一章 炎_1

「おまえ、ぞう悪いの直んないなぁ……」

 朝食の席に着くやいなや、兄のイアンが大きなあくびを放った。明け方のことを言い当てられ、おどろきに胸がねる。あの部屋には誰もいなかったはずだ。

「えっ。お兄ちゃん、見ていたの!?」

「そんなわけあるかよ。隣の部屋からすっごい音がしたからすぐにわかったんだよ」

 イアンはおかげで寝不足だと口をとがらせた。思い出すだけで頭がズキズキと痛む。思わず後頭部を擦ると、さらにイアンがニヤニヤと視線を投げかけてきた。

「おまえ、そんなんでよめに行けるのか~? 相手はウィル様だぞ? 次期村長様。毎朝って起こすんじゃないのか?」

「うるさいなぁ~。ご飯くらいだまって食べられないの?」

 ライラは明日あした、結婚する。しかし、いまだ自分が十六になったその日に結婚するという実感を持てずにいた。

 窓から空を見上げる。雪と氷を残した大きなリオート山が空いっぱいに広がっていた。

 ヴォールの村は夏の暑さと冬の寒さを知らない。ここから南に馬で一日も走れば、大地がれるような暑さだ。そして、北に馬を走らせれば、かわいた冷たい風が吹くのだという。しかし、この村は不思議なことに常にここよい空気に包まれていた。

「また、空ばっか見て。そんなに竜人様が見たいか?」

 向かいに座るイアンが、パンの欠片かけらおのれの口の中へとほうり込む。

「そんなことないけど……」

 あの日以来、ルガーの姿を見ることはなかった。けつこんする前にもう一度だけ会いたいと、何度もあの泉へと通った。せいれいたちにも聞いてみたが、興味があまりないのか首をかしげるばかり。

「竜人様を呼べばやくさいが起こる。本来なら、名前を呼ぶだけでもおそろしいことなんだ。絶対に外では言うなよ」

 イアンが口の中に最後のパンの欠片を放り込む。リオート山は、ヴォールの村から見るとなんのへんてつもない山だ。しかし、北に向かって山の反対側にいけば、美しき山の頂に氷におおわれた大きなきゆう殿でんが見えるという。そこに、竜人が暮らしているのだ。

 村に残る伝説の中に、竜人にかかわるものがいくつか残っている。竜人が降り立ち村に厄災がおとずれるといういつや、竜人が村のはなよめをさらうというおそろしいものばかり。そのため、彼らはの対象だった。

「わかってる。……でも、厄災なんて起きないよ」

 本当は厄災など起こらない。現に、三年前はなにも起こらなかったではないか。しかし、これを知っている者はライラのほかには誰もいない。花嫁をさらうという逸話だって本当かどうかあやしいのだ。竜人は運命の人と一生げるのだと精霊たちは言っていた。小さな村の花嫁をさらう必要などないはずだ。

「なあ、覚えてるか? 三年前のこと」

 イアンの言葉にライラは首を傾げる。お気に入りの髪飾りが小さく音を立てた。

「父さんが死んで、ウィル様との結婚が決まったときのことだよ」

「お兄ちゃん……。まだ覚えてたの?」

「忘れるわけないだろ。夜になってとつぜん、『お兄ちゃんは私のこときらいなの~?』なんて大泣きするんだからさ」

 イアンは裏声で、泣きじゃくるをする。三年前のライラを真似ているのだろう。にらんだが、効果はない。それどころか、楽しそうにカラカラと笑った。

「うるさいなぁ~。お兄ちゃんはデリカシーって言葉知らないの?」

 恥ずかしさをかくすため、頬をふくらませる。彼は「悪い悪い」と言い、な顔をした。

「あんときはさ。おまえ、婚約はいやがらなかっただろ?」

「そうだね」

 わずか十三歳で結ばれた婚約は、両親をくした二人のためと村長によって半ば強制的に決められた。イアンに反対する余地はなく、決定したことを伝えられただけだったのだという。

 その事実を聞いたとき、婚約のことよりも兄から嫌われていないことにむねで下ろした。ルガーから勇気をもらわなければ、わだかまりを持ったまま結婚していたかもしれない。

「ライラはさ、これでいいのか?」

「いいってなにが?」

「なにがって、今聞くってことは結婚のことしかないだろ?」

 イアンのまゆが寄る。彼に思いめた表情は似合わない。人差し指を彼のけんにねじ込んだ。

「おいっ! 俺は真面目に……!」

「はいはい。お兄ちゃん、この結婚はとってもいい話よ。みんな言っている」

 結婚が決まった十三のころから、村のみんなに手放しで喜ばれてきた。まだ父の死を受け入れられていないときからずっとだ。

「みんなの話は今聞いてない。ライラは本当にいいのか?」

「いいもなにも、明日には結婚するの。……今日のお兄ちゃんは変。いつも変だけど」

「あのなぁ……」

「でも、別に嫌じゃないよ。ウィル様はやさしいし、明日からの水をまなくてよくなるし」

 村長のしきにはゆいいつ使用人がいる。村長は奥方共々いつもいそがしい。家のことなどしているひまがないのだ。よめりすれば村長の妻としての仕事をおぼえなくてはならない。日課であった朝の水汲みも必要なくなる。

 いいことずくめのはずだ。

 それだというのに、窓ガラスにうっすら映る顔は、かない顔をしている。

 今まで目にしてきた花嫁の笑顔はキラキラと輝いていた。それに引きえ自分自身はどうだ。

 やわらかくてれいだとめてもらったいろかみは三年間でずいぶんびた。あの日貰ったかみかざりがれる。これをつけるために、自分で髪がえるように必死で練習したのだ。随分上手うまくなったと思う。

