一章 炎_2

 泉で遊び過ぎたせいもあり、ベッドの上で目を閉じたのは夜を告げるかねが鳴った後だった。

 ねむることができず、ベッドの上で何度もがえりをり返す。目の下にくまを作ってけつこん式に出たらおこられるだろうか。結局、眠ることはできず、起き上がった。

 まくらもとに置いた髪飾りをいじる。勇気をくれたルガーのおくり物は、えのかないお守りになっていた。いつもはだはなさず身につけている。

 慣れた手つきで髪を結う。最後に髪飾りをつけた。これをつけると、自然と勇気が湧く。

 ──きっと明日あしただって大丈夫。

 揺れる髪飾りをでる。シャラシャラと金属の音がひびいた。

 しかし、思考を止めるように大きな足音が耳に入る。すぐにとびらが開かれた。

「おいっ! 起きろっ! 逃げるぞ!」

「……お兄ちゃん? 急にどうしたの?」

「外を見ろ! 火事だ!」

 イアンの言葉にまゆを寄せる。

 しかし、言われた通り窓の外をのぞいて言葉を失った。目の前がごうに包まれていたからだ。草木が燃え、家の屋根に火がついている。目の前の家がつぶれていく。中から逃げまどう人のかげを見つけ肩がふるえた。

「お、お兄ちゃん……どうしよう……」

鹿! 逃げるに決まっているだろっ!」

 イアンに手を引かれながら、着の身着のまま家の外へと出た。すでに火の手はすぐそこまで来ている。せまりくる火をけながら必死に走った。火の粉を受け泣き叫ぶ子ども。こしの弱い老人。助けることのできない非力さに打ちのめされながら、村のはしを流れる川を目指した。

 村中にけむりじゆうまんしている。なにかがげるにおいが鼻につく。息をうまく吸うこともできず、何度もき込んだ。

 ──どうしてこんなことになったの? なぜ今なの?

 おかの上に建つ村長の大きなしきは既に形を成していない。明日の結婚式はどうなるのか。今は考えても仕方ないというのに、くだらないことばかり考えてしまう。

「ライラ! 危ない!」

 イアンの叫び声でり返った。頭上には、たおれかけた木が迫ってきていた。きように負け固く目をつぶる。背中を強く押され地へと倒れ込んだ。強く頬を打ち気が遠くなる。

 このまま眠ってしまえば、悪夢から目覚めるかもしれない。

「ライラ! 目を開けろ!」

 イアンのあらあらしい声が耳に入りおそるおそるまぶたを上げる。声をたよりに振り返ると、同じように倒れているイアンを見つけた。彼の腰には倒れた太い幹がおおかぶさっている。じわじわと火の波が木の根からいあがってきていた。

「お兄ちゃんっ!?」

「ライラ、行け。真っぐ行けばすぐに川があるだろ。そこなら火もおそってこない。待っていれば、ウィル様がおまえをむかえに来てくれる」

「意味わからないよ。お兄ちゃんもいつしよに行こう?」

 イアンはまゆじりを下げて、小さく頭を横に振った。

「……俺は無理そうだ。ごめんな」

「やだよ。私、一人はいや!」

 どうにかしたい一心で、イアンの上にる大木を持ち上げようとした。しかし、ピクリともしない。

 ──どうしよう。だれか助けてっ……!

 イアンのりよううでを引き、身体からだを引っ張り出そうにも、大きな木の幹がじやをする。ライラは力なく彼の前に座り込んだ。彼の手がライラの左腕を弱々しくつかむ。

「おまえがわがまま言うの、五年ぶりだな」

 彼は眉尻を落とし寂しそうに笑った。そんながお、この十六年で一度だって見たことがない。

なにーちゃんでごめんな」

 彼は口角を上げた。しかし、お世辞にも笑顔とは言えなかった。ライラの腕を掴む手の力が強くなる。腕につめが食い込んだ。痛くても「離して」とは言えない。彼の手が震えていたのだ。

「意味、わかんないよ……」

「こんなことなら、昨日もっと話しておくんだった。……行け、ライラ。時間がない」

「私、ここにいてもなにもできない?」

「ライラにできること、一つだけあるだろ?」

「なに? 私、なんでもする。だから──」

 一緒にげよう。そう言う前に、イアンが声をかぶせる。

「幸せになれ。ライラ。俺の分まで生きろ」

 イアンがライラの腕から手を離す。その手でトンッとライラの胸を押した。

 今のライラには、彼の言葉に静かにうなずくことしかできなかった。

 最後に見た彼の右手が小刻みに震えていたのを覚えている。

 ライラは真っ直ぐ走る。もう後ろを見たりはしなかった。兄のもとにはじわじわと火の波が迫っている。自身の非情さをののしりながら、それでも走った。

 一人で走る中、降ってきた火の粉を浴びて左腕を焼いた。強い痛みに声にならない声を上げる。それでも、兄の最後の顔を思い出しながら走った。

 川には既に数人のひとかげがある。十人にも満たない数だ。みな、燃える村ではなく星がかがやく空をぼうぜんと見上げている。そこには、大きな影が動いていた。

「竜だ……竜人様だ……」

やくさいだ……! 竜人様を怒らせたんだ……!」

 誰かが震えた声でつぶやいた。大きな影はゆっくりと村の上空をせんかいし、口から火をいていた。

「竜……」

 大きな竜がひとしきり村をらすと、ライラたちのもとへと近づく。ほのおに照らされた竜は蒼く美しい姿をしていた。炎の中にいるというのに、氷のように冷たく光る蒼いかたが震える。しかし、蒼い竜は川に逃げた者たちをに焼きはらうことはしなかった。ただ、力をするように横切り上空へと上がっていく。小さくなる影を目で追い、言葉なく空を見上げた。

