審判の日(前)

 ついに審判の日が来た。

 いつもの時間に、いつものように制服に身を包んで家を出る。

 学校に遅刻する旨の連絡を入れて、病院の予約時間まで喫茶店で時間を潰す。

 何かのためにとコツコツと貯めていたお小遣がまさか死後の世界診断なんて使われ方をするなんて思ってもいなかった。

 安くないし保険もきかない診察料が全額自腹なのは痛い。

 親に事情を話せばいくらかは援助をくれたかもしれないが、ネットの診断でいつも地獄だから病院でちゃんと診てもらいますなんて恥ずかしすぎて言えないし知られたくもない。

 けど、どんなに馬鹿げた理由だってこの悩みは本物だし、どんな結果であっても受け入れるだけの覚悟はもう固まっている。

 だから、決着をつけなければならない。


 総合病院の待合室で時間を潰すこと約1時間。ようやくその時がくる。

 (受付で分かったことだが、病院で死後の世界診断をするのは脳神経内科の領域のようだ)

 診察室に入り、医者に死後の世界診断の結果が地獄ばかりだったことを告げる。

 医者は、別に事情は話さなくてもいいんですよと前置きしてから、

「ネットの診断なんて信じちゃダメですよ。そんなのでいいならあんな機械は粗大ごみにもならないんですからね」

 と言って、診断機器のある部屋に案内する。

 そして、電極がいくつも刺さったつば無しのキャップを頭に固定してから言う。

「では脳に電気流しますね。ちょっと幻覚見えるかもしれませんが絶対に暴れないでくださいね。ヘタすると最悪の場合命に関わりますから」

「え」

 この病院もしかしてヤバいところだったかと考えたのも束の間、いつの間にか見知らぬ場所にいた。街なかの交差点で信号待ちをしていた。


 すぐ後ろに生暖かい気配を感じて振り返る。

 手を伸ばせば簡単に届く距離に、ヒトガタの泥が、体表に泡を浮かせながら立っていた。

 気持ち悪い。ひどい悪臭だ。

 そのドロ人間が、ゆっくりとあやめに手を伸ばしながら、口にあたる部分の泥にぽっかりと穴を開けて

「お前が悪いんだぞ」

 と言葉を発する。弾けた泡から跳ねた泥が手に当たる。

 あまりのおぞましさに信号もお構いなしに行くアテもなく駆け出す。

 気が付くと見知らぬ橋の真ん中に立っていた。

 今度は正面からドロ人間が現れて「お前が悪いんだよ」と言ってくる。跳ねた泥が服を汚す。

 また逃げ出す。逃げた先は毎度見知らぬ場所ばかりで住宅街だったり駅だったり店内だったりするけれど、どこであってもドロ人間が現れては「お前が悪い」「お前が悪い」と口々に言ってはあやめを泥で汚す。

 そうして逃げ続けて何度目かはもう分からないけれど、たどり着いた先は高校の教室だった。今ではすっかりと全身が泥にまみれている。

 またも背後に気配を感じて振り向く。そこにいたのはドロ人間ではなく、生島みいなだった。

 目いっぱいに腕を伸ばしてもちょうど届かないくらいの距離から、みいなは

「あやめちゃんが悪いんだよ」

 とただぽつりと言った。

 気付けばそこは地の果てとでも言うような赤く土に覆われた草のひとつもない荒野で、目の前には不自然に開いた底の見えない深い谷。みいなはその向こうにいた。

「全部、あやめちゃんが悪いんだから」

 と静かに、しかし、やけにはっきりと聞こえる声で言う。

 あやめは谷底へと身を投げた。

 崖の壁面に目と口がびっしりと浮かび上がっており、そのすべてがあやめに向けられていた。

「お前が悪いんだぞ」

 思わず耳を塞ぐと

「自分でも分かってるくせに」

 手のひらに口が


 気が付くと目の前には医者が座っていた。

 頭には電極がいくつも刺さったキャップがついていて、死後の世界診断を受けに病院に来ていたことを思い出す。

 さっきまでの光景のせいか、全身からじわっと汗が噴き出してくる。

 「恐怖、嫌悪、不安が強く出てますね」

医者はモニターをチェックして、そう告げた。

「今のはなんだったんですか?」

 とあやめが尋ねると、医者はゆっくりと、しかし少し早口で答えた。

「死に際して活性化する回路に電気刺激を与えることで擬似的な死の状態にして、その際の視聴覚野や感情を司る部位の神経の興奮をウォッチすることで死後の状態をトレースするんです。ある種の臨死体験ですね」

「だったらアレが私の死後なんですか?」

「厳密には異なりますが、近しくはあるでしょうね。あなたが何を視たのか私にははっきりとは分かりませんが、あなたにとって不快なものであることは間違いないでしょう」

 それならやっぱり、死後の世界は地獄と呼んでいいのかもしれないとあやめは思う。

「ただ、それも今の状態に過ぎません。死後観は生きているうちに変わってゆくものです」

 そうなんですかと相槌を打つ。あんな死後なんてまっぴらごめんだから変わると知って少し安心する。

「この結果がご不満であれば、カウンセリングを受けることをお勧めしますよ。あ、カウンセリングのほうは保険効きます」

 医者に勧められるままにカウンセリングを受けることにして次回の予約をとりつけた。会計は26,300円。

 財布が軽くなったけど、心も軽くなったのでまあよし。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る