第6話 大堀の涙
時間とは残酷にも、過ぎ去っていく。大堀が知田と対決する日が、明日に迫ってきていた。
「明日は本番だ。やるだけのことはやった。そうだろう? 大堀」
前日の夜。保住家の食卓の席には、田口と大堀の外に安齋が座っていた。これでは仕事中となんら変わらない雰囲気。場所が変わっただけだ。だがしかし、それぞれが心配をしているということも理解している。保住は大堀に視線をやった。彼は少々自信がなさそうに、だがしかし。瞳の色を強めて大きく頷いた。
「やってみます」
「そうだ。知田なんて野郎、潰してこいよ」
「安齋に言われると、そうなりそうで怖い」
大堀は苦笑した。大堀を励ます会であるはずの晩餐だが、結局は調理をして準備をしたのは、張本人の大堀だ。自分の激励会に、自分で料理を準備するだなんて、考えてみると腑に落ちないだろうに。それでもなお、大堀は現状を楽しんでいるようにも見えた。
みんながみんな、大堀と一緒になって考えた。日常業務のほかに、余計な仕事ではあったが、ここにいる全員が大好きな企画の仕事だ。仕事が趣味みたいな保住に絆されて、真剣にこのミッションをこなしたと言うところだろう。
「緊張して噛んだらどうしよう。だって、市長も来られるんですよね? それよりなにより。澤井副市長が怖い」
大堀は首をすくめる。それを見て田口は苦笑していた。
「澤井副市長の目を見るなよ。さらりと視線を合わせないこと」
「なんで?」
「威圧的な雰囲気に飲み込まれるからな」
田口が偉そうにアドバイスをしている様は、なんだか笑ってしまった。保住と出会ったばかりの頃、自分が言われていたアドバイスではないか。
——だがしかし。銀太ほど、澤井と対峙している一般職員はいない。大堀にはちょうどいいアドバイスだろう。
保住はニヤニヤとしながら三人の様子を眺めていた。
——本当に恐ろしいのは、安田でもない。澤井でもない。知田だろう?
そう思っても、事実を突きつけることが得策であるとは思えない。保住は田口たちの話題に乗った。
「そんなこと言って。すっかり澤井を睨みつけて、堂々とプレゼンしたのはお前だろう」
保住の言葉を聞き、大堀は「田口ができるなら、おれもやります」と語気を荒くした。しかし、それをたしなめるのは安齋だ。
「やめておけよ。当日は大事を取った方がいいに決まっているだろう?」
「安齋は心配性だな」
「室長。心配性じゃありません。こいつを信用していないだけです」
「え〜」
「心配性だろうが」
大堀は硬い表情を隠せずにいるが、それでもこの雰囲気で少しずつ笑顔を取り戻していた。
——明日は大丈夫だ。大堀ならきっと。
「大堀。明日は適当にやってこい。おれたちは例えどんな結果になろうともお前を仲間だと思っている。大丈夫だからな。この数日、寝る間も惜しんで取り組んだ成果を全て出してこい」
保住の言葉に、大堀はじんわりと涙を浮かべた。これで終わりではないはずなのに、しんみりとした雰囲気に、田口や安齋も口を閉ざした。保住は、こういう場面が苦手だ。少々狼狽えながらも、大堀を見つめる。
「湿っぽい奴だな」
「だって、おれ。嬉しくて」
「泣くなよ」
「まだ明日が残っているだろう?」
向かい側に座っていた保住は、そっと手を伸ばして大堀の頭をよしよしとした。
「ここまでよく頑張った。明日は好きなようにやってこい」
「はい」
大堀は目元をごしごしと擦ると、いつも笑顔を見せた。
***
そして当日——。知田と大堀との対決は、秘書課管轄の会議室で執り行われた。
真ん中の席には市長の安田。その横に私設秘書の槇が座る。発表者側から見て、右手には澤井、
正面に設置されているスクリーンに映し出される資料。今回の司会はジャッジに関係のない天沼が務めるようだった。彼は定刻になったのを確認し、マイクを持ちながら席を立った。
「それでは、『縄文遺跡観光プロモーション企画』のプレゼンテーション対決を行います。まず最初に、都市計画部都市政策課まちづくり推進室主任知田さん、お願いいたします」
知田はにっこりとした笑顔で席を立つ。彼はストレスや緊張など、微塵も感じさせることなく、爽やかで余裕のある仕草を見せた。
保住の隣に座していた大堀が緊張するのがわかった。保住はそっと彼の肩を叩く。
「室長」
「気にするな」
そんなことは気休めにしかならないとわかっている。だが、声をかけないわけにはいかなかったのだ。大堀は保住の横顔を見てから、大きく深呼吸をした。 それと同時に、知田のプレゼンテーションが始まった。
ついに幕は上がったのだ。
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