 ヴォールの村は一晩で焼け野原となる。そして、ライラはいつもとちがう朝を迎えた。


   ◆◆◆ 


 朝日が顔に影を作る。村はこんなにも荒れ果てているというのに、リオート山はいつも通りの朝を迎えていた。来た道をもどる足取りは重い。

 家という家はすべて燃えた。いまだパチパチと音を立てているところも多い。足はとうにり切れて、傷口からは血がにじんでいた。すすけた寝間着は焼け焦げ、ふとももさらす。

 大きな一本道を行けば、兄と別れた場所に行きつく。炭に変わった大木を見つけ、イアンの顔を思い出した。急に押し寄せる不安に、胸がめつけられる。大木のもとへとけた。そして、目の前に広がる炭のかたまりに両手を差し入れる。まだ熱の残る炭はライラの手を黒く染める。

 見つかるなと何度も唱えながら灰をき分けた。しかし、願いを裏切るように左手が異物をらえる。

「お兄ちゃん……」

 煤だらけの手の中にはかたい骨。

 肩が震えた。ライラはくちびるみしめる。最後に見た苦しそうな顔が脳裏をよぎった。

「……ィーカ・ワース・ロー……やだよ……。言えないよ……」

『ィーカ・ワース・ローン・ゴ・フォール』という言葉がある。それは、ヴォールの村に伝わる別れの言葉だ。この言葉を死者に贈ることで、彼らは神のもとへといけるのだそうだ。母のときも、父のときもこのじゆもんを唱えた。

 ただのしきのようなものだ。しかし、これを唱えたら、本当に一人になってしまう気がした。

 風が吹いて骨についた煤を払う。煤がほおを撫で、衣服をさらよごしていく。

 ライラはほとんど燃えた家を荒らす。青い石だけはなんとしても見つけ出したかった。あれは、父との思い出だ。そして、小さな友達を呼ぶためのゆいいつの道具。

 ──一人はいや。

 焼け焦げた木材をひっくり返す。しかし、汚れるばかりで大切な物は出てこなかった。

「ジァ・グ・ウィッチ」

 唱えたところで、青い石は太陽の光を浴びなければ意味がない。ガラクタにもれた状態では、いつも楽しそうに笑うかんだかい声は聞こえなかった。

「ライラ?」

 聞きなれた声に呼ばれり返る。煤けた村には似合わない白銀の長いかみが風にう。

「シスル……さん?」

「よかった。無事だったのね」

 シスルはしんひとみなみだかべてライラのもとへ駆け寄った。

「どうしてここにいるの?」

「どうしてって、約束したじゃない。けつこん式に行くって。今日だったわよね? そしたら、こんなことになっていて。とても心配したわ。……イアンは?」

 なにも言えず、静かに頭を横に振った。同時にシスルの形のいいまゆが下がる。

「そう……。でも、ライラだけでも無事でよかった」

 とうとつにシスルに頭をでられ、身をかたくした。シスルが子供にするように顔をのぞき込む。彼女の深紅の目にライラの煤で汚れた顔が映った。

つらいとは思うけど、なにがあったのか教えてくれない?」

「……夜中よ。突然村中が火の海になったの。お兄ちゃんと川に向かって……。私のせいでお兄ちゃんが……」

 夜中の事をありありと思い出す。はだを焼く熱も、息苦しさも、兄の笑顔も全部だ。しかし、涙はれたように出てこない。

 もしも、あのときよそ見などしていなければ、兄は命を落とさなかっただろう。その事実を受け入れることができない。

「どうして、火事になったのかわかる?」

 シスルの質問に思考がとまった。思い出すように視線をめぐらせ、空を見上げた。

「私、見たの。りゆうを。あおうろこと、蒼い眼。大きな竜が火を吹いて、村をこんなにしてしまった」

「蒼い鱗に、蒼い瞳……。多分それはそうりゆうおうのことね。一度だけ見たことがあるわ」

「蒼竜王……」

 シスルが大きなリオート山の頂上を指差す。

「北にあるてい側から見るとリオート山の山頂には大きなきゆう殿でんが見えるの。そこに竜人の根城があるのは知っているでしょう? そこを束ねているのが、蒼竜王。今はルガーって名前だったかしら。竜人の中で唯一蒼い鱗と、蒼い眼を持っているの。蒼竜の血をぐ者って話だけど」

