序章 秘密

 だれにも言えない秘密が二つある。

 一つ目はせいれいと会う方法を知っていること。これは、幼い頃父と共有したものだった。その父も今はもういない。だから、これは誰にも言えない秘密になった。

 そして、二つ目の秘密ができたのはライラが十三歳の時だった。

「森にはじよがいるから行ってはよ」

 ここ──ヴォールの村は森に囲まれていた。大人たちは決まって「魔女が住んでいる」と子供たちをおどし、危ない場所に行くことを防いでいる。しかし、森が危ないわけではないことをライラは知っていた。

「魔女がねむっているのは、この森の先。どうくつの奥だよ」

 生前父がこっそり教えてくれたことだ。危ないのは森ではなく、その先にある洞窟なのだ。

 だから、人目をぬすんで森に入る。

 あの日も、誰もいないことをかくにんすると、気にすることなく草をき分けた。

 真っぐ進むと目的地にたどり着く。──泉だ。そこは、父に教えてもらったお気に入りの場所だった。ここに来れば、精霊に会うことができるのだ。

 ふところから大きな石を取り出す。ていねいに布を三枚も使って包んであるため、より大きく見えた。それを太陽の光が当たっている岩の上にせると一枚ずつ布をいでいく。中からは青くかがやく石が現れた。精霊に会う条件はたった二つ。この石を太陽の光に当てること。そして、特別なおまじないを唱えることだ。

「ジァ・グ・ウィッチ」

 この言葉の意味はよくわからない。父からは精霊に会うことができるおまじないだと教えられていた。

 声に呼応し石がわずかに光る。気のせいかと思うほどのあわいものだが、それがれっきとした変化だということを経験上知っていた。

 少し待っていると、岩の反対側から小さな頭がひょこっと顔を出す。目が合うとつぶらなひとみが輝き出した。

「ライラ!」

「ライラ~。見、エルー?」

「見えるよ。こんにちは」

 うれしそうに飛び上がった精霊たちは風に乗る。真っ白な鳥の羽根でできたポンチョがふわりと広がった。彼らは背中に羽もないのに自由に空を飛ぶのだ。キャッキャと楽しそうに笑って、ライラのかたや頭の上に着地した。白い雲のようなかみは、ところどころ淡く色づいている。まるでさいうんのようだ。髪型には一人一人じやつかんちがいがある。ふわふわとした不思議な質感でつい指先でさわってしまうのだ。そして、手のひらサイズの彼らは、ほとんど重さを感じさせない。

 父に紹介されてから五年。彼らは一番の友達になった。

「ライラ、今日ナニー?」

 精霊たちは次々に肩からうですべり落ち、宙でくるりと回った。器用に岩の上に着地するとそろって首をかしげる。いつしよにふわふわの髪がれた。

「歌ウ?」

オドル?」

「オハナシスル?」

 彼らと視線を合わせるために、草むらに座る。

 彼らはとても物知りで、なんでも知っているのだ。ゆっくりと、空を見上げた。大きくそびえ立つリオートやまが見える。ヴォールの村はリオート山のふもとにあった。どこからでも見える大きな山は、年中雪と氷でおおわれている。そこには、りゆうじんと呼ばれる種族が暮らしているのだそうだ。ライラはその竜人の話が大好きだった。

「ん~。そうだなぁ。今日はね、竜人のお話が聞きたいな」

「ナン、カイメ?」

 リオート山を指差すと、精霊たちはいつせいに口をとがらせる。この五年で、彼らに竜人の話をねだったのは、一度や二度ではないからだろう。

「そうだけど、いいでしょ?」

「リュウジン、大キイ!」

「空、飛ブ!」

 精霊たちは小さな腕をこれでもかというほど広げた。ぴょんっとねると、そのまま周りをくるくると飛び回る。ライラは彼らを手で受け止めた。

「竜人はつがいと一生げるんだよね?」

「リュージン、ツガイ大スキ!」

「ウンメイ! タマシイノツナガリ?」

「運命ってなんだかてき。きっと、幸せなんだろうなぁ」

 竜人と呼ばれる一族は、たった一人のこいびととずっと寄り添う種族なのだという。精霊たちはそれを運命であり、魂のつながりなのだと教えてくれる。

 言葉で説明されても想像の域をえていた。けれど、しようがい寄り添う姿を想像すれば、それが幸せでないわけがない。運命に生きる竜人は、いつしかライラのあこがれになった。

「ズット、イッショ!」

「ずっと一緒かぁ~」

「ライラ、大スキッ! ズット、イッショ!」

 精霊たちが楽しそうに跳ね上がる。勢いのまま胸のあたりにしがみついてきた。彼らの小さな手が服にしわをつくる。首根っこをつかまえて剥がし、一人ずつ岩の上に下ろしていった。

 草むらの上にあおけになって転がると、リオート山が目に入る。竜人は今、どうしているのだろうか? 愛する人と寄り添い合っているのかもしれない。

「番いかぁ~」

 いつの間にか、精霊たちはライラの上にもどってきて、同じようにっ転がる。楽しそうに歌い始める子もいた。彼らはいつもじやだ。

 彼らの存在をまんしたいと思ったことがある。村の人にとって、精霊は物語の中にいるくうの生き物だ。見たらきっとおどろくだろう。けれど、彼らの存在が知れわたると、悪い人が捕まえにくるかもしれないと、父は言っていた。精霊のために秘密は守らなければならない。

 ふと、歌声がんだ。

 精霊たちは一斉に空を見上げる。小さな手でリオート山を指した。

「クル! ッキイ!」

アオイノ!」

カクレテ!」

 精霊たちが大きな声を上げた。驚いて起き上がれば、身体からだの上にいた子たちがコロコロと転がり草むらに落ちる。しかし、笑うこともせずぴょんっと跳ねると、みんな隠れてしまった。

「えっ!? なにっ!?」

「ライラ、隠レテ!」

 精霊特有のかんだかい声がひびく。できたことといえば、岩の上に置きっぱなしの石を布で包んで懐にしまったことくらい。石を太陽の光から隠したせいで、精霊たちの声はえてしまった。

 隠れる場所を探すひまもなく、大きな音とともにみず飛沫しぶきが上がる。言葉をなくしていると、天にまでのぼる勢いの水が雨のごとく降り注いだ。髪を、服をらしていく。

 前髪からしたたり落ちるしずくぬぐいながら、泉をぎようするほかない。本当ならげ出したい気持ちでいっぱいだったが、驚きのあまりこしかしてしまったのだ。

 落ちついたはずの泉からぶくぶくとあわが立った。

 ──泉になにか落ちたんだ。

 もう一度、水飛沫が上がった。きようで固く目を閉じる。ほおすいてきが当たるのを感じながら必死に身体を小さく丸めた。

「危なかった。もう少しでちつそくするところだっ……た」

 人の声だ。聞き覚えのないそれにおそるおそるまぶたを上げる。すると、泉の中に男が立っていた。

 腰までびた蒼い髪。驚きに丸まった蒼い瞳。はだは村の人と同じ色をしていたが、耳は心なしか尖っているようにも見えた。どこか不思議なふんをまとった男だ。少し下がり気味のじりはどこかやさしげで、そして色気を感じる。年は二十を過ぎたくらいだろうか。四つ上の兄よりもずっと大人のように感じた。

 しかし、その男を見たことがない。百人程度の小さな村だ。知らない人などいないはず。彼は村のどの男とも違う雰囲気をまとっていた。

 着ている服は簡素ではあるが、どこか上品さを感じる。こんのシャツは水に濡れそぼって彼の身体の線をせんめいにした。そこに異性を感じ、思わず目をらしてしまう。

 頭からは大きな角のようなかざりが出ていた。大陸のずっと先に、けものの角を模したかぶり物をするの民族がいるという。彼はその民族の一人なのかもしれない。

「……あなたはだれ?」

 蒼いかれ、肩がふるえた。水底のように深い蒼は氷のような冷たさを感じる。

「私はルガー。ここには君以外に誰かいる?」

 ルガーと名乗った男はあたりを見回した。言葉の代わりに必死になって頭を横にる。

「そうか。よかった。もしかして、ここは君のすみかな?」

「住処? ううん、違うよ。私の家は、森を出たところ」

「そうか、それはよかった」

 ルガーは前髪がき飛びそうなほど大きく息をいた。しかし、なにがよかったのかは教えてはくれない。聞いてはいけないような気がして、口をつぐんだ。

「ごめんね。私のせいで濡れてしまった?」

 そういえばと、立ち上がり長いスカートを持ち上げた。服どころの話ではない。全身がぐっしょりと濡れている。

「家に帰ればえがあるからだいじよう、です。でも、あなたのほうが……」

「ああ、私はいいんだよ。だって、ここに泳ぎに来たんだ」

 ルガーは目を細めて笑う。くつたくのないがおに親近感がく。しかし、彼が笑ってから胸が落ちつかない。理由のわからない感情をはらうために頭を小さく振った。

 ルガーはずっと遠くから来たにちがいない。このあたりの村には、どこも川が流れている。流れも強くないため、村の者はそこで身体を洗う。小さな子供にとっては遊び場にもなっていた。