「嫌なら、結婚なんてやめていいんだ。なんならさ、これから二人でセントルにげるか?」

「セントルって……てい? お兄ちゃん知らないの? ここからずっと遠いのよ」

 帝都セントルはこの国の中心地だ。ヴォールの村からでは早馬でも十日かる。村を出たことのない二人で目指したら、どのくらいで着くだろうか。その前にとうぞくに身ぐるみがされて終わるのがオチだ。

「ほらさ、シスルさんにお願いして同行させてもらえばどうにかなるだろ?」

「あのね~。シスルさんにめいわくだよ」

 シスルはセントルに住んでいるくすだ。彼女はヴォールにしかかない薬草のために、年に数回やって来る。薬草と引き換えに貴重な薬をわけてくれるのだ。田舎いなかの薬師では作れないような薬を作ってくれるとあって、村の人からもしたわれている。

「そういえば、シスルさん明日来るかな?」

「前に来たときに、結婚式に間に合わせるって言っていたしな。ひょっこり現れるさ」

「結婚のお祝いに、セントルで流行はやりの服を貰う約束しているんだ。楽しみだなぁ」

「でもさ、本当に嫌だったら言うんだぞ。ここじゃないとなわけじゃないんだからさ」

 イアンにはかなわない。いつも彼だけは、心の底にうずく不安や不満に気づいてくれる。子どものように嫌だと泣きさけべば、本当に手を取ってセントルまで行ってくれそうだ。

だいじよう。ウィル様のこと嫌いじゃないよ」

「好きでもないんだろ?」

「大丈夫! 結婚から始まるこいだってあるよ」

 まだ子供だから恋を知らないだけ。ともに暮らすようになれば好きになっていくはずだ。

 何度がおで「大丈夫」と言っても、イアンの複雑な顔は変わらなかった。

 ここ数ヶ月、結婚に向けた準備はしてきている。それでも、毎朝兄と話しながらの朝食がなくなるという実感がいてこない。きっと、結婚して初めての朝をむかえるまではわからないままだろう。


   ◆◆◆  


 静かな泉の前で青い石をの光にかざした。光を受けた石はかがやきを増す。

「ジァ・グ・ウィッチ」

 おまじないを受けて変化を示す。それが成功である印に、かげから小さな頭がひょっこりと顔を出した。

「ライラ!」

「ライラ、スキー!」

 飛びねた精霊は、風に乗って空高くい上がる。ゆるゆるとせんえがきながら、ライラのもとへと舞い降りた。あわてて両手で受け止めるのはいつものことだ。

「久しぶりだね」

サビシイー」

「悲シイー」

「オハナシシヨ?」

 かたうでにしがみつく彼らに笑顔をおくる。ここのところ、結婚の準備で森に入ることができなかった。こんなに日を空けたのは初めてだったので、彼らも寂しかったのだろう。

「うん。私も寂しかったよ」

 しかし、今日の目的は、ただ彼らに会いに来たわけではない。きちんとあいさつをしなければならなかった。結婚をすれば、自由に森の中に入れなくなるからだ。

「今日はね、みんなにお別れを言いにきたの」

「オカワリ?」

「ううん、お別れ。今日でみんなとはさようならしなくちゃいけないんだ」

 一方的な別れを告げると、精霊たちのつぶらなひとみがさらに丸くなった。

「サヨナラ?」

「バイバイ?」

「そう、ばいばい」

「ライラ、ヤー?」

「会イタクナイ?」

「キライ?」

 小さな瞳にたっぷりとなみだめた。静かだった泉に強い風がく。せいれいたちに呼応するように、とつぷうとなった。ワンピースのスカートがバタバタと足に当たる。

ちがうよ! 落ちついて! 私、みんなのこと大好きだよ!」

 風がピタリとみ、同時に彼らの表情も明るくなった。心なしか、髪の毛もうれしそうにふわふわ揺れている。しんちように言葉を選ばなければ。風は彼らの気持ちに呼応するのだ。

「あのね。次に会いに来るのは、とってもおそくなっちゃうかもしれないの」

「マタ会エル?」

「うん、また会えるよ。だって、私たち友達でしょう?」

「トモダチ!」

「ズットイッショ!」

 精霊たちが飛び跳ねる。嬉しそうに風に乗ってくるりと回った。

 彼らとの秘密の時間は大切なものだった。ちゆうからは会いたい人も増え、心にめる割合が増したように思う。暇さえあれば森に入った。それも今日で終わり。これが大人になるということなのかもしれない。

 気づけば髪飾りをにぎりしめていた。

「あのね、みんなにお願いがあるの」

「オネガイ?」

カナエル!」

「トモダチ!」

 精霊たちが目の前に整列を始めた。その姿が可愛かわいらしく笑みがれる。

「あのね。ルガー……。えっと、あおくて大きいのが来たら伝えて欲しいことがあるの」

「蒼イノ?」

「そう、前に一度落ちてきたでしょう?」

「大キイノ!」

「彼がまたここに来たら……」

 なにを伝えたいのだろうか。リオート山を見上げても答えは出ない。

 蒼い瞳を持ったりゆうのうよぎる。もう一度会えばこの胸のざわめきの意味がわかると思った。

「ううん、なんでもない。そうだ、今日は歌って、おどって、お話ししよう?」

「歌ウ!」

「踊ル!」

「オハナシスル~!」

 精霊たちは嬉しそうに笑った。日が暮れるまで彼らと歌い、踊り、話をした。最後の日も彼は来ない。人生ってそう上手うまくはいかないものだ。

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