何も言わない優しさ ④

 マナブは眉間にシワを寄せて考え込んでいるユキの頭をそっと撫でた。


「一人で不安ならオレがついてくから。それならいいか?」

「……考えとく」

「大丈夫だから、そんな不安そうな顔すんな。念のため、八代さんにもちょっと話聞いてみる。早いとこ手を打たないとな」


 そう言ってマナブは、新しいグラスにビールを注ぎ、ユキに手渡した。


「ホラ、おごってやるから元気出せ」

「ありがと」

「な、オレめっちゃ優しいだろ?」

「はいはい。優しいね、マナは」


 ユキは笑いながら冷たいビールを喉に流し込んだ。

 マナブは他の客の注文を受けてカクテルを作り始めた。

 出来上がったカクテルを客のテーブルに運んで戻ってくると、マナブはカウンターの中で小さく声をあげた。


「どうしたの、マナ?」

「そうだ。もうひとつ肝心なこと忘れてた」

「肝心なことって?」

「いや……ちょっとな。常連客と八代さんから聞いた話、思い出したんだけど……もうちょっとハッキリしたことがわかったら話す」

「ふーん……?」


 マナブが口をつぐんだのがなぜなのかはわからないけれど、いい加減なことは言えないと言うことなのだろう。

 それが一体なんの話なのかは気になったものの、ユキはあえて何も聞かなかった。


 その後、マナブはユキを自宅まで送り届けた。

 今の段階では『もしかしたら』としか言えないが、いつ何が起こるかわからない。

 アキラがユキのそばにいない今、自分がユキを守らなければとマナブは思った。




 2日後。

 その日最後の届け先への配達を終えて配送車に戻ろうとしたアキラは、配送車のそばに人影を見つけた。


(ん……?誰かいる?)


 近付いてみると、その人は顔を上げてゆっくりとアキラの方を向いた。


「ようアキ、お勤めご苦労さん」

「マナ?なんでこんなとこに……」


 マナブは意地悪く笑いながら、アキラの背中を叩いた。


「誰かさんが約束すっぽかして、オレからの電話シカトすっから待ち伏せしたんじゃん」

「あー……悪い……」

「なんてな。偶然アキの会社の車見つけたら、後ろのネームプレートにアキの名前が書いてあったからさ。最近顔見せないけど、どうしてんのかなと思って」

「うん……」


 笑って話すマナブに対し、アキラは重苦しい表情を浮かべてうつむいた。

 さすがに心配になったマナブは、真剣な顔でアキラの肩を叩いた。


「暗いな、アキ……。なんかあったのか?」


 マナブはどことなく疲れて見えるアキラの様子を窺った。


(アキ、なんかやつれたか……?)


 アキラは力なく首を横に振る。


「なんもねぇ……。ちょっと忙しくてな……」


 何もないとアキラは言うけれど、とてもそうには見えない。

 アキラは何か言いたそうなのに、無理してそれを隠しているとマナブは思う。


「なぁアキ、今日久しぶりに店に来いよ」

「あー……今日は無理かも……」

「なんで?予定でもあんのか?」

「今日は、って言うか……毎日無理かも」


 目をそらして答えるアキラを怪訝に思い、マナブはアキラの背中を思いきり叩いた。


「何が無理なんだよ。そんなのおかしいだろ?無理なら無理でちゃんと理由言え」


 アキラはうつむいてため息をついた。


「わかった……。今日、なんとかして時間作って行く」


 この間までは頻繁に店に飲みに来ていたのに、なんとかしないとその時間を作れないような理由はどこにあるのか?

 どう考えても普通じゃない。


「なんとかして……って……。やっぱおかしいぞ。今すぐ理由言え、何隠してんだ」


 マナブが強い口調でそう言うと、アキラはまたため息をついて、観念したように口を開く。


「……自由がない」

「え?」

「仕事終わって家に帰るだろ。そしたらさ……部屋の前でカンナが待ってんだよ、毎日……」

「毎日?!」

「休みの日は朝から部屋に来て晩までいる。この日が休みだって教えてなくても、なんでかわかんねぇけどカンナは知ってんだ」


 マナブの背筋に冷たいものが走った。


「それ異常だろ……。おかしいとは思わねぇのか?」

「なんで知ってんだって、最初は思ったけどな。カンナと一緒にいるって言ったのはオレだし……もういちいち気にするのも疲れた」


 何かに取り憑かれたような覇気のないアキラの様子に、マナブは唖然とした。

 少し前までのアキラからは考えられない。


「ちょっと待て、アキ。ちゃんと詳しく話してくれ」

「話せば長くなるし、オレまだ仕事中だしな。とりあえず営業所に戻らねぇと」

「そうか……。じゃあ、今日は会社から直接店に来い。カンナには会社の同僚の送別会があって飲みに行くとでも言っとけ。わかったな?」

「わかった、そうする」


 アキラは素直にうなずいて、配送車に乗って去っていった。

 マナブは店に向かって歩きながら、先ほどのアキラの様子を思い出して身震いした。


(アキのやつ、かなりヤバイぞ……。あんな虚ろな目ぇして……。なんとかしないとアキが壊れる……)




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