第9話 管理職たちの駆け引き



 大堀の成長は、目を見張るものがあると保住は思った。思い返せば、二年前。職員研修の中で、田口、安齋、天沼と組んでプレゼンテーションをした時の大堀から比べたら、格段の成長だ。


 あの時は財政面のパートを担っていた。お金の勘定なら得意。そういう顔をしていた。しかし、今日の彼はそれだけではないのだ。全てを一人で担った。一つの大きな企画をこうして、陰謀渦巻くおかしな雰囲気の中、みんなに伝えることが出来たのだ。


 保住は大堀を誇らしく思った。自分の部下であるという気持ちを差し引いても、見せ方だけの知田よりも、内容は大堀のほうが上回っていると確信した。


 派手な演出も見せ方も、時として必要——だが。


「よくやった。大堀」


 涙を浮かべながら、席に戻ってきた大堀の背中を、保住はぽんぽんと軽く叩いた。



***



 両者のプレゼンテーションが終了し、当事者たちは廊下に出された。ここから、優劣をつける議論が始まるのだ。


「市長、いかがかでしたでしょうか」


 最初に口火を切ったのは、この企画の発案者である澤井だ。澤井は当然の如く、市長の安田に伺いを立てた。安田は、ほとほと困った顔をしていた。


「参ったねえ。どちらも素晴らしい。職員の優秀さはよくわかったよ。どっちか一人を選ばなくてはいけないの?」


 彼は槇を見た。槇は「そのようですよ」と簡単に言った。


「でも、僕が全てを決める趣向ではないんでしょう? ここにいるみんなの意見を聞いてみたいところだけど。それとも多数決?」


 議論の方法を尋ねられた天沼は、澤井に視線を寄越しながら口ごもった。どうしたものかと決めかねている様子だった。澤井は天沼に一瞥をくれてから、周囲を見渡した。


「そんな子供じみたことをするような話でもないでしょう。さあ、今度はみなさん方がプレゼンテーションをする番だ。どちらがいいのか、どうぞご自由に発言されるが良い」


 ——これは澤井からの配慮だ。


 単純に、数では負ける可能性があることを踏まえてだろう。意見のぶつかり合いであれば、数はごまかせるということだ。 保住は口元を緩めて澤井を見た。彼は保住をじっと見据えていた。


「——では、私から」


 挙手をしつつ、声を上げたのは広聴広報課長の伊深いぶかだ。彼は久留飛くるび派の筆頭だと聞いている。案の定、彼は知田を推した。


「大堀くんのプレゼンテーションも素晴らしかった。だが、やはり見せてくれたのは知田くんだと思いますよ。我々、一瞬でも彼の提案に夢を見たのではないでしょうか? 彼のプレゼン能力は高い。優劣をつけるとするならば、圧倒的に知田くんが優れていると言ってもいいでしょう」


 安田は「うんうん」と頷いている。それは多分——この部屋にいる者全てが認めていることでもあるのだ。保住は押し黙った。本来ならば率先して大堀を推したい。しかし、直属の上司である自分の発言は、時に裏目に出る場合もあるということだ。ここはおとなしくしていたほうがいいだろうと判断をした。


 すると「あのねえ」と観光課長の佐々川がニヤニヤとして手を上げた。


「私は大堀くんですね。いや、確かに知田くんのプレゼン能力が高いのはわかりましたよ。しかし、大堀くんのほうが現実的だ。そして面白かったじゃないですか。ちょっと頭の堅い私には思いつかない内容でした。どうだろうか。実際に大堀くんの案は文化課で活用できるものではないだろうか」


 佐々川の問いに、無表情で座っていた文化課長の野原は口を開いた。


「大堀の案は、確かに愉快。現実的でもある。しかし、どうだろうか。文科省の補助金の話は、すでに検討済み。特段目新しいとは言い難い」


 ——やっぱりな。


 野原せつが私情を持ち込むような人間ではないと理解はしていたが、案の定の展開だ。


 しかも、それに便乗して口を挟んだのは久留飛だ。まあ一応、彼はこの件に関しては部外者である。


「だがしかし、あの企画は飛びすぎていた。遊んでいるようにしか思えませんな」


 ——抜け目ない男だ。


 大堀を褒める佐々川の話に、大きく頷いている市長の気持ちを引き戻す魂胆だろう。久留飛の視線に、安田は「まあ、少々乱暴だけどね」と呟く。佐々川は肩を竦めていた。


「あの、ちょっといいですか?」


 そこで手を上げたのは、まちづくり推進室長の野原朔太郎だ。朔太郎は野原と従兄弟の関係だと聞いていたが、保住は目を見張った。彼は野原とはまるっきり違った容貌をしていたからだ。


 ——従兄弟とは言え、似つかないものなのだな。


 逞しい体つきに、愛嬌のよい笑顔。人懐こいあたりは、なにかの動物を彷彿とさせられた。


「手前味噌で申し訳ないんですけれどもね。うちの知田のプレゼンテーションは最高級なんですよ。お堅い公務員のイメージを脱しています。例え、細かいところは甘くても、彼はいい仕事をします」


 ——それって褒めているのか? けなしているのか? 


 『細かいところは甘い』という指摘をみずからする当たり。そういう無神経なところは、野原と似ているのかもしれないと、保住は思った。


 ——しかし、やはり厳しいな。


 保住は舌打ちをした。流れは知田に向いている。じっと様子を伺っていると、ふと澤井が、観光部次長木崎きざきの名を呼んだ。


「木崎、お前はどうなのだ?」


 彼は神経質そうな顔つきで、眉間にシワを寄せていた。保住は、彼とは初対面に近い。木崎は、細面で髪をきっちりと後ろに撫でつけ、シワひとつないワイシャツを纏っている。黒いベストは、彼を知的に見せていた。ニコニコ顔の久留飛とは対照的なタイプ。正直、なにを考えているのか窺い知れない、得体の知れない威圧感を覚える出立だった。


 保住は、彼をどこかで見た気がするが、思い出せない。


 ——この人が次長?


 そう思ったのは、年齢的にもまだ若いのではないかと思われたのだ。だがしかし、雰囲気は部長クラス。澤井の隣にいても引けを取らない男だった。


「そうそう。木崎くんはどう?」


 安田も彼には一目置いているらしい。


 ——もしかしたら、彼の一言で決まる?


 保住は、そんな予感がした。澤井も久留飛も黙り込んで木崎の言葉を待っているからだ。保住もじっと木崎を見据えていた。だがしかし、ふと視線が合った。木崎は保住を見ていたのだ。


 ——なに?


 彼はしばらく黙り込んだまま保住を眺め、それから安田を見た。


「これはあくまで私見ですが——」






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