4話 父のような人

「あら、どこか行くの?」


 出かけようと靴を履いていた時、表の掃除をしようと箒を持っている母と遭遇した。


「うん、小森さんの所に行こうと思って。小森さんに警察学校を卒業した後、どこに配属されるか教えるって約束してるの」


「そうなのね。遅くならない内に帰ってきなさい」


「分かってるよ」


 今日は月曜で、平日。香奈や奈緒は学校に行っており、家にはいない。


 私は小森さん……父と母の友人でありよく通っていた喫茶店の店長さんに報告がてら、会いに行くことにした。この機会を逃してしまうと当分会えないと思うからね。


 家を出て数分した所にある、レトロな昭和の雰囲気が漂うまだ新しい喫茶店が見えてきた。


――チリン、チリン


 扉を開けると耳なじみの良い鈴の音が鳴った。


「あ、夜霧ちゃん。いらっしゃい」


「こんにちは」


 喫茶店に入ると中は客が少なく、私に気づいた小森さんは声をかけた。


 カウンターの内にある作業スペースからひょこっと顔を出す小森さんと話すため、私はいつものカウンター席に座り、お茶を頼んだ。


 眼鏡をしており、優しそうな雰囲気の漂う小森さんは、父のような温かさを持っている。


「ここにいるってことは警察学校を卒業したのかな? 少し早いじゃないか」


 コップにお茶を入れながら、疑問そうな顔をしている小森さんにすぐに返答した。


「それも含めて報告しにきたの」


「そうなんだね」


 小森さんこと小森八郎こもりはちろうさんと出会ったのは父の葬式だった。


 元々小森さんは別の場所で喫茶店をしていたらしいけれど父の死を境にこの場所へ喫茶店ごと移ってきたそうだ。


 父と小森さんは大学の友人で母とも親しかった。


 ここで父と母の馴れ初めをこっそり聞いたり、珈琲の淹れ方や、ここで少しアルバイトさせてもらったのも今となっては懐かしい思い出だ。


「どうぞ」


「ありがとう」


 並々に注がれたお茶を少し飲み、私はお客さんに聞こえないように小声気味に小森さんに話をした。


「小森さん私ね……夜間警察に配属されることになったの」


「夜間警察って、あの夜を専門に活動している夜警のこと?」


「うん。そこに配属されることになったの」


「それはまた……凄い所に配属されることになったね」


 驚いたような顔をしている小森さん。夜警自体人数も少ないし、私がなると思っていなかっただろう。


 それに小森さんは私が警察官を志望した動機や、理由をよく知っている。


 だからこそ、夜警に配属されたことに驚きを隠せていないし、何なら少し動揺しているようにも見える。


「父さんと同じ部署にはなれないけど、自分なりに夜間警察で頑張ろうと思うの。今日はそれを報告しに」


「なるほどね。夜霧ちゃんには夜霧ちゃんの道があるからね。必ずしも、竜伍と同じ道を辿らなくていいんだよ」


 竜伍りゅうご、それは父の名前。


 小森さんは父が亡くなって、母の前で泣けなくなった私をよく慰めてくれた。父のような寛容な心で私に接してくれた。“第二の父”昔小森さんにそう言うと少し悲しそうな顔で喜ばれたのがまだ記憶に新しい。


「私が夜間警察官になると必然的に実家を空けることになるの。その間、香奈や奈緒母さんのこと、また頼めるかな?」


 私がこの喫茶店に通って、色々なことを学んだ。それにここには最大の理解者、小森さんもいる。だから、香奈や奈緒もここへ通わせている。


 母が仕事でいない時や何か母に話せないことができたりするとそれを小森さんに相談するように、と物心ついた頃から言い聞かせていた。


 二人にとって、あまり記憶や思いでのない父より小森さんの方が父らしい、と認識しているだろう。これは仕方ないことだ。二人はまだ小さかったから、父さんのことを疎らにしか覚えていない。