「それだけのために?」

「そう。おかしいかな?」

 そこまでする価値が水にはあると思えずクスリと笑った。ルガーは首を傾げている。その行動すらおかしく感じ、腹をかかえた。

「変。と~っても変だよ」

「そうかな?」

 もう一度首を傾げると、彼はなにも言わずに泉の中にもぐる。なにかに足を取られ、おぼれてしまったのではないか。あせって泉のへりに寄り中をのぞいた。しかし、ゆうであったというようにすぐ目の前で彼が姿を現す。泳いできたのだろう。目の前にあざやかな蒼が広がった。

 驚きに目を丸くしていると、ルガーが不思議そうに首を傾げる。

「どうしたの?」

「なんでもない……よ」

 ルガーは泉のはしに手をけていとも簡単に陸へと上がった。本当に変わっている。だって服のまま泳いでいたのだ。泳ぎづらいし、着替えだって必要になる。

「このままだと君がを引いてしまうね。人間はとっても弱い生き物だと聞いている」

 彼は一人うなずくと、口の中でなにかを唱えた。それは、せいれいを呼び出すときのおまじないによく似ている。とつぜん、二人の周囲に風がう。長いスカートがふわりと広がり、あわてて舞い上がるそれを押さえた。ライラの胸まで伸びたかみも、ルガーの腰までの蒼い髪も風におどり、空へと舞いあがる。暖かい空気が二人のあいだにうずく。風が落ちつくころには、二人の濡れた服はカラッとかわいていた。この出来事を信じることができなくて、何度も服をかくにんした。

すごいっ! もしかして、ルガーはほう使つかい様?」

 世界のどこかには、魔法使いと呼ばれる人間がいると精霊から聞いたことがある。不思議な力を使うのだとか。魔女は世界に恐怖をもたらす存在だけど、魔法使いはその力で人々を助けてくれるのだ。彼はその魔法使いに違いない。だって、不思議な力で困っているライラを助けてくれたのだから。

 しかし、彼は笑うばかりで明確な返事はしなかった。その笑顔を見て、これは聞いてはいけないことなのだとさとった。

「私がここに来たことは、秘密にしてもらえないかな?」

「……いいよ。私がここに居たことも秘密にして? 私も本当はここに来ちゃいけなかったの」

「そうか。じゃあ、二人だけの秘密だね」

 ルガーがライラの頭を優しくでる。その手が温かくて、はなれていくときさびしさを覚えた。

「君はなにをしに来たの?」

「精れ──……ううん、ちょっと一人になりたくて。ここに来ると元気になれるから」

「君みたいに小さな子が一人になりたいなんて、なにかあったのかな? 私でよければ聞くよ。秘密にしてくれるお礼だ」

 ルガーは岩の上にこしけると、ライラをとなりうながした。えんりよがちに座る。すぐ近くに彼の蒼くてれいな髪がれて、目で追った。

「十日前にお父さんが死んだの」

「それは、辛かったね」

 ぽつりとつぶやけば、ルガーの大きな手が頭を優しく撫でる。いつ振りだろうか。がしらに熱が込み上げた。こらえるために歯を必死に食いしばる。小さく頭を振るのがやっとだった。

「一人じゃないから大丈夫。お兄ちゃんがいるもん」

「お兄さんのことが好きなんだね」

「うん。でも、お兄ちゃんは私のこと好きじゃないんだ……」

「なんで? 兄妹きようだいなんだろう?」

「私、三年後にウィル様とけつこんするんだって。ウィル様っていうのは村長の息子むすこさんで。お兄ちゃん、私のこときらいだから早くいなくなって欲しいんだよ……」

 ひざを抱えて小さくなる。今朝見た兄の顔がのうよぎった。

 村長の息子であるウィルとの婚約を伝えられたのは、今朝のこと。味のないスープにかたいパンをひたしていたときのことだ。いつもヘラヘラと笑う兄が、げん悪そうに言い放った。

 ウィルは七つとしうえ二十歳はたち。ライラが十六になるのを待って結婚するのだという。

「お兄さんが君のことを嫌いだって言ったの?」

 言葉の代わりに頭を横に振った。

「なら、かんちがいかもしれない」

「嫌いじゃないなら、なんでこんなときに婚約なんて言うの? 私ね、スープもまともに作れないし、の水もうまく引けないの。こういうの、オニモツって言うんだって、村の人が言ってた……」

