第9話 幸福脳の王子②


「あの、今日はお礼を言いに来ただけだし、それにまだ二回しかお会いしていませんけど」


 その上、わたしは貴代由麻などという社長令嬢でもない。わたしはこの世に何一つ不都合などないかのようなこの青年に、なんと言って断るべきか思案を始めた。


「本当は昨日、申し込もうと思ったんですが、さすがに二回しか会っていない状況では不躾と思って。……いかがです?」


「あの、わたし、失礼ですが刑部さんのこと、何一つ存じ上げないんですが。確かに、危ないところを助けて頂いたことには感謝しています。でも……」


「由麻さん」


「はい」


「ひょっとして僕のことが嫌いなんですか?」


「いや、嫌いも何も……」


 わたしは返答に窮し、押し黙った。優馬の口調には奇妙な吸引力があった。なにもかもするりとかわし、自分のペースに引きこんでしまうのだ。


「ショッピングモールの駐輪場でお会いした時、僕はすぐにあなたを気に入りました。あなたが僕を嫌いでなければ、問題は一瞬で解決です」


 わたしは混乱した。嫌いじゃなくても、いろいろと問題はあるだろう。だが、どの問題を口にすれば納得してもらえるのか、考えれば考えるほどわからなくなってくるのだった。


「あの、とりあえず保留にさせてください。あまりに突然で……」


 わたしはそう答えるのが精一杯だった。恐らくこの答えは永遠に保留となるに違いない。


「そうですか……急に答えを迫られても困る、というわけですね。了解いたしました」


 優馬がにこにこ顔のまま言うと、それが合図だったかのようにデザートが運ばれてきた。


 わたしはベリーのアイスクリームをそそくさとたいらげると、そっと身支度を始めた。この調子では結婚式場の予約までされかねない。


「あの、今日はこんな素敵なお店にご招待いただいて、ありがとうございました。父が心配するといけないので、わたしはこれで……」


 わたしがナプキンをテーブルに置き、腰を浮かせかけたその時だった。優馬が笑みを口元に残したまま、何かをテーブルの上に出した。


「…………?」


「お近づきの印に、これを差し上げます。祖母からもらったものなんですが、ぜひあなたに貰っていただきたい」


 優馬はそう言うと、誰でも知っているある形状の箱をわたしの前に押しやった。


「どうしてこれを……」


 無言の圧力に負けて箱を開けたわたしは絶句するとともに、思わず問いを放っていた。

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