第8話 幸福脳の王子①


「貴城由麻様ですね?お待ちしておりました」


 三つ揃えのスーツに身を包んだ驚くほど背の高い外国人男性は、流ちょうな日本語でわたしの『ミッションネーム』を呼んだ。


「あの、刑部さんにご招待を受けたのですが……」


 おずおずと切りだしたわたしに、外国人男性は「もういらっしゃってます。こちらのお席へどうぞ」と店の奥へ促すしぐさをした。


「やあ、待ってましたよ。どうぞ遠慮なく」


 アールヌーヴォー風の意匠を凝らしたランプシェイドの下でわたしを待ち受けていたのは、白いスーツに身を包み、貴公子然とした笑みを口許に湛えた優馬だった。


「いやだわ、ちょっとお礼を言うだけなのにこんな高級なお店……」


 わたしが『パパ』に誂えてもらった装備、イタリア製のバッグを膝に置きながら言うと、とぼけた貴公子は「高級ですか?そうかなあ」と意外そうに返した。


「ここは父が顧客と商談をするために使っている会員制のバーなんです。僕にとっては遊び場みたいなものなので、どうかお楽に」


 優馬がそう言うと、わたしを出迎えた壮年の男性が、恭しい所作でグラスを運んできた。


「あの……わたし、未成年なんですけど」


 グラスにボトルの中味を注ごうとした男性を手で制しかけると、男性は低い声で「ミネラルウォーターです」と囁いた。


 間近で見ると男性の顔立ちはドキドキするほどエキゾチックで、店の内装とも相まって外国の物語に紛れ込んだかのような錯覚を起こさせた。


「では、再会を祝して乾杯といきましょう」


 優馬がそう言って掲げたグラスに、わたしは気後れしつつ自分のそれを合わせた。一応、テーブルマナーらしきものも習得させられているが、優馬の所作はわたしとは比べ物にならないほど自然で、板についていた。


「大したものは用意できませんが、良かったら召し上がって下さい」


「いえ、わたし夕食は済ませてきたので……」


 どんどん話を進める優馬に、わたしの調子は狂う一方だった。いったいこの人はどういう人間なのだろう。礼を述べに来ただけのつもりが、逆にもてなされている自分に驚きつつ、わたしは薦められるまま、気がつくと料理に手をつけていた。


 饗された品はトリュフソースがかかった卵料理や香草をあしらったソテーなど、『偽令嬢』のわたしでも口にしたことがあるような料理だったが、膨らみのある味は舌に触れた途端、馥郁たる香りが鼻腔を満たし、いっときわたしを夢心地にさせた。


「いかがです?お口に合いましたか?」


 わたしは「ええ、もちろん」と控えめな感想を口にするのが精一杯だった。これが口に合わない人がいたとしたら、美味そのものを受け付けない人間だろう。


「よかった。実はここへあなたをお招きしたのには、訳があるんです」


 食事の手を休めたとたん、いきなりそう切り出されたわたしは思わず身構えた。確かに料理の味は格別だったが、何かの交渉となるとまた話は別だ。


「貴代さん」


「はい」


「僕とお付き合いしませんか?」


「は?」


 わたしは一瞬、頭の中が疑問符で埋め尽くされるのを意識した。この貴公子は一体、何を言っているのだ?

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