「唯一蒼い……ルガー……」

 気づいたときにはその場から駆け出していた。

「ライラッ!?」

 裸足はだしのまま森の中へ向かう。幸か不幸か森には火が移らなかったらしい。青々とした木々にむかえられた。いつも通る道を走る。シスルの声が背を追っていたが、り向くゆうはなかった。

 思い出の泉にたどり着く。ここだけは時間を止めたように昨日と変わらない。

「なんでっ! なんであんなことしたの?」

 空に向かってさけんだ。木々がざわめき、鳥が飛び立つ。それでも叫ぶことをやめなかった。

「なんで村を焼いたの? なんでお兄ちゃんは死ななくちゃいけなかったの? 教えて!」

 叫び声が森にひびわたる。しかし、返事はない。あの山の頂から真っ逆さまに落ちてこないだろうか。なんだっていい。話がしたい。理由が知りたい。その後に殺されてしまっても構わない。もう、なにも残っていないのだから。

うそだって言ってよ……!」

 ライラの声はリオート山の頂上には届かない。いまごろルガーはのんねむっているかもしれない。声がれるまで叫んだが、彼が姿を現すことはなかった。力なく座り込む。

「ライラ、突然こんなところまできて、なにがあったの?」

 シスルのえんりよがちな声が耳に入った。彼女のことをすっかり忘れていた。

「ごめんなさい。なんでもないの」

「なんでもないなんて顔じゃないわ。お願い。私にも教えて? でも、このままはね。とりあえずえましょう。こんな格好で外にいるのは危ないわ。ちょうど、あなたにおくる予定だった服があるの。その前に身体からだも頭も洗ったほうがいいわね」

 シスルはテキパキと準備を始める。取り出したナイフで、着ていた服は破られた。ぼうぜんとしているあいだに、泉の水で全身をくまなく洗われる。気づいたときには新しい服を着せられていた。

「っ……」

 シスルの手がうでかすめたとき、初めて痛みに声を上げる。腕には、手のひら大の火傷やけどが広がっていた。辛そうなイアンの顔を思い出す。その火傷のあとは彼が最後につかんだ部分と全く同じ場所にあったのだ。

「ひどい火傷ね。薬をりましょう。足も傷だらけ」

「ねぇ、シスルさん。本当に、私が見たのは本当にルガーって人なのかな?」

「突然どうしたの? ライラが見たのは蒼い竜だったのでしょう? この世界に蒼い竜人はたった一人しか存在しないわ」

「まだ小さかった頃、蒼い竜人に会ったことがあるの。蒼い髪と瞳で……ルガーって名乗った。蒼い竜に変わったところも全部見たの。とてもやさしくて、あんなひどいことをするような人には見えなかった」

 まぶたを落とせば、いつでも思い出すことができる。あの日出会った蒼い竜人。しかし、それと村をおそった竜が同一人物には見えなかった。

「人の一面は一つとは限らない。もしかしたら、ていさつに来たのかも」

「偵察……。そういえば、私以外に人間はいるのかって気にしていたような気がする」

 あのときは、二人だけの秘密に心おどらされた。しかし、それも今日のためだったのかもしれない。のうに浮かぶルガーの優しい顔がゆがんでいく。ぶるいした。

「ライラ、うらんでは駄目よ」

 シスルの言葉にドクンッと胸がねた。この行き場のない感情を、どこにぶつけていいかわからずにいたからだ。やくさいというには無理がある。竜人の気まぐれで兄をくし、どくになったのだ。理由もわからずに「仕方ない」で終わらせられるほど、物わかりのいい大人ではなかった。こんなにも苦しいのに、リオート山は変わらずすずしげだ。

「シスルさん、どうしたら蒼い竜に会えるのかな? 私、お兄ちゃんのかたきちたい」

 右手を強くにぎめる。つめが手のひらに食い込み血がにじんだ。

 ──そうだ。お兄ちゃんが死んだのも、村がこんなになったのも、全部ルガーのせいだ。

 だから、仇を取らないといけない。それができるのはライラだけなのだから。

「仇を討つことがどんなことかわかっている? 竜人を一人、殺すということよ?」

 シスルの言葉に唇を噛みしめる。風がき、った髪の毛がれた。そこにかざられた髪飾りが視界に入る。ライラはそれを握りしめた。

 荷物の上に無造作に置かれたナイフを手に取る。

やわらかくて、れいな髪だね』

 彼のたった一言でばした髪だった。この三年間、毎日同じ髪飾りをつけた。これを見るたびに、彼がとなりで笑っている気がしたのだ。

 あのがおにすっかりだまされてしまっていた。

 ──お兄ちゃん、待っていて。絶対仇を討つから。

 結った髪をつかむと、根元から髪をつ。もう、優しい思い出はいらない。

「私、お兄ちゃんの仇を取りたい。そのためなら、悪いじよにだってなれるよ」

 かたよりも短くなった髪の毛は、はらはらと風に揺られた。

「なら、いつしよに帝都までいらっしゃい。そうしたら、仇を討つ方法を教えてあげる」

 シスルの口角がわずかに上がる。それがなにを意味するのか、わからなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界で一番甘い毒 竜王と花嫁、まやかしの恋 たちばな立花/角川ビーンズ文庫 @beans

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