第10話 勇敢なる小型犬
大堀は、知田と一緒に廊下に出された。本番が終わった瞬間、足元がぐらぐらとして気分が悪かった。寝不足や食欲不振が続いている。体力など、もうほとんど残っていない。こうして立っていられるのは、気力——それに尽きる。
廊下の窓辺に躰を預けると、少し離れたところに立っている知田が「おい」と声をかけてきた。
もう怖がる気力もないらしい。脱力をしたまま、そっと知田に視線をやった。
「なんですか。知田さん」
知田は忌々しそうに大堀を見ていた。
「あれは、お前一人の考えではないだろう? あんな。アイデア。嘘だ。あのクズな大堀が。そんなこと、できるはずないんだ……」
知田はぶつぶつと文句を言っている。その様子を見ていると、なんだか馬鹿らしくなった。
この男の世界はきっと、狭いのだ。小さい世界で生きている。この大きな市役所という中で、いつまでも大堀に執着しているのがその証拠ではないか——? 大堀はそう思った。そう思ってしまうと、なんだか馬鹿らしくなったのだ。
——こんな男を怖がっていただなんて。なんだかバカみたいだな。
大堀は「……だったら、なんなんですか」とぶっきらぼうに言い返した。すると、知田は焦燥感に駆られたような表情を更に険しくして、語気を荒上げた。
「卑劣な。不正だ! そんなものは——」
「誰かに協力を求めてはいけないなんて
今までだったら、声も震えてまともに会話なんてできるはずもなかったのに。
「はあ? お前さ、本当生意気だよな!」
知田はかなり苛立っている様子が見受けられる。しかし、すごまれても怖いという気持ちはわかなかった。大堀は膝に力を入れて、姿勢を正す。それから顔を上げて彼を見据えた。
「人のプレゼンテーションにケチつけるわけではありませんが、知田さんのやり口は変わっていませんね」
「はあ?!」
「あの頃と同じ手法だ。馬鹿の一つ覚えじゃないんだ。成長されたらいかがですか?」
「お前っ!」
——殴られたって構わない。もう怖くなんてない。だって、おれにはみんながいるんだから……。
近寄ってきて、手を上げる知田。大堀は目を逸らすことなく彼を見返した。
「あなたには散々馬鹿にされて、人格否定されるようなことばっかり言われました。けど、おれは負けません。あなたみたいな卑劣な人には屈しない。絶対に!」
いつもおどおどと、捨て犬みたいに耳をぶるぶる震わせていた子犬の自分ではないのだ。今なら、どんな大型犬にだって、果敢に挑むことができる。大堀の視線に、知田は一瞬怯んだようだ。一瞬の間——。と、不意に会議室の扉が開いた。
「お二人とも中へどうぞ。結果をお伝えします」
天沼は、二人の様子から、トラブルが起きていることを察知したのか。きつい声色だった。知田は「ち」と舌打ちをする。大堀は内心ほっとしていた。
——殴られたって構わないとは言え、本当に殴られるのはごめんだもんね。
天沼に促されて、知田に続いて大堀は会議室に足を踏み入れた。保住と視線が合う。彼はまっすぐに自分を見ていた。
市長の安田が笑顔を浮かべて二人を迎えた。
「お二人とも、有意義な時間をありがとう。私は市長として、きみたちのような素晴らしい若者が市役所職員としていてくれることに感謝します。どちらも素晴らしく、どちらも採用! と言いたいところなんだけど、澤井くんがダメって言うからね」
彼はペロリと舌を出して愛想笑いをした。
「それでは、発表します。今回のプレゼンテーション対決。勝者は——」
大堀は固唾をのんだ。
「大堀くん」
——え?
きょとんとして安田を見返すと、彼は大堀を見ていた。
「君だ。大堀くん。君のプレゼンの内容はとても有意義だ。そして、誠実だ。君はそれらを落ちついてそれらを僕たちに聞かせてくれた。君のどんな場面においても臆さないその姿勢は、とても好感に値するものでした。引き続き、市制100周年記念事業の成功に向けて、邁進してくれたまえ」
頭の中が真っ白だった。その後、「講評はそれぞれの上司から聞くこと。ともかく、二人ともお疲れ様」という安田のコメントなど、耳にも入ってこなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます