月の歌

増田朋美

月の歌

月の歌

今日は、十五夜だ。この日は、へそ餅をつくって、ススキを花瓶に入れて、お供え物を月に捧げるという行事がある。最もこんな行事を行うのは、高齢者でもない限り、なかなかする人が少ないが。やるとしたら、高齢者の施設とか、幼稚園とか、学校などの教育施設などでしか行わなくなっている。

製鉄所でも、十五夜のお供えは長年してこなかったが、今年は、春にやたら寒かったり、発疹熱なるものが流行したり、大雨が降って猛暑が続いたりと、天変地異が横行したため、なぜか十五夜の供え物をしたいという女性たちが多かった。ただ、日ごろから伝統文化に触れる機会がないので、へそ餅のレシピも、何も知らないという人が多く、餅を誰が作るかでもめていた。

「じゃあ、私が、皆さんを代表して、へそ餅を作ってみます。」

と、製鉄所に来ていた須藤有希が、困っていた女性たちに言った。

「本当?有希さん、つくれるの?」

女性の一人が心配そうに言うと、

「ええ、以前、料理の講習会に行ったことがあって、なんとなく覚えてるわ。まあ、一寸忘れている個所もあると思うけど、それは、インターネットで調べればいいことだし。

と、有希はちょっと自信ありげに、そうに答えた。まあ確かにへそ餅のレシピは、インターネットで調べれば、たくさん載っている。それに書いてある通りにすればいいのだが、どれを選ぶかによって、変わってくるだろう。中には、インチキなレシピもあるので気を付けなければならない。

「あの、それなら私がしましょうか?」

ふいに、有希の隣に座っていた犬養恵さんが、そう発言をした。

「あら、犬養さん、レシピを知っているの?」

と、有希が聞くと、

「ええ。病院にいた時に、看護師さんと一緒に作ったことが在って。」

と、犬養は答えた。

「じゃあ、二人で一緒にやって頂戴よ。あたしたち、みんな、へそ餅のレシピを知らないんだから、やっていただいてありがたいわ。」

と、ほかの利用者たちがそういうので、犬養と有希がへそ餅をつくることが決まった。さすがに、有希さんと犬養さんは犬猿の中だからなという人は誰もいなかった。

「じゃあ、今日が十五夜だから、今日中にへそ餅をつくってお供えしましょうね。へそ餅が食べられる何て、うれしいわねえ。」

製鉄所の女性たちは、そういうことを言っている。そこで有希と犬養は、さっそくへそ餅つくりに取り掛かることにした。まず、材料を用意するところから。へそ餅は小麦粉ではなく上新粉というお米の粉で作られる。有希が、上新粉はどこにあったかなと、食品庫の中を探していると、四畳半から、水穂さんの声がした。またせき込んでいる声である。有希はここでちょっと待ってて、と犬養に言って、自分は、四畳半に行った。

「水穂さんどうしたの?また苦しいの?」

有希が水穂さんに尋ねると、水穂さんは答えの代わりに、胸を押さえてせき込んでいる。有希は、急いで水穂さんの口元を拭いてやり、出すべきものが出てくるのを待った。幸い今回は、苦しそうではあったけど、痰取り機のお世話になることはなかった。急いで枕元の吸い飲みをとって、中身を飲ませてやる。これも飲んでくれた。比較的軽いもんだったか、と有希は安堵の気持ちになって、薬が効いて眠りだしてくれた水穂さんに、かけ布団をかけてやった。水穂さんが、眠ってくれたのを確認して、有希は台所に戻る。

「ごめんごめん。水穂さんの事で、一寸待たせちゃったわね。それでは、上新粉を水で溶いて、生地を作っていきましょうか。」

有希が台所に戻ってくると、台所には、ボウルがあった。何をするつもりだと思ったら、犬養が、中身を箸で溶いている。そして、中身をひとつづつ丁寧に丸め、へそ状の形を作った。そして、作った餅を、手際よく、鍋に入れてゆで始めた。

「犬養さん、何をやっているの?」

有希が聞くと、

「へそ餅をつくっています。」

と、犬養は答えた。

「へそ餅って、小麦粉で作るもんじゃないわ。上新粉で作るのよ!」

有希は、思わず怒った。

「でも、私が入院していた時は、看護師さんたちは、小麦粉で作っていたと記憶しています。私の病院でも、そうやってたわ。それで、お月さまにお供えしていたわよ。」

と、犬養は、敬語とそうでない言葉が混じった、おかしな発音でそう答えるのだった。

「そんなことないわ。へそ餅は、上新粉で作るものよ!そんなことも知らないなんて、病院の看護師さんもいい加減ね。あなた、それも知らないなんて、ずいぶんいい加減に扱われたものね。」

有希は、彼女に対し、冷たい口調で言った。

「そうかもしれないわね、病院にいるって、そんなものだもの。そのくらいにしか扱ってくれないわよ。そして、私たちを助けているのは、この私だけだって、そういうマインドコントロールみたいなことを仕掛けてくるのよ。」

と、犬養はそういうが、有希は無視して、

「悪いけど、小麦粉で作ったのは、へそ餅じゃないわ。ちゃんと、へそ餅にするんだったら、上新粉で作るべきね。私、作り直すわ。あなたはここで見てて。いくら形だけちゃんとしていたとしても、材料がしっかりしていなければ、へそ餅じゃないわよ。」

と言って、食品庫から、上新粉を取り出し、別のボウルに入れて、それを水で溶き、こね始めた。確かに、上新粉で作ったほうが、作りやすいことは確かである。有希は自分の調べたへそ餅のレシピ通りに、粉をこねて、丸めて、へそ餅の形を作った。そして蒸し器を取り出して、下段に水を入れ、火にかけて沸騰させる。その蒸し器の中に、成型したへそ餅を入れて、

