開きになった目で巡る黒い液体をジトッと見つめて、大きなため息を吐く彼女。


 俺が見つめる雲は正義と悪を履き違えたのか、死神を形作り大きな口を開け嗤う。


 …――隠し事か。


 しつこいようだが、人には他人に絶対に言えない秘密が、一つや二つは必ず在る。


 それは、この俺にも在るし、もちろんヒーローの彼にも在る。


「悪は滅びろッ!」


 一週間ほど前に目の前で繰り広げられた、あの脳に焼き付けたシーンを思い出す。


 俺はヒーローじゃない。もし、別の銀河から宇宙人が攻めてきたら白旗をあげて降伏する。いや、目の前に暴漢でも現れでもしたら膝から崩れて腰が抜けるだろう。それどころか、件のヒーローが、俺に事実無根の誹謗中傷だと抗議してきたら……、


 そそくさと目も合わさず一目散に逃げだすだろう。


 なぜなら俺は、か弱き一般人に過ぎないのだから。


 その実、小市民であり小市民だからこそ、嘘もつくのだ。目立ちもしたいわけだ。


 俺は、彼女から視線を外したまま疲れてしまって、天井にある蛍光灯を見つめる。蛍光灯は切れかかっているのか、時折、ジジっと明滅している。腕を投げ出してだらんと脱力し、また大きなため息を吐く。あのヒーローは、一体、どこの誰なんだ。


 ふうと深呼吸をし心を落ち着ける。


 目の前のカップで紅茶が舞い踊る。


「キャー」


 と唐突。


 カフェに在る秩序が乱れる。イキッた若者が暴れ出す。現れるヒーロー。そう。また会えたのだ。あの刹那のヒーローと。ようやく、やつの尻尾を掴み、やつを断罪できると嬉しくなる。しかし、また嬉しさのあまり、また意識が遠のいてしまった。


 いや、でも今回は彼女がいる。彼女が、ばっちりと正体を見てくれているはずだ。


 俺は歪んだ景色の中、そんな事を思い、ハッと気を取り直す。


 意識が戻る。待ちきれないと聞く。


 やつの正体は? やつは、どんなやつだったのか? と……。


「ああ、うん。まあ、知らない方がいいよ。あの素性が怪しいって情報は嘘っぽいからさ。でも凄く恐かった。多分、知ったら自殺もんじゃないかな。止めときな」


 いや、それでも俺は知りたいんだ。


 やつの正体をな。


 俺は、どうしても知りたいと彼女の両肩を掴み強く揺さぶる。


 観念した彼女は、静かに口を開く。


「……君だったの。ヒーローの正体」


 えっ!!


「なわけない。てか、凄い正義感の塊だった。あのヒーローさん。だって悪人を成敗したあと悪人にも情けをかけてたもの。あの記事、やっぱり嘘だったか。大嘘」


 ちょっ。


「てか、あの嘘の暴露記事を書いたのは君だろって怒ってた。やっと見つけたって。今は成敗しない。正々堂々と勝負を申し込むってさ。その時を楽しみになって」


 マジで?


「バレてたの。あのヒーローに。本当に大丈夫なの。ヤバいよ」


 …――隠し事か。


 人には他人に絶対に言えない秘密が、一つや二つは必ず在る。


 俺が書いたって事は絶対にバレてはならない秘密だったのに。


 それが、バレた。


 他人の隠し事を書く仕事のネタにして面白可笑しく世の中に提供する。それは派手であればあるほどいい。だが、そうであるならば、嘘やデマなど、お構いなしに書き綴る。その果てに成敗される悪が、俺になる事もある、という事なんだろう。


 嗚呼、終わったな。俺の人生。隠し事を暴く、書く仕事でだ。


「てか、悪は君だったのね。そんな人、ご免だから、君とは、これっきりにするわ」


 てかっ。


 マジでか。ま、待って。終わった。


 俺……。


 チーン。


 お終い。

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