第6話 かりそめの令嬢
「どうだね、今度の『実家』は」
二十畳は軽くあると思われるリビングの中央で、恰幅のいい『父親』が言った。
「素敵。よくこんなお屋敷見つけてきたわね」
わたしは作り付けの暖炉の間で、くるくる回りながら言った。
「なかなかほどよく古びた物件がなくてね。新しい建物を経年加工したんだよ。まるで長年、住み慣れた我が家のようだろう?」
口調に適度な下品さをにじませつつ、プレジデント多羅尾は得意げに胸を逸らせた。
前回のミッション時はスマートな『父親』だったが、今回はいかにも成金と言った風情だ。コンセプトに応じて別人に変身できる多羅尾のプロフェッショナルぶりにわたしは内心、舌を巻いた。
ちなみに今回のコンセプトはネットを中心に展開する架空のアパレルブランド『ユマクラ』の代表取締役という設定だ。
「お前はこの家で社長令嬢として育ったのだから、そのつもりで馴染んでもらわないとな」
「でもそんなブランド、聞いたことないけど……うまくいくの?」
わたしが質すと、『父親』は不服そうに眉を寄せた。
「口コミで人気が出たという設定なのだが、まだまだ周知が足りないか。いかんな」
「駄目ね。パパ。そう言う時は「なんだ、パパの会社も知らないとは嘆かわしいぞ」って言わなくちゃ。敵が盗聴してたらどうするの?」
わたしの指摘に『父親』は一瞬、目を瞬かせると「ふむ、やられたな」と返した。
「そのぶんだとお前もすぐ、『令嬢の母』ができるようになるだろう」
「それはどうかな。敵を憎む気持ちが強すぎて咄嗟に「億なんて出さないわ」って言うんじゃないかしら」
わたしが冗談めかしていうと、『父親』は「なるほど猛々しい姫君だ」と感心したように頷いた後「この分だと当分、王子さまは現れんな」と付け加えた。
「そうね。しばらくは一人がいいわ。王子様の身をを守りながらなんて、戦えないもの」
わたしの冗談にひとしきり笑った後、『父親』はしょうがない娘だとでもいうように眉を寄せた。
「じゃあ、私はミッションの準備があるのでこれで行くよ。鍵を渡しておくから、どこになにがあるかよく見ておくといい」
『父親』はそう言ってわたしに邸宅の鍵を手渡した。主の姿が消え、静まりかえった家の中を、わたしはぐるりと一通り見て回った。広い浴室、ブティックと見紛う大きさのウォーキングクロゼットなど、急あつらえにしては過剰なほどの生活感が、住居のそこかしこから滲み出ていた。
これらすべてが、一回分のミッションのためだけにしつらえられたのだと思うと、わたしは『青髭』の執念に身震せずにはいられなかった。
――それじゃあ、ひとつわたしも『令嬢』の暮らしを味わってみるとするか。
わたしは二階に上がると、わたしの部屋という設定の一室に足を踏み入れた。ピンクと白で統一された室内には、輸入品と思しき大きなドレッサーとクロゼットがしつらえられ、空いたスペースにベッドを置いてもまだパーティーが開けるほどの余裕があった。
わたしはベッドに寝そべると、部屋の主になったつもりで深く息を吸った。そのまま目を閉じて高級マットレスの弾力を味わっていると、ふとどこかから金具をいじるようなかちかちという音が聞こえてきた。
――なんだろう。この音には聞き覚えがある。
そう察した直後、わたしの中で警戒警報が鳴り響くのがわかった。わたしはベッドの上で上体を起こすと、周囲を見回した。次の瞬間、わたしの目はカーテン越しの窓に、動く物の影を捉えていた。
――あれは『毒鼠』だ!
わたしはベッドからはね起きると、とっさに身身構えた。毒鼠とは『王虎塾』で養成している末端の情報収集要員だ。敵対勢力に関係していると思われる施設などに侵入するのが主な任務だが、必要が生じれば戦闘、殺人もいとわないたちの悪い連中だ。
――もうここを嗅ぎつけたのか?
わたしは敵の情報収集力に舌を巻いた。いったん怪しまれてしまったらもう、この建物は使えない。別の物件を探すか、作戦を最初からやり直すかしかなくなるのだ。
とにかく、今は目の前の相手を何とかしなければならない。わたしは自分の身体をそっと掻き抱き、体の奥深く眠る『六人のわたし』に呼びかけた。……だが、わたしの中のわたしたちは呼びかけに反応することなく、わたしは自分の『力』が使えないことを悟った。
――まずい、これじゃ相手が中に侵入して来ても、戦えないわ。
わたしは両手を顔の前にかざし、拳を握ったり開いたりした。わたしの手にこれと言った変化は起きず、わたしは『放電』も『炎の鞭』も使えないという状況に改めて戦慄を覚えた。
どうしよう、何か武器になるものはない?そう念じつつ周囲を見回した、その時だった。かちんという何かが外れるような音がして、窓のサッシが動く音が聞こえ始めた。
――来た!
カーテンの向こうで蠢く黒い影を、わたしは威嚇するように睨みつけた。あんな末端の工作員くらい、この場で黙らせてやる――不安と混乱の中でそう決意した、その時だった。
「どうかしましたかあっ」
突然、窓の外で男性の声が聞こえ、黒い影がびくんと身体を硬直させるのがわかった。
「何かの、工事ですかあっ」
わたしが呆然としていると、声の主はさらに問いかけを続けた。すると黒い影は侵入をあきらめたように突然、目の前からふっと姿を消した。
「うわ、消えたっ」
窓の向こうでいきなり間延びした叫び声が響いたかと思うと、急に外が静かになった。
わたしはそろそろと窓に近づくと、恐る恐るカーテンを開けた。窓越しに往来を透かし見ると、玄関前の路上に自転車を停めてこちらを見上げている男性の姿が見えた。
――あっ。
男性と目があった瞬間、わたしは思わずそう声を上げていた。わたしを窮地から救ってくれた『王子』は、数日前にわたしの自転車を盗もうとした、とぼけた人物だったのだ。
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