第17章 竜虎相搏つ

第1話 忙しさの中の日常



「大堀の奴、仕事に復帰したみたいですね。知田ちださん。ちょっと甘かったんじゃないですか? もっと徹底的にやらないと」


 昼食時、向かい側で日替わり定食を食べている相原を見て、知田は内心面白くない。


「途中で邪魔が入ったんだよ。仕方ないじゃん」


保住室長がついているんですもんね。オー怖い。知田さん、怒られちゃったらしいじゃないっすか。へへ。ざまあないですね」


 相原はずけずけと失礼なことを言う。知田はそれでなくてもイラついている気持ちを、更に乱していた。しかし、そんな知田の内面など、どうでもいいかの如く、相原は続けた。


「知田さんの悪いところは自意識過剰なところっすよ。何事も用意周到にやらないと。久留飛くるびさんみたいにね」


「お前に言われたくないね」


 知田は舌打ちをした。面白くなかった。


 ——何度もへし折ってやったのに。大堀が復帰だって?


 最終的には、対決の場面で叩き潰せばいいだけの話なのだが。思い通りにならないことは面白くない。不機嫌な知田の様子に、相原は本番の不安を見たのか、ニヤニヤと笑う。


「大丈夫っすよ。本番は、審査員には久留飛さんと伊深いぶかさんもいるし、それに知田さんの上司の野原室長もいるじゃないですか。それに対して、大堀くんを擁護できるのは、保住室長くらい? 澤井副市長だって、いくらなんでも優秀な知田さんに軍配を上げないわけに行かないでしょう?」


「——


「え?」


 本気で不機嫌な知田は手がつけられないとでも思ったのだろうか。相原は首を引っ込めた。


「そんなの関係ない。圧倒的な力でおれが勝つ。コネとか、そんなん関係ない」


「怖い怖い。そんなに力入り過ぎると、失敗するんだから。ご馳走さま〜。じゃあ、知田さん、頑張ってね~」


 彼はそそくさとその場を離れて行った。


 ——逃げ足だけは早いやつだ。


 途中、女性職員に声をかけられて愛想笑いをしている相原を見ていると、苛立ちを通り越して怒りさえ覚えた。


 仲間だと言っているが、久留飛派はそれぞれが独立部隊だ。正直、誰も信用していない。久留飛自身にも裏がある。そして、その隣にいる伊深も。相原もそうだった。


 比較的、久留飛に好意的な知田の上司である野原朔太郎さくたろうは、あまり深いことは考えてない。たまたま久留飛の部下になったことがあるから協力しているだけであって、正直、本心から久留飛を支持しているとは言い難いと知田は思っている。 今回の件は、さすがに自分の直属の部下である知田を差し置いて、大堀に手を上げるということはしないはずだが……。


 しかし。そんなことではなく、やはり正々堂々と大堀を叩きのめしたい——と知田は思っていた。


 大堀が嫌いだった。なんの苦労もなく、幸せに満ちた顔で、みんなに可愛がられている彼をみていると、無償に腹が立ったのだ。それが、なんなのか。知田は理解していない。いや、理解したくなかったのだ。


 ——おれは絶対的に大堀なんかよりも優れているんだ。あんな奴に負けるなんてこと、ありえない。

 

 知田は昼食のトレーを下膳棚に置いてから、歩き出す。なんだか気分がすぐれなかった。



***



 日常業務をこなしながら、知田との対決の準備をするには、時間が足りるはずがなかった。


 推進室の前には、終日、ロゴやのぼりの使用許可申請をする人達が後を絶たなかったからだ。推進室メンバーは、説明会の翌日から、ほぼ全員で窓口対応に追われていた。


「番号札順にお呼びしますが、多少前後する場合があります。ご了承ください」


 田口の声に待っている人たちは頷き合う。いつもは静かな観光課の周囲は、人の熱気で満ち満ちていたのだった。


「では、こちらに必要事項を記載してください」


「ご不明な点はございますか?」


 大堀も泣き言を言ってはいられない。業務に追われて、悲嘆をしている時間など皆無なのだ。


「昼飯食う時間もないな」


「仕方ない」


 隣同士の窓口でお互いに声を掛け合う安齋と田口。大堀は蒼白な顔色のままであることに違いないはないが、一生懸命に窓口対応をしている様子が見て取れた。


「あと三人。ともかく今日の部はそこまでね」


 大堀が『本日の受付は終了』という看板を立てかけると、幾分、気持ち的にほっとした。


 受付時間を九時から十五時までとしているのは、受付後の処理に手間がかかるからだ。申し訳ないとは思いつつも、ある程度で区切っていかないと際限がなくなる。


 「これだからお役所仕事は」と言われても関係がない。そうでもしないと、他の事業へも支障を来すのだから、致し方ないことなのだった。


 申し込みが殺到するこの現状がずっと続くということではない。日数が経過するほど、混雑は緩和されるだろう。


 次に混雑が予測されるのは、メイン・イヤーの前の時期だ。 


 世間とは物珍しいものに飛びつくわりに、飽きるのも早い。ある程度の希望者をさばけば、あとは楽になる。当初、そう見込んでいたのだが——思った以上の申込者に困惑しているのだが、田口たちは「それだけ市制100周年記念事業とは、市民の関心も高い事業だという証拠だ」と結論づけているところだった。


「はい、終了」


 最後の受付を終え、田口は、ほっとため息を吐く。


「腹が空いたんだろうけど、空き過ぎてもう食べる気が起きないな」


 安齋は珍しく弱気な発言だ。ほっとひと段落ついた二人の隣で、受け付けた書類の精査をし始める大堀を見て、田口はそれを中断させた。


「大堀。少しは休んだら。お前の仕事もあるのだろう? それに昼飯食べないと」


「でも。あの……おれ」


「穴埋めしたいって気持ちなら、そんな事は意味がないな。悲劇のヒロインぶるなよ」


 安齋はしれっと言い放つが、それは彼の優しさであるということは、そこにいる誰もが理解していることだった。。


「安齋」


「言い過ぎだとは思わないぞ。昼食も抜いて、必死に頑張っています、みたいな態度をおれたちは求めているのではないってこと。お前なら十分に理解しているだろう? 大堀」


 大堀は、弾かれたように目を見開いてから安齋を見る。そして、ふと弱々しい笑みを浮かべた。


「そうだよね。気張り過ぎってことかな? 安齋に言われるなんて、おれも終わってんな〜」


「おい、失礼だぞ」


「失礼なこと言う安齋に遠慮なんていらないでしょう?」


 二人の掛け合いが始まると、田口はなんだかほっとした。いつもの日常が戻ってきたような気がしたからだ。微笑ましいと思いつつ、そんな二人を見守っていると、会議を連続で終えてきた保住が姿を現した。



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