 眉間の寄り、子供からすれば少し怖いあの顔も、不器用そうに頭を撫でてくれるあの優しい手も……二人知らない。


「構わないよ。あげはちゃんも今の仕事を辞めてここで働けばいいのにね。ここなら家からも近いのに」


「母さんは父さんが生きていた時の仕事を辞められないんだと思うの。仕事のことで悩んでた時いつも父さんが相談に乗っていたから……」


 専業主婦でいいのにな、と一度だけ私の前で本音を零したことがある父さん。だけど母さんの前でその本音言ったことは一度もなかった。仕事の相談を受けたり、時には励ましたり。それと見ていたからこそ、言えなかったのだろう。


 父さんは母さんの意見やしたいことを尊重したかったからだろう。大人になってあの頃と違う父から母への想いが分かる。


 だからこそ、母さんは父さんが死んで動揺が隠せなくて、父さんが殺されたことを覚えてないのだろう。


「竜伍が死んで、もう五年か。いつまで経っても忘れられないよ、あいつのことを」


 遠い目をしながら珈琲を淹れている小森さん。それは違うよ。


「忘れられないんじゃなくて、忘れたくないの。私や香奈、奈緒それと母さんにとって“家族が死んだ”って事実はいつまで経っても変わりなくて、深くとても深く胸に刻まれてるから、それであって忘れたくないの」


 忘れたくないけれど乗り越えないといけない。


 大切な人を残して逝ってしまうのは絶対に嫌だなぁ。私は残された悲しみを誰よりも知っているから……


「小森さん。私の大切な家族のことをよろしくお願いします」


 椅子から立ち上がり、小森さんに向けて深く頭を下げた。


「そんなのいいよ! あげはちゃんや竜伍の家族を見守りたいと思ったのは自分の意思だからね。誰かがこんな僕を頼ってくれるのはとても嬉しいよ」


 そう言った小森さんの顔は、嬉しそうだった。小森さんはいつの間にか父の死を乗り越えていたらしい。


「それでは帰ります」


「あ、夜霧ちゃん待って」


「どうかしたの?」


 小森さんは急いだ様子でバックヤードに行き、紙のような何かを持って作業スペースを出て私の目の前に立った。


「両親が亡くなって実家を片付けていた時にたまたま見つけたんだ。これをあげはちゃんに渡してくれるかな?」


「これ……」


 小森さんから渡されたのは三枚の写真だった。


 そこには若かりし頃の父や母、小森さんの三人が満面の笑みで写っている写真。


 眉間に皺が寄っている見慣れた父と少し頬を染め、照れた様子の小森さんが写っている写真。


 そして先ほどの小森さんと似たような、少し照れた様子の父とそれをからかうような母が写っている写真の三枚だった。


「あげはちゃんはきっと、昔の写真を実家の火事で失ってるはずだから見つけられて良かったよ。必ず渡してね」


「はい」


 父の昔を見れたことが嬉しかったのか、母に父の昔の写真を渡せることが嬉しかったのか、心の奥が温かくなる。


 そんな私をにこやかな笑みを見ている小森さんに深く頭を下げ、代金を払い喫茶店を出た。



「おかえりなさい」


 家へ帰ると掃除を終え、ソファに座りのんびりしている母が見えた。


「八郎くんとは何を話したの?」


「夜間警察に配属されるってことと香奈や奈緒のことをお願いって。それと小森さんから母さんへこれを渡されたの」


「これっ」


 私は母さんに小森さんから渡されたあの三枚の写真を渡した。


 するとみるみる表情が変わり、顔が少しずつ破顔していった。


「小森さん、実家を片付けてたらたまたま見つけたんだって。母さんは実家の火事で写真が残ってないはずだから是非って」


 母は三枚の写真を持ちながら泣いていた。


 父や母の昔の写真はは結婚後しか残っていなかったのに違和感を覚えていたのはここで解決された。


 記憶の中でしか残っていない大学時代の父を現実に残せるってことが嬉しいのか。はたまた、薄れている大学時代の父を思い出せたのか、何で泣いているかは分からない。


 だけど感動しているではなく、悲しいことで泣いていることはたしかだった。


 そんな母を見て、再び心の奥が温かくなる。


「私、八郎くんにお礼言ってくるわっ」


 そう言って家を飛び出していった母の顔は少しすっきりしているようだった。

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