「私はお兄さんではないからわからないな。でも、なにか理由があったんじゃない? そういうときこそちゃんと話をしたほうがいいよ。たった二人だけの家族なんだろう?」

 ルガーが目を細めて笑う。優しい笑顔に気づいたときには頷いていた。

「でも、聞いてみて『嫌い』って言われたらどうしよう……」

 ライラにとって兄がゆいいつの家族だ。村の中にしんせきはいるものの、たよるわけにはいかない。それでなくても、母がくなった小さなころからずいぶんめいわくをかけていた。父が病気でたおれた時もだ。父や兄が親戚に頭を下げていたのは、一度や二度ではなかった。

 これ以上誰かのやつかいになるわけにはいかない。

 ぎゅっとスカートをにぎりしめる。

「私は直接力になれないけど、おくびようなおじようさんには、勇気をあげよう」

 ルガーは、自身の長い髪を留めていた飾りを外す。右耳の下で留められていた髪が、風に吹かれて広がった。

「さあ、後ろを向いて」

 言われるがまま背を向ける。彼はライラの頭をひと撫ですると、髪を器用にっていく。ほおに熱があがるのがわかった。同じ年頃の女の子はみんな、髪を綺麗に結っているのだ。小さな頃母を亡くしたライラに、その方法を知るすべはなかった。いつも、びた髪はくしでとかす程度しかしていない。今になってずかしく思えて、行き先のない手で何度も前髪をいじった。

やわらかくて、綺麗な髪だね」

 ルガーは鼻歌交じりに髪を結う。一本に結った髪の先に髪飾りをつけた。

「おしまい。これで、今日はお兄さんと話ができるよ。ちゃんと、なおな気持ちを言うんだよ」

 大きな手が再び頭を撫でる。それだけで、勇気が湧いてきそうだ。視界の端で髪飾りが揺れる。銀の輪のような髪飾りは、見たこともない小さな石が数種類め込まれている物だった。その輪から同じ銀でできた飾りが何個もぶら下がっている。髪が揺れるたびにシャラシャラと音が鳴った。

「ありがとう……」

「どういたしまして。それじゃあ、そろそろ帰ろうかな」

「もう行っちゃうの?」

 もっと話がしたい。こんな気持ちになるのは初めてだ。しかし、ルガーのほうはあっさりしたもので、一つ頷くと空を見上げた。

むかえが来ると、秘密にできなくなってしまうからね」

「じゃ、じゃあ。また会える? これのお礼がしたいの!」

「どうだろう? 近くに住んでいるからまた会えるかもしれない」

「この近くに住んでいるの? 会いに行っちゃだめ?」

 ルガーはあいまいに笑う。きっと、聞いてはいけなかったことだったのだ。こうかいが渦巻いて、髪飾りを握りしめる。

「ばいばい。可愛かわいいお嬢さん。そのかみかざりはあげるよ」

 彼はがおで手をると、もう一度空をあおいだ。突然、強い風がれる。暴れる髪とスカートを押さえた。そうしている内に、ルガーの姿は消えて大きなあおい鳥が現れる。違う。鳥じゃない。これは──りゆう

 竜はすぐに飛び立った。山の頂上に向かって一直線に。彼の残した強い風を受けながら、ただその姿を見送るしかない。

「……お嬢さんじゃないよ。私の名前はライラだよ」

 小さくなる姿を目で追いながらつぶやいた。風が落ちついて泉にへいおんもどる。頭に感じた彼の存在を探すように何度も頭を手でさすった。


   ◆◆◆  


 ふいに、視界がぐにゃりとゆがむ。

 突然のゆうかんにぎゅっと目をつぶった。

 ガンッともゴンッとも取れる音がこだまする。目の奥で星が飛んだ。奥から押し出されたなみだぬぐいながらまぶたをあげると、視界に広がっていたはずの森はなくなっていた。代わりに、四角く切り取られたリオート山が見える。

「……ったぁ……夢かぁ」

 頭がズキズキと痛む。すぐ隣にはベッドのあし、真っ直ぐ先には見慣れたてんじよう

 頭を擦りながら起き上がった。窓の外はまだうすぐらい。

 随分と昔の夢を見ていたようだ。三年くらい前だろうか。外で隣の家のにわとりが現実だとさわぎ出す。のろのろと部屋のすみのテーブルまで行くと、小箱を取り出した。ふたを開ければ、石が月明かりに照らされて、青くかがやいている。

 ──こっちは現実。

 彼のひとみによく似た石。特別な物だ。

 だれにも言えない秘密が二つある。

 一つ目は精霊と会う方法。二つ目は蒼い竜と会ったことがあること。

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