「これで、20分ほど蒸せば完成だわ。昔ながらのへそ餅というのは、こうやって作るものよ。」

と、自信たっぷりに火をつけた。

「そうなんですね。私、全然知りませんでした。ただ病院で看護師さんたちがやってくれたことが、本当にそうなのかと思っていました。ごめんなさい。私、全然違っていたわね。」

と、犬養はそういうので、有希はちょっと彼女がかわいそうになった。多分、長期に入院していた病院で、看護師やその他のスタッフが、患者にしてくれたのだろうが、それはちゃんとしたやり方ではなく、適当なやり方だったのだろう。本来の行事というのは、ちゃんとした、手法をとるものであるが、それがしっかりできなくなっている。

「入院していた時、つまり竜宮城へ行っていたときね、毎年、看護師さんたちが、おつきみ団子を作ってくれたの。看護師さんたちが、小麦粉をこねて、鍋でゆでていたところを、私、よく見てたわ。ほかの患者さんの中には、団子作りに、参加させてもらったりして。でも、やり方が間違ってた何てちっとも気が付かなかった。」

と、犬養は、小さい声で自分の身のうちを語った。

「そうなのね。じゃあ、犬養さん、それではちゃんとへそ餅の使い方を覚えなおすといいわ。多分、いろんなことで、間違ったこととか、そういうことに気が付くことはあると思うけど、それは、大したことじゃなくて、ただ知らなかったことにしておいてね。」

と、有希は、犬養に言った。

「そうね。私、もう負けちゃったのかな。十年近く病院にいたから、いろんなことができなくなっちゃってるんでしょうね。」

と、犬養は、苦笑いしてそういうことを言った。

「負けとか、勝ちは決めないほうがいいわ。ただ、できないのなら、できないんだと考えておけばそれでいいのよ。其れよりも、できるようにするのが大切でしょう。」

「でも、何だか、竜宮城にいた期間が長すぎたのかしらね。なんでも度を超すと、何もできなくなってしまうじゃない。少し、入院していたのならいいけれど、一寸長くいすぎると、何もできなくなっちゃう。私は、もう何もできることもなくなっちゃったわ。有希さんみたいに、料理の基礎的なことを知っているわけでもないし。もう、今更やり直しても、何の役にもならないと思う。」

犬養は、そういうことを言って、一寸涙を拭いた。なんだか、長く収容されていた、彼女ならではの悲しみだった。

「まるで私、もうこの世には必要ない人見たい。ほんと、これからどうしていけばいいのかもわからないし、もう、やることを獲得する期間は当にすぎちゃったし。もう、やれることなんて何もないわよ。もうこの世にいても、しょうがない。後はようよう、死ぬだけ。」

「犬養さん、あたしがこんな事いうのも何だけど。」

と、有希は、にこやかに言った。

「あたしだって、今まで、何も特技がないし、友達もないし、何も居場所もなかったの。ただ、家事をすることがやっとだけ。そういうわけだから、大して変わらないわ。それでは、私の人生も終わりなのよ。」

「そうなのね。でも、有希さんは、水穂さんの世話をしているじゃない。それができるだけでも、あたしとは、違うのよ。」

犬養は、一つ涙をこぼした。

其れと同時に、タイマーの音が鳴る。20分経ったのだ。急いで有希が、蒸し器の蓋を開けた。蒸し器の中には、ちゃんと作ったばかりのへそ餅が置いてあった。

「じゃあ、これで、ススキと一緒に、お月様に捧げましょうか。」

と、有希は、出来立てのへそ餅を、皿の上に、ピラミッド状に並べた。それを、縁側にもっていき、小さなテーブルを出して、その上にへそ餅の皿を乗せる。そして、中庭に生えていた、ススキを二本剪定鋏で切り、花瓶に入れて、テーブルの上に乗せた。これで、十五夜の支度は、完璧なはずだったが、

有希は、まだあるわと言って、台所に戻っていく。

何だろうと思って、犬養がそのあとについていくと、有希は、先ほど犬養が作ったへそ餅を、お皿の上に乗せていた。

「これも一緒にお月様にお供えしましょうね。」

と、有希は、それをもって縁側に行き、テーブルの上に乗せた。ちょうどその時、秋の日が沈んで、空が暗くなっていった。まもなく、月が出るわ、と、有希は縁側に座って、空を眺める。犬養はどうしたらいいのかわからないという顔をしている。

「座りなさいよ。きれいに月が見えるわよ。」

有希にうがなされて、犬養も座った。やがて、有希が言った通り、空は真っ暗になり、見事な満月が空に現れた。

「月見れば、新たな人生、始まりと、光放ちつ、声をかけらむ。」

有希が一首作った。すると、犬養も一寸考えたようで、

「月見れば、選ばれしには、あらねども、生きるのみぞと、光放つべし。」

と、口にした。ふいに、四畳半のふすまが開いた。目を覚ました水穂さんが、有希に声をかける。

「あの、先ほどはどうもすみませんでした。せっかくお月見されていたのに、邪魔してしまってすみません。」

「ああ。いいのよ。水穂さん。気にしないでゆっくり寝ていれば、それでいいわ。」

と、有希は急いで、そういうことを言った。すると、水穂さんは、

「二人とも、一首作ったりして、素敵ですね。」

と、二人にいった。まあ、いやねえと有希が照れ笑いを浮かべて言うと、犬養がまたこういうことを口ずさんだ。

「友といて、うれし涙を、流す間に、閉ざせられたる、心も溶ける。」



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月の歌 増田朋美 @masubuchi4996

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