第7話 挙動不審の王子
「ええっ、じゃあやっぱり工事の人じゃなかったんですね?」
美貌の自転車泥棒は、わたしの説明を聞くと飛びあがらんばかりに驚いた。
「お蔭で、助かりました。家にはわたし、一人だったので……」
今さら取り繕うのも何だなと思いつつ、わたしはミッションが遂行された場合を想定して『令嬢』然とした口調に努めた。
「それじゃもしかすると、僕が声をかけなかったらあなたは危なかったかもしれないんですね?……ああ、良かったあ」
自転車泥棒から命の恩人に昇格した男性は、美しいがどこか間の抜けた顔に安堵の身を浮かべると、大げさに胸をなでおろした。
「まさか家の前であの時の方と再会するとは、思いませんでしたわ」
わたしは礼を述べつつ、次第に気が急くのを感じていた。やっと近所への地ならしが済んだところなのだ。あらぬ噂が立つのはなんとしてでも避けねばならない。
「あ、いや、実を言うと、偶然じゃあないんです」
善人そのものの顔でしれっと言い放つ男性に、わたしは一瞬、恐怖に似た感情を覚えた。
「偶然じゃないって……まさか」
「あ、いえ、後をつけたとかじゃあないんです。ただ昨日偶然、近くで姿をお見かけして、声をかけようと思っているうちに見失ったもので……」
「それで、この辺りを自転車で走り回ってたんですか?」
「ええ、まあ……でもお蔭でお宅を見つけることができました」
まるで悪びれる様子のない男性に呆れつつ、わたしはまずいな、と思った。特定の人間に家を知られることは、ミッション遂行の障害となる。わたしは咄嗟に一計を案じると、『令嬢』然とした笑みをこしらえた。
「あの、実はうち、父が厳しくてあまり男の方と話したことがないんです。事情を知らない人に見られて変な噂が立っても困りますし、このくらいで失礼させてくださいな」
わたしが眉を寄せ、さも困ったような口調で言うと、男性はにこにこしながら「そうですか、わかりました」とあっさり応じた。
「では父の経営する店にご招待します。そこなら人目を気にせずゆっくり話せますから」
「……は?」
混乱するわたしのことなど一顧だにせず、男性は尚も畳みかけた。
「それでは明日の夕方、五時ではどうでしょう。場所は……そうだ、僕の名刺をお渡しします。ブログのアドレスが載っているので、そこを見てください」
男性は別人のような饒舌さでまくしたてると、有無を言わさずわたしに紙片を寄越した。
「あの、わたし五時には帰宅していないと怒られるので……」
わたしは思わず『実家』の門限を口走っていた。なんとも調子が狂う人物だ。
「五時だとまずいですか?では土曜か日曜のお昼頃ではどうでしょう」
「……いえ、夕食さえ摂ってしまえばあとは自由なので、七時以降にして下さい」
「…………」
わたしはそう言い放つと、ふっと肩の力を抜いた。とにかくこのあたりで噂が立たなければいいのだ。『令嬢』のイメージは崩れるかもしれないが、ミッションの間、この男性さえ口止めできればそれでいい。
「わかりました。それでは七時にしましょう。……あ、申し遅れましたが、僕は刑部優馬。大学院生です」
男性は今気がついたというように名乗ると、再び緊張感のない顔に戻った。わたしは何気なく男性の乗ってきた自転車に目をやり、はっとした。
確かに作りはわたしのものとよく似ている。……が、あちこちに妙な形状のパーツが装着されており、普通の自転車でないことは素人のわたしにもすぐわかった。
「それじゃあ、また。……あ、ここが『ユマクラ』の社長さん宅だってことは友達にも言いませんので、ご安心を」
「えっ?……どうしてそれを」
刑部優馬と名乗る青年は自転車に跨ると、呆然と立ち尽くすわたしの前から瞬く間に姿を消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます